Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

物言わぬは腹ふくるるわざなり

2020年03月25日 21時44分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 東京五輪はとりあえず延期になったものの、しかし決断があまりに遅い。何度でもいうが、撤退するならばその決断は早ければ早いほど傷は小さくできる。愚図愚図すればするほど、傷は深くなる。優柔不断と無能力・無責任は紙一重である。特に司令塔にいる人の優柔不断は多くの犠牲を出す。
 自ら決断して国際世論を動かすことなどとてもできないことがあらわになっている。

 ある意味では小池都知事が漏らした「ホッとした」は本音にも聞こえる。新コロナウィルスの状況がいよいよまずい方向になりかけていたために、これ以上オリンピックのために無理を重ねることの厳しさを感じていたのであろう。
 しかしタヌキである。新コロナの厳しい状況を発信するのが、「都民ファースト」であるはずなのだが、「オリンピックファースト」でしかなかった。それも「選手ファースト」でもなかった。政治家としてはとても評価できない、と思う。

 またこの政権は小池都知事とタッグを組んで非常事態宣言を出せると踏んでいるのか。自らの政治的野望にコロナもオリンピックも利用しつくそうとしている。

 再燃した森友疑惑=財務省「汚職」がうやむやになってはならない。安倍も麻生も再調査は拒否、よほどその疑惑を自覚しているのであろう。追求の手を緩めると「その恩を仇で返される」。
 魯迅に「水に落ちた犬を打つ」という言葉がある。「『フェアプレイ』は早すぎる」(1925)に出てくる。この犬は愛玩犬ではない。「走狗」「権力にしがみついて保身を図るもの」「権力におもねるもの」の謂いである。また「それらのものを操る権力者」と理解も出来る。
 このようなものが大手を振っていることはあまりに情けない。「物言わぬは腹ふくるるわざなり」である。おおいに「物言い」が必要である。

 


午後は何となく‥

2020年03月25日 19時37分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午後は読書タイム、といってもベッドで横になりながらの読書だったので、ときどきうつらうつらしていた。昨日の作業はそれなりに集中したので、疲れた。一人での作業というのは根を詰めるし、つい長時間休みなしでこなしてしまうのが、良くない。

 現役時代も日曜出勤して一人で集中して仕事をするととても疲れたことを思い出した。通常の4時間の作業の倍以上の成果はあるが、疲労は3倍近かったのではないだろうか。月曜の出勤がことのほかつらかった記憶がよみがえってきた。やはり時間外勤務というのは良くない。

 さらに昨日のワイン、それなりに効いた。飲みすぎたという認識は皆無なのだが、普段あまり飲まないお酒だったので、気がつかずに飲みすぎていたのかもしれない。

 外出自粛、というよりも外出しても行くところがないと体を動かさないでストレスが溜まる。ウォーキングなど外で体を動かすことにさらに自覚的にならないといけない。

 


「さくら」の時期は忙しい

2020年03月25日 15時12分35秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昼前に親の付き添いで近くの病院に出向いた。昨日とは違って風もなく穏やかな日和。とても暖かい。帰りは着ていった上着を脱いで歩いた。

★花の昼動く歩道を大股に        佐々木峻

 なかなか面白い句だと思う。川柳的な要素もある。
 花見でごった返している桜の並木を遠望できる「動く歩道」、その動く歩道からも桜を見ようと多くの人が桜の見える方向を見ている。そこの人混みを縫うように足早にすり抜けていくサラリーマン諸氏。年度末か年度初め、仕事は慌ただしい。
 花に目を奪われている人間からすると、何と無粋で、しかも危ない歩き方に見えるのであろう。もう少し心のゆとりを持てよ、などといってしまいたくなる。しかしそういう人も明日になれば、人混みをかき分けて仕事の時間に合わせて走り回る羽目になるのだ。
 ここで詠まれている「大股の人」にとっては忠告を受ければ受けるほどに、イライラして「それどころではないわい」と余計にストレスをためてしまう。電子メールが飛び交い、テレワークが増えようとも、人びとの動きは際限なく複雑に早くなる。どこかでこの人のようにコマネズミのように動かなければ、仕事は完結しない仕組みになっている。この人ほどの被害者はいないのである。
 こんな言い方もある。「急ぐときほどゆっくり歩く」これが「成功」するサラリーマンなのだそうである。だがこのゆっくり歩く人も、この大股で急ぐ人がいなければ「ゆっくり歩く」ことができないということを忘れては、人の上には立てない。
 この作者は「桜嫌い天皇嫌いで御所抜ける」という句も作っているという。なかなかに忙しい人なのだろうか。

 何とも忙しい世の中になったものであることか。いやいや江戸の昔から忙しい人はいたのだろう。いつもかわらぬ世の中である。