Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

何と21℃越え

2020年03月19日 23時08分54秒 | 天気と自然災害

 夕方から風が一段と強くなり、15時半には最大瞬間風速が15.3mとなった。さらに気温も21.3℃と上がり、今年の最高気温であった。しかし20時頃には本降りの雨となった。現在は風も雨もやんで、雲間から夜空が見えるようになった。雲は白く、低い。まだ不気味さが残る雲である。
 本日の夜のウォーキングは中止。

 明日までに400字ほどの文章の依頼が先ほどメールにてあった。明日はこの宿題を終わらせてからいつもの行動パターン。いつもの喫茶店で読書タイム。
 明日も20℃を超えるらしい。風も本日のように強いとの予報。


辛夷(こぶし)

2020年03月19日 21時27分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連



★晴ればれと亡きひとはいま辛夷の芽   友岡子郷


 横浜では辛夷の花はもう散り始めている。辛夷は蕾が赤子の拳に煮ているから漬けられたというが、幹事がどうして辛夷になったのかという説明に出くわしたことはない。
 辛夷の花弁は地面に落ちるや否や一部が茶色に変色してしまう。しかしそれまでは白いハンカチが春の風になびくように震えている。
 この句、「亡き人は」「いま辛夷の芽」というように輪廻転生の解釈で良いのだろうか。そうすると何かつまらない。私は「はればれと亡き人はいま」に「辛夷の芽」を配したものだと思っている。「亡き人」がどうしているのだろうか。きっとこの世に恨みも名残もなく、フッと爽やかにこの世から飛び立ったのだと思う。後に何も残さず。この春の辛夷の芽吹く時期の青空のように晴れ晴れとした気分なのだろう、と想像できる。そんな亡き人だったのではないか。
 作者は「亡き人」についてもっとも良き理解者であったに違いない。そんな友人関係を大切に生きたいものである。

★風の日の記憶ばかりの花辛夷      千代田葛彦

 春、辛夷の咲くころは風が強い。何の変哲もない句、だが風の日と、辛夷の花と青空の関係と、この時期の風の感覚が同時に蘇ってくる。


一人で花見

2020年03月19日 18時19分56秒 | 山行・旅行・散策

 風は強いものの暖かい日であった。午後横浜駅近くの公園のベンチで陽の光を浴びてボーッとした時間を過ごした。若いカップルや、ベビーカーを押す母親、フットサルで汗を流す人、のんびりティータイムとしゃれこむ人、一服しに寄っていくサラリーマンなど適度に人がいた。広い公園は明るい陽射しを受けてサクラ、シャクナゲ、コブシなどが美しかった。
 1時間ほどしたら、風が強まったので、近くの喫茶店へ。地下街には入らずに再び歩いて帰宅。

                              


崋山と火山、変換と返還

2020年03月19日 10時51分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 3月17日の記事の表題「渡辺崋山」(日曜美術館) のつもりが「渡辺火山」となっていた。何と恥ずかしい。ツィッターやフェイスブックと連動しており、そちらには「火山」のま表示されている。本文は「崋山」となっている。私のチェックミスである。娘からはいつも「誤変換ばかりでなさけない」と馬鹿にされている。何とも言い訳が出来ない。

 だが、あえて言い訳をしたい。私はマイクロソフトIМEを使っている。いつものように先に本文を書いて最後に表題をつくった。ここの最期の変換で間違いが生じた。
 ずっと同じ変換をしているのに、突如として別の変換候補がトップに出てきてしまう頻度が高い。文章を作っている私は当然前の変換候補がトップに出てきていると思い、そのまま確定するのである。
 私が最後に点検しなくてはいけないのは重々承知をしているが、この動作には首を傾げている。

 今回の文章の「変換」についても、「誤変換」の次の「変換」についてははじめ「返還」が最初の候補に出て2番目の候補「変換」を選択した。今回は試しにいづれも助詞は使わずに変換した。
 2回目は「変換」がトップになった。ところが「変換候補」という熟語を2回続けたあとに出てくる「変換」については「返還」が第1候補に戻ってしまった。

 学習機能にどこか欠陥があるのではないだろうか、と恥ずかしながら申し添えたい。今回の文章、誤変換がないか、ヒヤヒヤしている。