Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日も一日パソコンと睨めっこ

2018年04月22日 23時41分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の作業は終了。明日また一日パソコンと睨めっことなる。むかしとは違って1時間も続けると一服したくなる。熱いウーロン茶を飲みながら、ボーっとしている時間もだんだん長くなる。生活を支える仕事として職場で人との関係などに緊張しながらこなすのとは大いに違う。
 私の場合は会員や他の幹事の顔を思い浮かべながら新聞づくりをしている。それがなくなったら実に味気ない「仕事」になってしまう。版下をつくり、印刷してもらっている印刷会社のかたには申し訳ないとは思いつつ。

 水曜日までに9割がたは作り終えたいもの。明日は少しネジを巻いて先にすすめたい。

桜の実・実桜

2018年04月22日 20時25分01秒 | 俳句・短歌・詩等関連
   

★葉の影に揺れはそれぞれ桜の実     庄司たけし
★越してきて静かな隣さくらの実     片山由美子
★露草の降伏せし日の空の色       佐々木 茂


 今年は暖かい春の陽気が続いたため、花の時期がいつもより早い。花を駄目にしてしまう虫が早くもお出ましである。夕方になる前に近くの公園で散歩がてら、写真を撮ってみた。

 例年は梅雨前の6月ごろに目につく桜の実であるが、早くもヨコハマヒザクラの木に赤くなった実を見つけた。小鳥が赤くなった実を啄んでいた。季語としては夏に分類されるが、この実を見たときが表現のときである。

 桜の実は小さなもので、さくらんぼとは違う。熟すと黒く変色するが、赤い実が私の好みである。コーヒーのみやさくらの実くらいの大きさであると、たくさんの身ではあるが、それぞれに個性があるのがわかる。特にコーヒーの実もさくらの実も色づき方がひとつずつぢがぅ、そして風という環境への反応も個性があるように見える。人の個性と二重写しに見える。しかも控えめながら個性が滲み出ている。好ましい隣人のようでもある。
 これよりも小さい実であると個々の違いは分かりにくい。これよりも大きいと個々の違いがあるのが当然のように思えて、「個性」がパッと見には気にならなくなる。例えばミカンやリンゴ、ナスなど違いがあって当然と見過ごしてしまう。不思議である。

 露草というのは花期が長く、初夏から秋にかけて咲くようだ。濃い紫の色が私の好みである。こちらは秋の季語であるが、やはり花を見つけたときが、その季節である。露草の濃い藍が私の好みである。この句では淡い青として見ている。ひとそれぞれにその色合いの好みや、連想するものに違いがある。8月15日についての感慨はそれぞれのおかれた場所や社会環境でちがうが、深い思いであることには変わりはない。その深みを薄っぺらなものにしてはならない。ましてや悪意に満ちた改竄や捨象や曲解や、嘘を承知の歪曲は許されない。

春の夜の感覚

2018年04月22日 11時02分22秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 予報最高気温が27℃という横浜、雲も風もなく、明るさが目に染みる。今のところベランダに出ると暖かさと明るさのセットが心地よい。花粉もピークを越したようで、妻の花粉症もおさまった。窓を開けて外気を部屋の中に取り込むことにした。
 今朝から半袖のポロシャツを着ているものの、部屋の中では二の腕が寒く感じた。ベランダの硝子戸を開け放つと暖かい光を含んだ空気がじんわりと侵入してきて、二の腕の寒さを感じなくなった。
 仕事の合間の一服に歳時記を開いてみた。

★春の夜の指にしたがふ陶土かな     坂本譲二

 昨晩はヴァイオリン、今回は陶土で春の、それも多分初夏に近い今ごろの季節の夜を感じている。春の宵から春の夜に変わった。昨晩のヴァイオリンは幾人かの人を対象にした室内楽か、あるいは一人でヴァイオリンを鳴らしている演奏者に思い至ったが、今回は孤独な作業を春の夜の空気と対話をしながら、陶器制作のある工程に従事しているのであろう。陶土をこねているのか、轆轤を回しているのか、絵付けをしているのか。いづれにしろ孤独な作業である。人の気配を拒否して、没入している。人のもっとも充実したひとときかもしれない。
 私は陶器制作はまったく体験したことはないが、当然にも、指先の微妙な感覚が求められることを想像している。