<師匠の遷化のためにこのコーナーをしばらく休んでいました。つづきをお待ちいただいた方にはお待ちどおさまでした。前の文をお忘れの方は読み返して下さるようお願いいたします>
日にちを決めて、送行の許可をもらいに係の先輩修行僧のところへ行くと、朝課のお経を全部暗唱できなければ許可しないということで、お経の点検を受けることになりました。永平寺の修行を終えて、朝課のお経も暗唱できないのは、永平寺として面目が立たないという理由でした。
既に1年の修行で送行した者がいたのでそういう噂を耳にはしていました。
点検を受けるまでもなく、一つのお経がどうしても暗唱できないのは分かっていました。それでも何回か通ってその意志さえ見せれば何とか許してくれるだろうと甘く見ていました。
「歩いて帰る?それならなおのこと、お寺に泊まってお経も読めないのでは恥ずかしい」ということで許してくれませんでした。
もう少し時間をかけて、お経を完全に覚えてから帰るという方法もあるにはあったのですが、実は早めに帰らなければならない理由があったのです。
1年前、カンボジア難民支援に行ったボランティアたちが「曹洞宗ボランティア会(後のシャンティ国際ボランティア会)」を立ち上げ、東京に事務所を設けました。その事務所を開設したのは私で、永平寺に来る時に自分のアパートの家財をそっくり事務所に置いてきたのでした。そして1年後永平寺から帰って、事務所に勤めると約束していたのでした。
「歩いて帰るなんてのんきなこと言ってないで、永平寺の門前に車を横付けするから直ぐに帰ってこい」というのがボランティア仲間の声でした。