午後から横浜駅東具他のそごう美術館で「ロベール・ドアノー」展を見てきた。百貨店そごうの6階にある美術館である。そごうは人はかなり少なめ。美術館はさらに少なく、閑散としていた。美術館の中は15~16名程度しかいなかったのではないだろうか。
もっぱらバリの街を写し取ったロベール・ドアノーは1912年にバリの郊外に生まれ、1994年、パリで亡くなっている。雑誌『ヴォーグ』や『ライフ』でバリの日常を対象にした写真家である。
「恋人」、「子供達」、「酒場」、「街路」、「芸術家」という5つのセクションに分けて作品を展示している。
私は「街路」、「酒場」、「芸術家」のセクションに興味があった。
しかしどのコーナーも人物中心の作品がほとんどで、多分ドアノーという写真家は、これらの人物こそが主題であり、そしてもっとも表現したかった対象なのであろう。
だがわたしはどうしても人物にはあまり興味が持てないのだ。一番惹かれた作品は人物の登場しない作品であった。この1955年の作品、題名は失念してしまったけれど、今回の展示でもっとも気に入った。人物は不在である。強い雨で人がやってこない街中の店であろうか。人の不在によって普段の街の賑わいや喧騒が聞こえてくるような作品である。
もう一枚も人物の顔はほとんどわからない。1951年の「恋人たちの逃走」という作品。満月に照らし出された恋人二人が藁積みがある畑の中を怯え、追われるように後ろを振り返りながら走り去ろうとしている。劇的な効果を狙った作品と思われる。物語性を写真にこめようとしたのかもしれない。
その試みよりも顔を明確にしないことで、物語が一層劇的にリアルに思える。
最後の「芸術家」のコーナーは藤田嗣治も含めてさまざまな画家・彫刻家などが被写体である。アトリエや居住空間でのかれらの選択したポーズや調度、作品などからかれらの思いや思想などが少し浮き上がってくるようで、ここは人物の表情を興味深く見ることができた。
特にジョルジュ・ブラックが大きなテーブルの端っこで、カメラに向かってカメラを拒否しそうな表情で身構えて写されていることに興味をひかれた。質素な家具類など生活感があまりしない室内である。ブラックの作品と共通するような画家の表情がおもしろかった。反対にあまりに人懐っこい感じのピカソの有名な写真との対比もまた面白かった。写真の写り方だけから見ると、親交のあった二人が正反対の性格だったように見受けられた。
なお、多くの人物写真は偶然街中でシャッターを切ったものも多いようだが、「恋人」「子供達」などモデルを雇って撮影した作品も多いようだ。偶然ではなく、作者の意図が色濃く反映されるよう偶然だけに頼っていないことを知った。
この展覧会、今そごう美術館のホームページを見ようとしたら、展覧会が中止になってしまった。コロナウィルスの感染症拡大予防のため休館、ということである。