Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「日韓近代美術家のまなざし」展(感想)

2015年05月02日 22時13分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 「日韓近代美術家のまなざし」展(県立近代美術館葉山)を昨日見てきた。韓国の近・現代美術についてはまったく知識もないし、作家自体の名も知らない。お隣の国といいながら、また歴史的に極めて深い関係があるにもかかわらず、私自身の不勉強もあり知っていることはかなり限られているし、それもあやふやなものが多いと実感している。
 ここ数年韓国を数回訪れており、何回目かのときに、ソウルのサムスン美術館を訪れて、現代美術のコーナーも見たけれども、特に印象に残ったものが無かった。これは私の現代美術の鑑賞眼そのものが未熟なことも原因のような気がする。
 今回の展示でいくつかの感想を述べてみると、近・現代絵画に果たした朝鮮半島の人びとの歴史、人物史を、私がまず基本的に欠落していること気になった。日本が植民地支配していた時代、それに対する抵抗の時代、日本敗戦以降の分断の時代等日本を抜きにしては語れないことは確かだが、朝鮮半島の主体的な絵画の流れをまずは知る必要があるのではないか、と考えてばかりいる自分を見ていた。

 朝鮮半島の画家は、朝鮮半島を支配していた日本によって作られたいわゆる官展の流れ、官展とは一線を画してした西洋画の流れをつくった日朝の作家たち、日本に留学した人々、朝鮮半島に日本から行った人、さまざまなパターンがあるのだろう。だがパターンごとに絵の傾向があるのだろうか。もし傾向があったとしてもそれをどのように細分化してパターン化したり、分類してもそれは意味はないように思える。
 傾向があるとすれば官展という上からの圧力に対して、作家自身の内発的な表現確保のためにどう格闘したか、位のものである。それは近代の芸術がいつも、世界中どこでも経験してきたことである。そしてそれは基本的な知識として、知る必要はある。
 本当はそれよりも重要なのは個々の作家がどのように絵画そのものの展開に寄与したか、さらに広げるならばどのように時代や歴史を自己の精神史の中に取り込もうとしたか、時代とどのように格闘したかということである。
 再度いうと、日本という植民地支配、文化圧力に対抗して表現者としての自己をどのように確立していったか、という朝鮮半島の画家たちの苦闘の歴史を基本として、それをまずは知る必要があると感じた。そしてそれは前提でしかない。それなのに私は残念ながらその前提の知識もない。
 今回の展示の説明を一所懸命読んだが、その欠落している知識を補うものではなかった。


 私がもてる感想は、藤田嗣治や藤島武二がどのように朝鮮半島の人々と接し、その自然をどのように受容したか、それを作品にどう展開したか、に言及する力を備えたいというものだあった。残念だが、そのような力量は今の私にはないことは今回の展示で当然にも理解した。ただ考える縁にはなったと思う。藤田嗣治があのように明るく描いた風景、藤島武二が明るい色彩とタッチで描いた女性像が、彼らの絵画の技法にどのような影響を与えたのか、何時かは知りたいと思った。教わるのか、自分で言及できるのかは、別にしても‥。

 さて気になった作家は山口長男、入江一子、イ・ジュンソプ、キム・ファンギの4名。これは機会があれば他の作品も追いかけてみたい。浅川兄弟の作品、特に兄の伯教の陶器の作品を見たかったが展示が無かったのは残念であった。
 もうひとつ残念であったのはポストカードが無かったこと。折角初めて接する画家がたくさんいるのだから、種類は少なくともいくつかは欲しかった。

久しぶりのウォーキング

2015年05月02日 18時19分48秒 | 山行・旅行・散策
 本日は久しぶりにいつもの15キロあまりのコースでウォーキングを行った。
 休憩を除いて2時間50分ほどを費やした。1時間あたり8,000歩をキープして合計22,650歩程となった。かなり正確な刻みである。時速5.4キロに少しかける程度だと思われる。
 このコースは不思議なものでほぼ一千歩刻みに、コンビニや水飲み場、便所などが存在している。ジョギングやウォーキングにはとても好条件がそろっている。しかも歩道も広く、2車線分はある中央分離帯と歩道は樹木に覆われるように伸びている。さらに折り返しの地点手前から鶴見川の河川敷を利用した公園となり、水飲み場も便所も休憩用のベンチもあり、往復四千歩ほどはとても気持ちのいいコースである。ただし冬は風が冷たく強いのが難点ではある。
 最近は2万歩を越えて歩いているが、街中を講座や会議の行き帰りの歩行なので、うっすらと汗をかく程度である。1時間あたり六千から六千五百歩程度だから時速4キロ位でおさまっている。
 3時間近く目いっぱい歩くと、体の中の老廃物が一掃されたように感じて爽やかである。昨日県立近代美術館の葉山館から逗子駅まで歩きそこねたので、いっそう気分はいい。

 夕食までしばらく休息。

神奈川近代美術館葉山について

2015年05月02日 12時33分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日の昼食は京急新逗子駅の北口から歩いて3分ほどのところにある「つ久志(つくし)」というところで食べた。もっとも安いのがコロッケ定食600円、いちばん高価なものが刺身定食1080円といたって財布にやさしい定食屋さんである。夜は居酒屋になるようで日本酒・乙類焼酎の一升瓶がカウンターに置いてある。種類はないが美味しいお酒があり、そそられたが我慢。
 私は煮魚定食680円、妻は鮪のブツ切り定食やはり680円。野菜は漬物だけで少ないが値段からするとやむを得ない。野菜が欲しければ別途小鉢を注文すればいい。ご飯も煮魚も鮪のブツ切りも大変美味しくいただいた。駅前の繁華街でこの値段は嬉しい。
 バス停は南口で5分は歩く。神奈川県立美術館葉山は「三ケ丘」で下車するがそこまでチラシでは15分、バス停の案内では18分となっている。道が狭いので時間がかかる。葉山元町を過ぎると少しは道は空くがそれでも海岸沿いの道は狭い。
 ただし右側に海が臨めるようになると気分は開放的になるから不思議である。
 以前私一人でここを訪れた時には、帰りは歩いた。1時間30分近くかかったが気持ちの良い道である。途中葉山マリーナでヨットの群れを眺め、狭いが森戸神社を巡り、なかなか楽しかった。

 2003年に竣工したこの美術館は、

 目の前の一色海岸と背後の三ヶ岡山を意識し、「海」と「山」にきらめく「光」に象徴される明るく開放的な空間と静穏な住環境とが調和するよう次の点に配慮しました。
1.容積率を法定の半分程度に抑え、緑被地率を約45%確保し、庭園を散策できるようにする。
2.建物の高さを10m以下に抑え、白い花崗石でつくられた単純なフォルムと、水平線を強調したファサードにより、建物を緑の中に沈みこませる。
3.2つのL字型の建物で囲まれた「中庭」をボイドスペースとし、葉山の風景(山と海)との連携を図る。


ことを意図した設計のもと建てられた、ということになっている。
 確かに1、2、3ともに一定の納得はできる。ただし2の「建物を緑の中に沈みこませる」ということがどの程度のことを想定しているのかわからないが、もう少し庭園の樹木が大きくなった時に判断したいと思った。
 また広過ぎる駐車場がこの緑の空間にそぐわない。駐車場の景観が少し工夫の余地ありそうに見えた。
 建物の外周をまわる散策路は確かに有効だ。特に海岸の砂浜の手前まで降りていく散策路は魅力的であるし、そこに備えられている彫刻は工夫されている。
 海岸線から表の駐車場の外周をまわってバス停までの道も樹木が多く、四季さまざまな花を見ることが出来る。楽しい路である。ただし維持管理の費用・労力は並大抵ではなさそう。

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/public/HallTop.do?hl=h