Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

シクラメン

2020年03月26日 22時07分10秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★燃えつきし焔の形シクラメン      田川飛旅子
★シクラメン花のうれひを葉にわかち   久保田万太郎
★燃えるてふ白のあるなりシクラメン   芳野年茂恵

 シクラメンは別名を「篝火花(かがりびばな)」という。明治になって渡来した花で、当時の人は焔の姿を連想したらしい。確かに長く持つ花である。
 花の咲いている時期は長いにも拘わらず、燃え尽きる直前の明るさを思い出させる。それは直接焔の形、というのではなくどこか頼りない儚さを醸し出しているからである。細い茎がそんなイメージをもたらしてくれる。
 温室栽培でクリスマスの時期に盛んに店頭に並ぶが、もともとは春の花。白や赤や赤紫などの色があるが、どれもが陽にかざすと透けて見えて別の花のようになる。それが私にとっての魅力のひとつである。先端の雌蕊の白も魅力である。


横浜でもスーパーは混雑

2020年03月26日 18時18分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 私の用事が済んでから、近くの私鉄の駅で妻と待ち合わせ。いつものように3件のスーパーをまわり、買い物に付き合った。
 広い大きめの店、中規模ならびに小規模の店と順番に回る。店を出るたびに私の持つものは少しずつ重くなるのがいつものパターンである。

 最初のスーパーに入ったのが15時くらい。すでに店は混雑しており、レジの前にはそれぞれ10人以上が並んでいた。我が家はいつものとおり籠に4分の1程度の品物を購入したものの、他の客は籠からあふれ出るように購入していた。みな買いだめのようである。
 個人がいくら買いだめしてもそれは「買占め」とはならない。少しの不安で、家庭のやりくりの規模での買いだめでしかない。不安が少しでもあるとこの買いだめにあれこれいちゃもんをつけても意味はない。買いだめをする不安を解消するのは安心感と明るい見通ししかない。
 このスーパーでは、お米と袋入りのラーメンの棚が空になり、肉類がほとんど売れてしまっていた。

 次の中規模のスーパーはより駅に近いこともあり、ふだんから人は多い。野菜を籠に4分の1くらい買うためにレジに向ったら、各レジ15人くらいも並んでいた。このスーパーでは初めての経験であった。妻はすぐに購入をあきらめて、籠にいれたものを棚に戻した。ここら辺の執着心のないところがいかにも我が家らしいところかもしれない。

 3軒目の小さなスーパーもレジの前に10人ほど並んでいたが、レジ1台に割り振ると3人ほど。ここで一番たくさん購入。持参した袋で3つ分。この量が向こう5日分ほどのいつもの買い物の量。

 だが周囲がいろいろと買い急いでいるとついつられてしまいそうになる。パニックとはまではいかないが、買いだめの心理の一端を垣間見たような気がする。
 お年寄りの女性たちが「あなたも来たの?」などと会話をしながら、「なくなると心配だから」とお互いに競い合うように食材や菓子類を籠に放り込んでいく。こうなると買いだめをするつもりはなくとも買いだめをする知り合いにつられて購入してしまうのであろう。
 何事にも醒めている妻は、そのような心理とはいつも無縁。わが道を行っている。私の方が喧騒につられそうになってしまう。

 3件のスーパーをハシゴしてから、近くの広い公園でのんびりと3部咲きの桜を見、小さな喫茶店で一服してから帰宅。


天気は上々だが‥

2020年03月26日 12時17分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中の時間は特に何かをするわけでもないのに、あっという間に過ぎていく。本日も若干のメール作業やパソコン内の文書の整理をしているうちにもう正午を過ぎてしまった。
 所用があり、どうしても出かけなくてはいけない。金融機関をまわる必要もある。天気は上々なので、この季節、外に出ないというのはそもそももったいない。
 昼食が終わったらすぐにでも出かけなくてはいけない。

 昨日の都知事の会見後、夜間営業しているスーパーは買いだめのために店に行列が出来ているらしい。この先どうなることやら。