Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

満月が美しい

2020年03月10日 23時20分59秒 | 天気と自然災害

 19時半くらいに雨がようやく上がった。一時はかなり強く降ったし、雷注意報まで出た。レーダー雨量計では雨の区域は県央部にわずかに残っている。しかし強風・波浪注意報はまだ解除されていない、南西風がとても強い。雨雲は無くなり、台所の窓からのぞくと狭い空に満月が見えた。

 友人から届いた分厚い手紙に目をとおしたり、「物語 スペインの歴史」を読んだり、買い物をしたりしているうちにいつの間にか夜になってしまった。

 家に閉じこもっているのはやはり性分に合わない。読書も目が疲れやすい状態なので、30分以上続けるとぼやけて見えるようになるので、無理はできない。手術後2カ月が経ち、眼鏡も新しくしたけれど、遠くはとてもよく見えるが、手元になかなか焦点が合わない。それでも今までよりはずっといい。

 22時過ぎにウォーキング出かけた。異常に暖かい。ところどころに雲があり、満月がその間を縫っていく。うしかい座のアルクトゥールス以外は月が明るくて分からなかった。

 


東京大空襲の日

2020年03月10日 21時32分17秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 コロナウィルスのニュースに霞んでしまったが、本日は75年前1945年にあった「東京大空襲の日」。東京の空襲はあわせて100回を超え、この日だけでも10万人がなくなり、罹災者100万人、罹災家屋27万戸とも言われている。
 日中戦争、アジア・太平洋戦争と、軍人以外の住民を無差別に殺戮する戦争犯罪が当たり前のように行われた。日本が戦地でおこなったさまざまの戦争犯罪、アメリカによる広島・長崎の原子爆弾投下、そして同じくアメリカの日本各地への無差別爆撃という戦争犯罪、これらの一連の戦争の傷跡はあまりに深く・大きな傷を残している。日米はじめ、戦争犯罪への断罪はきちんとなされなければならないが、戦後の国際政治の綱引きのなかで有耶無耶にされた。
 幾度でもいうが、どのような戦争犯罪もきちんと断罪すべきである。しかし同時にその戦争を始め、遂行し、そして終結できずに被害を食い止められなかった当時の政治家・軍人の責任もさらに重大である。

 この3月10日の東京大空襲を受けたのち、東京都長官と警視総監は
・罹災者の救護には万全を期している。
・都民は空襲を恐れることなく、ますます一致団結して奮って皇都庇護の大任を全うせよ。
と告知したという。
 磯首相はラジオ演説で、
・敵は、今後ますます空襲を激化してくる。敢然として空襲に耐えることこそ勝利の近道。
・断じて一時の不幸に屈することなく、国民が聖戦目的の達成に邁進することを切望する。
と述べた、といわれている。
 満足な手当ても行われず、東京からの疎開も制限され続け、被害を拡大させ、爆撃に国民をそのまま晒したのである。空襲に対して「逃げずに(バケツリレーで)火を消せ」という方針を変えなかったのである。こののち4月2回、5月2回の大規模空襲でさらに被害が大きくなった。

 こうして国民の犠牲を拡大し、他の大都市の空襲、沖縄戦、広島・長崎の原爆へと一億層玉砕、敗戦への道を突き進んでいく。このときの日本の政府・軍部の責任もまた重大である。

 さらにこの米軍の無差別爆撃の戦術思想はベトナムでの北爆・枯葉作戦へと続くのである。


「春の雨」にしては強い‥

2020年03月10日 17時53分01秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 1時間半ほど前に雨がほぼやみそうな気配になったので、散歩がてら近くのドラッグストアに出かけた。散歩といってもわずかに降っているので傘はさして。しかしかなりのスピードで歩いた。
 ドラッグストアには未だマスク、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、消毒用アルコールの棚は空っぽ。妻に頼まれた食材を数点購入して帰宅。
 店を出ると雨が強くなっていた。家に着くころには傘にかかる雨の音も強くなり、買い物袋からも滴が垂れていた。
 現在も20ミリを超える雨が続いている。風は南西から北東に変わり、相変わらず生暖かく不快である。17時半には横浜市域に大雨・強風・波浪注意報になった。

★捨て鍬の次第に濡れて春の雨      山口青邨
★ままごとは砂にそのまま春の雨     庄司たけし
★春雨を髪に含みて人と逢う       岸田今日子

 第1句は以前にも取り上げた記憶があるが、もう一度。時間の推移にいろいろな物語を想像したくなる句である。
 第2句、放置されたままごとの皿や器が春の雨に濡れている。雨に慌てて家に帰ったのであろう。その時間が春の暖かみを含んでいる。
 第3句、岸田今日子は岸田國士の娘で俳優。春の雨は降っているかいないか、くらいの細かな雨のことという。しかし「人に逢う」は当然にも男であろう。これ以上は言わないことにしよう。


日曜美術館で喜如嘉の芭蕉布

2020年03月10日 11時14分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日も朝から雨。午前・午後ともに降水確率70%。県内も市内もまだら模様に雨の区域が散らばっている。雨の区域はほぼ1ミリ未聞の表示。ところどころ5ミリ未満の表示もあるが、ごく狭い。雨の区域は南南東から北北西にゆっくりと移動中である。

 昨日録画しておいた先週の日曜美術館で放映していた「喜如嘉(沖縄県大宜味村)の芭蕉布」を見た。前半部分を見ていなかったが、今回は45分をとおしてみることが出来た。

 1986年に建てられたという大宜味村立芭蕉布会館を訪れたいと思っている。同時に沖縄県立史博物館・美術館、那覇市立歴史博物館でも展示があるとのこと。後者は訪れたことがあるけれど、芭蕉布の展示に眼が行かなかった。浴衣を購入することはできないが、芭蕉布で作ったブックカバー等を手に入れたいと思った。そのような品はあるのだろうか。
 退職者会の友人たちと幾度か沖縄は訪れたが、この2年、私自身の病気や親の病気で参加できなかった。ふたたび沖縄に行く機会があればぜひ訪れたい。

  番組の紹介では

「涼やかな風纏う布・芭蕉布。より薄く、より軽く、沖縄県喜如嘉の女たちは、蒸し暑い琉球の風土の中で“トンボの羽”ような布を求めてきた。500年の伝統の秘密を追う。涼やかな風纏(まと)う布・芭蕉布。沖縄県喜如嘉の女たちが守ってきた布作りの技は、蒸し暑い琉球の風土の中で生まれてきた。3年かけて糸芭蕉を育て、繊維を取り出し、一本の糸22000回繋ぐことで一枚の布が出来上がる。より薄く、より軽く、喜如嘉の女たちは、まるで“トンボの羽”ような布を追い求めてきた。沖縄戦で途絶えた技を、戦争で夫を亡くした女たちが復活させた悲劇の歴史。500年を越える伝統の技の秘密を追う。【司会】小野正嗣,柴田祐規子」

と紹介されている。

  [⇒https://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2020-03-08/31/15982/1902834/]