Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

洪水・大雨・波浪・暴風警報

2015年05月12日 22時34分06秒 | 天気と自然災害
 横浜は22時15分に洪水・大雨・波浪・暴風警報ならびに雷注意報となった。外は一段と風・雨がひどくなっている。特に風がひどい。外にいたら何が飛んでくるかわからない。傘もまったく役には立たないと思う。団地の中の木々の枝もかなり風に飛ばされていると思われる。
 横浜市内の雨量は総じて西部の方が多いようである。

 横須賀線が人身事故で運転見合わせとなっているほか、京急線や金沢シーサイドラインが風のために運転見合わせということになっている。
 京浜東北線にも影響が出ているようだ。こうなると東海道線、東急線も多摩川を超えるのに影響が出てくる可能性が高い。

 気象庁のホームページの衛星写真を見ると、神奈川県下ではいまがピークのような気

横浜は現在暴風・波浪警報発令中

2015年05月12日 21時18分22秒 | 読書
 横浜では現在は暴風・波浪警報ならびに大雨・雷・洪水注意報が発令されている。夜に入って予報どおりに雨が降りだしている。
 「レインアイよこはま」の画面では県央の厚木などを中心として強い雨の区域がある。まもなく横浜にもこの区域がやってきそうである。
http://raineye.city.yokohama.lg.jp/pweb/

 温帯低気圧に変わったとはいえ、もともとは台風である。しかも当初の予定のコースよりも西側に寄ったコースをとるとのこと。上陸するとしたら横浜も台風の東側に位置することになる。台風の中心より東側の方が一般的に風も雨も強い。これから日付が替わって3時位までがひどい風・雨らしい。

 そして明日、この台風が去った後は、横浜・東京でも30℃に近くなるらしい。湿気と高温での熱中症が心配される。

 ネパールではM7.3の余震の情報も入ってきた。

追悼!長田弘

2015年05月12日 20時20分03秒 | 読書
 詩人の長田弘氏が亡くなった。5月の連休中だったという。
 手元には生前のエッセイ集というより、私は幾人かの作家・詩人への追悼集と思うが、「詩人の詩碑」(朝日選書554、1996年)と、最晩年(ひょっとしたら最後?)詩集「奇跡-ミラクル-」(みすず書房、2013年)がある。
 実は「長田弘詩集」(思潮社)で1980年代に初めて詩を読んだのだが、それはもう紛失してしまった。訃報を聞いて探したが本棚のどこにもなかった。
 長田弘、1939年福島市で生まれ、1960年に詩人として一歩を踏み出した。

   

 私が読んだ初期の詩集が手元に無いので、私が当時感動した詩は紹介できないが、最新の「奇跡」を私は気に入っている。

 ベルリンはささやいた  ベルリン詩編
ファザーネン通りの小さな美術館で
紅いケシの花を額にのせた
死顔のデッサンを見た。
一九一九年一月十五日の夜、
至近距離から銃で撃たれ、
蜂の絵状にされて路上に捨てられ、
身元不明の死体として
市の死体置場にまわされて
死んでいった男の、額の上の紅いケシ。
画家のケーテ・コルヴィッツが
カール・リープクネヒトの死顔の
木炭画の上の描きのこしたのは、
死者の額から流れおちた血の花弁だった。
ベルリンのユダヤ人を運んだ
アウシュヴィッツ行の
ドイツ帝国鉄道の貨車の始発ホーム。
出て行った列車の数を同じ数の
鉄板を銘板にして敷きつめた、
それは、いまは、どこへも行かない
人影のないほーむだった。
一九四四年十二月七日、
アウシュヴィッツへ三十人輸送。
ただそうとだけ刻まれた
雨にぬれた鉄板の一枚の上に
置かれていた、三本の紅いガーベラ。
死よ、死よ、おまえはどこなの--
ベルリンはささやいた。おまえの足の下だよ--


そしてもうひとつの詩の最後の5行ではこのような表現もある。

 ベルリンのベンヤミン広場にて  ベルリン詩編
‥‥
日の影はない。通ってゆく人もいない。
時が停まったように、
広場の噴水は停まっていた。
歴史は記憶にほかならない。だが、
現在というのは清潔な無にすぎないのだ。


 戦後詩は多く場合、戦争という影を色濃く引きづっていた。今も引きづっている。長田弘の詩も例外なく、10歳に満たない時期とはいえ、鋭敏な心に刻まれた敗戦体験と、敗戦後の混乱とが、戦後詩の歩みを始めた青年に色濃く影を落としたことは確かなことである。

 そして「奇跡」という詩集のあとがきに今は亡き詩人は次のように記している。

 ふと、呼びかけられたように感じて、立ちどまる。見まわしても、誰もいない。ただ、自分を呼びとめる小さな声が、どこからか聞こえて、しばらくその声に耳を澄ますということが、いつのこめからか頻繁に生じるようになった。
 それは風の声のようだったり、空の声のようだったり、道々の声のようだったり、花々や樹々の声のようだったり、小道の奥のほうの声のようだったり、朝の声や夜の声のようだってり、遠い記憶のなかの人の声のようだったりした。
 そうした、いわば沈黙の声に聴き入るということが、ごくふだんのことのようになるにつれて、物言わぬものらの声に言葉にして記しておくということが、いつか私にとって詩を書くことにほかならなくなっているということに気づいた。
 書くとはじぶんに呼びかける声、じぶんを呼びとめる声を書き留めて、言葉にするということである。


 こんないい文章を記す詩人の最後の詩集には美しい、しかし戦争と革命の世紀20世紀を歩んだ詩人の静かな叫びともいうべき言葉が並んでいる。

そこに、ケーテの、古い汚れた銅像が立っていた、
死者たちの、石の丘のほうに、顔を向けて。
いや、詩人の視線の、先にあったのは、
石の丘の上に、無のようにひろがる、
すばらしく澄んだ、青空だ。
 (ベルリンの死者の丘で ベルリン詩編)

失ったものの総量が、
人の人生とよばれるものの
たぶん全部なのではないだろうか。
それがこの世の掟だと、
時を共にした人を喪って知った。
 (空色の街を歩く)

ある日、東北の、釜石から
送られてきた、手づくりの句一つ。
「三・一一神はゐないかとても小さい」
未来はいまも、未ダキタラヌ時だろうか。
もう、そうではないのだはないか。
いま、目の前にある、
小さなものすべて。
今日という、不完全な時。
大切なものは最上のものではない。
 (未来はどこにあるか)

戦争をしない国にそだったのだから、
わたしは心底に思い留める。世に
勝者はいない。敗者もまた、と。
 (Home Sweet Home)

この国の、昭和の戦争の後の、小さな町々には、
すべてのことを自分自身からまなび、
「視覚は偽るものだ」と言った
エペソスのヘラクレイトスのような人たちが、
まだいたのだ。子どもたちのすぐそばに。
(晴れた日の朝の二時間)


 そして最後に掲載されている「奇跡-ミラクル-」という詩は、詩人の死を前にした静かな心持が伝わってくる。後半を引用する。

‥‥
ハクモクレンの大きな花びらが、
頭上の、途方もない青空にむかって、
握り拳をパッとほどいたように
いっせいに咲いている。
ただここに在るだけで、
じぶんのすべてを、損なうことなく、
誇ることなく、みずから
みごとに生きられるということの、
なんという、花の木たちの軌跡。
きみはまず風景を慈しめよ。
すべては、それからだ。
(奇跡-ミラクル-)



 長田弘氏から12年後に生まれ、戦後の混乱を人づてに生きながら、戦後政治の行きつ戻りつの中で翻弄されてきた私には、このような「ただここに在るだけで、‥みごとに生きられるということの、なんという、奇跡」こんな心境に果たして私はなれるのだろうか。

台風6号

2015年05月12日 13時10分12秒 | 天気と自然災害
 本日はスケジュール表では空白の日。朝8時半に起床していつものとおり野菜ジュースとパンと紅茶、バナナ半分の朝食を食べ終わった途端に、眠気が襲ってきた。食べ終わってすぐに布団に逆戻り、気がついたら11時半となっていた。
 一昨日2.6万歩余、昨日2.3万歩余を歩いた。特に昨日はかなり早く歩いた。どうも腰が重い。ぎっくり腰のひどい症状とならないようゆっくりとした動作で一日過ごさないといけないようだ。

 朝から風が唸り声を上げている。新芽から青葉が眩しい風景に変わってきたが、その柔らかい葉が風に煽られて悲鳴をあげている。今夜から明日の明け方にかけて関東に接近・通過するようだ。
 台風6号は風台風が、雨台風か。どちらかというと風かもしれない。大量の雨を降らせた台風と云うと、昨年秋のふたつの台風によってもたらされた被害を思い出す。

 さて、大量の雨が箱根に降ったとして、数日後に水蒸気爆発の誘因とならないか、ふと不安が過ぎる。
 ある人が、蒸気が大量に常に噴出しているので水蒸気爆発は起こりにくいのではないか?ということを云っていた。私は今回新たに地下の熱源から供給され続けている熱エネルギーと、現在おおめに噴出し始めた水蒸気を中心とした熱エネルギーの放出が均衡しているとはとても思えない。私は実際に計算できる立場にいないので、確定的に均衡していないと断定もできないが‥。
 そして、地震や半径200メートルで6センチの地盤隆起を引き起こしたエネルギーは、地盤の熱膨張だけなのか、下から上昇しようとするマグマの物理的圧力なのか、わからないことばかりである。
 不安を煽る気は毛頭ないが、私の疑問を氷解させてくれるだけの情報ももたらしてくれない。