なあむ

やどかり和尚の考えたこと

雲水道中記ー永平寺から最上へー 7

2009年11月15日 21時23分34秒 | 雲水道中記

<師匠の遷化のためにこのコーナーをしばらく休んでいました。つづきをお待ちいただいた方にはお待ちどおさまでした。前の文をお忘れの方は読み返して下さるようお願いいたします>

日にちを決めて、送行の許可をもらいに係の先輩修行僧のところへ行くと、朝課のお経を全部暗唱できなければ許可しないということで、お経の点検を受けることになりました。永平寺の修行を終えて、朝課のお経も暗唱できないのは、永平寺として面目が立たないという理由でした。

6bbf61f7a596bf3071fdl 既に1年の修行で送行した者がいたのでそういう噂を耳にはしていました。

点検を受けるまでもなく、一つのお経がどうしても暗唱できないのは分かっていました。それでも何回か通ってその意志さえ見せれば何とか許してくれるだろうと甘く見ていました。

「歩いて帰る?それならなおのこと、お寺に泊まってお経も読めないのでは恥ずかしい」ということで許してくれませんでした。

もう少し時間をかけて、お経を完全に覚えてから帰るという方法もあるにはあったのですが、実は早めに帰らなければならない理由があったのです。

1年前、カンボジア難民支援に行ったボランティアたちが「曹洞宗ボランティア会(後のシャンティ国際ボランティア会)」を立ち上げ、東京に事務所を設けました。その事務所を開設したのは私で、永平寺に来る時に自分のアパートの家財をそっくり事務所に置いてきたのでした。そして1年後永平寺から帰って、事務所に勤めると約束していたのでした。

「歩いて帰るなんてのんきなこと言ってないで、永平寺の門前に車を横付けするから直ぐに帰ってこい」というのがボランティア仲間の声でした。


師匠の遷化 3

2009年11月15日 21時16分40秒 | 師匠の遷化

12日、師匠の本葬儀が執り行われました。
真に不思議なことに、当日は本当に良い天気でした。
Dscf0035前日も後日も雨風で、当日だけ、まるで台風の目のように晴れ渡りました。
師匠は、子どもたちや周囲の人々を心配し気にする人でしたから、みんなに苦労をかけたくないという思いでいてくれたことと思います。天気もそれに応えてくれたかのようでした。
11月というのに、本堂のガラス戸を取り外し、外からも参拝することができました。
ご寺院が65名、会葬者が400名ほどあったでしょうか。真にありがたいことでした。
Dscf0085 1週間で本葬の準備をするのは、実に大変なことですが、師匠も、涅槃衣、頂相、遺偈を自ら準備し、お金の面も檀家で生命保険に入っていたりと、早くから用意をしていました。
私も、覚悟はしていましたから、亡くなったら1週間か10日で本葬をしたいと、準備できるところは2ヶ月ほど前から準備を進めてきました。それが師匠の希望だったと思います。
お陰をもちまして、天気にも恵まれ、献身的なお手伝いの方々にも恵まれ、師匠の本葬らしい葬儀ができたのではないかと思います。
関わっていただいた方々、ご縁のあった方々、本当にありがとうございました。合掌