Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

桜の季節 Ⅱ

2020年03月24日 23時46分12秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 それなりに冷えてきたような気がする。明日・明後日は特に予定が入ってはいなかった。久しぶりに外で呑んだので、明日・明後日は自重して外出は控えるのも悪くないかもしれない。
  先週は確かに私の具合があまりよくなくて、家に閉じこもっていた。ここ数日ウォーキングの歩数も少ない。
 妻と話をしていて、今年も墓参りの予定を立てていなかった。毎年この時期に花見を兼ねて出かけていたけれど、今年は難しい。来年はどうだろうか。

★うつむいて歩けば桜盛りなり      野坂昭如

 脳梗塞で倒れたあとの野坂昭如はお酒を断っていた。この句が記された日の前日に「歩いてきた分、帰らなければならない。帰りは桜を観るゆとりもなく、ひたすら地面を見て歩くのみ。」という記述があるとのこと。神田川沿いの桜を見ての帰りのことを記述しているらしい。不自由な体を押して、それでも桜を見に行きたかったのであろう。
 行きは上を向いて桜を目にしながら歩いたはずである。だが句となったのは桜が視界から消えて地面を見ているときに浮かんだ可能性がある。桜にかぎらず記憶に残る景色は、それを見ているときよりも、見えなくなった時、見ようとしなくなってから、より鮮明に思い出される。そんな記憶は私にもある。
 そして野坂昭如はその日記の最期に「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」とつづった。野坂昭如が体験し、見た戦争と戦後は晩年になればなるほどよりリアルに見えてきたのではないか。


充実した5時間

2020年03月24日 22時10分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほどまで横浜駅の近くの中華料理店で学生時代の友人と3人で楽しい時間を過ごした。3人とも理系、物理学と地質学。
 話は天文学から身近な河川の流路や考古学、そして新型コロナウィルスなど生物学までいろいろと飛躍する。理系の世界とはもう45年以上も離れている私には難しい話もある。同時に新鮮な世界、懐かしい世界が眼前に浮かんでくる。

 この友人関係はとても刺激的でうれしい。手放したくない。

 帰りは久しぶりにバスに乗車。


作業がつらくなってきた

2020年03月24日 21時53分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 10時から14時過ぎまで組合の会館で封入れの作業。130通の封筒に書類2枚を三つ折りにして入れるだけなので、当初一人で1時間半で終わるかと思っていたら、見通しが甘すぎた。たっぷり4時間の作業終了後は肩が凝ってつらかった。昨日に少しだけ手伝ってもらうなり、1名くらい応援を依頼すればよかったと反省。
 このような作業を一人で黙々とこなすと、だんだん内向きな思考に陥ってしまう。精神的には危険な作業である。130人は今年の退職予定の組合員で、退職者会への勧誘の一環である。目的があるので、張り合いがある。だから一人でも耐えられる。これが目的や獲得目標があいまいであると耐えられなくなる。人というのは微妙なところで精神の平衡を保っていると実感するのが、この種の作業である。
 自分たちの思いをビラにして、一枚一枚封筒に入れて送付する作業を18歳の頃から丸50年も続けてきた。18歳の頃はまだ楽だった。ビラの大半は翌日に大学の構内で配布をすれば30分もしないうちに2千枚以上は皆手にとってくれた。封入れは100枚程度で済んだ。
 20代前半に勤めてからは点在する職場向けに1000枚を、30部×30組と、1枚ずつ100部を作って配布した。
 30歳のころ、「俺は一生この種の作業から抜けられないのか」と思って挫折しかかったこともある。だが、不思議なもので40歳近くになったらこの種の作業がとても愛おしく感じるようになった。この種の作業が苦にならなくなった。
 しかし70歳の声を聞くようになると、ふたたびつらいと思うようになった。歳には勝てないと実感している。