永平寺の修行時代のことについては、拙著『やる気があるのか』に詳しいので、それをご覧いただくとして、その最後のところだけを書いておきます。
渡辺さんをまねて行脚僧の姿で歩いて帰りたい、という思いは1年間消えることはありませんでした。
修行を1年で終えて帰ろうと決めた時から、行脚の準備を始めました。一番大事なのは草鞋でした。地下足袋やスニーカーで歩くという選択もあるのですが、形を気にする性格上、どうしても草鞋でなければなりませんでした。しかし、藁の草鞋はおそらく1日か2日で擦り切れてしまうので、大量に持って歩くわけにもいかず使えません。そこで考えたのがビニールの草鞋です。永平寺の托鉢では藁の草鞋を履くのですが、ビニールのひもで編んだ草鞋は丈夫でいいよと教えてくれる人がありました。
草鞋と聞いてピンと頭にひらめいたのは田舎の母方の祖父でした。農家の祖父は、手先が器用で民芸品なども手作りする人でした。もちろん草鞋などは朝飯前です。
手紙でお願いすると、早速色々な種類のビニールひもで作った20足ばかりの草鞋を段ボールに詰めて送ってくれました。
福井から山形までの地図も準備したし、あとは送行(ソウアン、修行を終えて道場を去ること)するばかりだという時に問題が起こりました。