なあむ

やどかり和尚の考えたこと

雲水道中記ー永平寺から最上へー 4

2009年11月04日 08時17分23秒 | 雲水道中記

2月だったのだろうと思いますが、親元の松林寺へ、研修所から入所許可証が送られてきました。
それを見た父親から電話が来ました。「すぐ帰ってこい」。

「海外開教コースとはどういう意味だ」「お前まさがこご終わっでがら海外さ行ぐつもりじゃないべな」
「んだ」
教化研修所は、授業料はなく、わずかですが月々の手当が出る研修機関で、将来曹洞宗の教化分野の最前線で活躍することを約束する制度になっていました。だから、終了後は、本山修行に行くのを除いて何らかの宗門の公的機関で奉公することが条件でした。どうせ奉公するなら海外で活躍してみたいというのが私の考えでした。
「3年でも長いど思っでだのに、その上海外なのとんでもねえ、そんなごどなら辞めですぐ帰ってこい!」
怒りもごもっともです。
Kaoidan しかたなく、海外コースを断念して一般コースへの入所を許可してもらいました。
しかし、海外への思いは断ち切れず、研修所2年目の時に発生したカンボジア難民の救援ボランティアに参加するきっかけとなりました。
とにかく、机に座ってまじめに勉強するのが苦手だったことから、外へ出て行く「研修」に積極的でした。
そんな3年目、またひとつの出会いがありました。