本日読み終えたのは「俵屋宗達-琳派の祖の真実-」(平凡社新書、古田亮)。「琳派」という言葉が流通したのはたかだか40年余りでしかないとのこと。1972年東京国立博物館で特別展「琳派」から始まったとのことである。
著者は「俵屋宗達-尾形光琳-酒井抱一-鈴木其一‥」を「琳派」という言葉でひとくくりにすることに疑問を持っている。宗達と光琳、そして酒井抱一の作品の比較検討・分析から宗達像を琳派という概念から切り離そうとすらしていると思える。
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独自の視点から宗達の作品の年代確定を試みながら宗達の作品の特質を明らかにしていく。従来、風神雷神図屏風が宗達最晩年の境地のような説に対し、舞楽図屏風を最後の方の作品と特定するなどの推論を展開していて、なかなか読みごたえがある。
私が特に念入りに読んだのは、風神雷神図屏風の宗達・光琳・抱一の比較である。
光琳の絵は宗達を完全にトレースしているが、宗達画では風神のショールや雷神の連鼓が画面からはみ出しているのに、光琳画は枠内におさめてしまった。そのために風神・雷神の躍動感が失われ、動きが止まってしまった。特に雷神は歌舞伎の見得のように空中に静止した。光琳特有の平面的なデザインへ変身していると指摘している。
抱一は宗達画ではなく光琳画しか見ていない上に、正確なトレースではなく、自由な筆致での模写となっている。そして光琳画の裏に「夏秋草図屏風」を描くことの方が主たる目的だったと述べている。筆者はこの「夏秋草図屏風」の評価が高い。「風神雷神に天候や季節感を見る抱一の感性と想像力は、光琳が大成した装飾美に対して自然感情を吹き込まずにはいられなかったのである。」これはなかなか当を得た評だと感じた。
言及の当否について私は判断は出来ないが、澁澤龍彦の「文化文政の抱一には、捨てがたい魅力を感じるということを、告白しておきたい。よくぞ、ここまで宗達にはじまったバロック的エネルギーを骨抜きにして、繊細きわまりないマニエリスムを完成させたものだ、と溜息が出てくるほどである」を引用している。私はこの澁澤龍彦の言も気に入った。
抱一などのいわゆる「江戸琳派」について筆者は「光琳の上層階層に向けたファッショナブルで優雅な装いに比べると、抱一が見せてくれた世界は、「夏秋草図屏風」などが象徴的に示しているとおり、季節感をともなう庶民の感情を潜ませ、俳諧の軽妙さすら漂わせている。すっきりとした瀟洒な造形感覚を活かして、きらびやかな世界の背後にあるものまでも写し出そうとしている」「抱一の芸術の魅力は、宗達芸術とは別の次元で語られるべきもの」との評価を与えている。
鈴木其一については「抱一画の特徴であった瀟洒で粋な造形性を受け継ぎながらも、明快に色調と理知的な画面構成は、むしろ光琳的な平面化に回帰する傾向」「其一の最大の魅力は、作品だけを見れば近代の画家ではないかとさえ思われる先取性にある」と記しており、総じて江戸琳派の評価が高い。
これは私も同意見である。ただし風神雷神図屏風でいうと、私は光琳画より抱一画が好きである。光琳画に対する私の違和感は雲が黒く重すぎるために両の神が上下・左右へ画面を横切る動きが阻害され、その場で踊っているように変わった点である。躍動感は宗達画と同様に在るものの雲が黒く重くなったので、画面を横切る動きが薄らいだ。抱一はその雲の重みを取り外し、両の神を浮き上がらせて動きを取り戻した。しかし風神が少し下に位置してしまったために風神の動きが右下から少し斜め上方向になり、雷神の右下に降りていく動きと逆向きの並行となり、動きが単純化してしまった。
画面を横切る動きでは宗達画が雷神の右下へ斜めの動き、風神の右から左への水平の動きが、躍動感を強めている。そういった意味では、酒井抱一は宗達画を見ていないにもかかわらず、光琳画よりも進化はしているように私には思える。
これは素人の感想なのでここで述べるのは場違いかもしれないが、敢えて述べてみた。
なお、クリムトへの言及がなかなか面白い。「クリムト研究者のヴィーニンガー氏によれば、クリムトの「接吻」に描かれた抱き合っている男女の表現はね宗達の「伊勢物語色紙」の男女が画面内で溶け合っているかのような表現と酷似しているという。しかも実際この「伊勢物語色紙」は当時のウィーンでカラフルな図版によって紹介されていた」「クリムトのイメージソースに、はたして宗達があったかどうか、早計な結論は控えなければならない。だか、宗達の芸術は男女の情念をつむぎだす、まさにクリムト的な装飾芸術に到達していた」と記している。
これは頭の片隅に忘れずにしまっておいて、これから考えてみたいと思った。
さらに光琳とクリムトとの比較にも言及してある。「クリムトの「接吻」がもつ造形的な特徴を光琳の「紅白梅図屏風と比べると、「接吻」では画面中央、光琳画の流水にあたる部分に男女が溶け込み、円などの装飾文様が平面的にそこを埋め尽くし、周囲には巧みななニュアンスをもつ「地」がとりまいている。光琳画では流水紋が画面中央で平面的、暗示的にに配置され、その両脇に紅白梅が配されている」「このように光琳らしい官能美は、「接吻」と「伊勢物語色紙」とが同じくアナクロジカルな関係であったとしてもやはり宗達に求めることはできない」と記されている。
なお、巻末には明治以降の日本画の流れと宗達評価が述べられている。またさらにマティスと宗達との比較に言及している。これらについてはまだまだ私の頭の中で消化しきれていないので、今回は引用や評価には触れないことにしたい。