Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「花を奉る」(石牟礼道子)

2020年03月23日 21時54分39秒 | 俳句・短歌・詩等関連



 こんな詩がある。石牟礼道子と藤原新也の対談「なみだふるはな」(河出文庫)をたまたま書店で見つけた。条件反射のようにその場ですぐに購入。
 まだあの大震災が起きたばかりで、状況も正確には把握できない厳しい状況下の2011年6月13日~15日までの3日間の両者の対談を収めてある。その巻頭に二人の文章が載っている。
 解説は伊藤比呂美の「死を想う」。

   花を奉る      石牟礼道子

春風萌(きざ)すといども われら人類の劫塵(ごうじん)
いまや累(かさ)なりて 三界いわん方なく昏し
まなこを沈めてわずかに日々を忍ぶに なにに誘(いざな)わるるにや
虚空はるかに 一連の花 まさに咲(ひら)かんとするを聴く
ひとひらの花弁 彼方に身じろぐを まぼろしの如くに視(み)れば
常世なる仄明りとは あかつきの蓮沼にゆるる蕾のごとくして
世々の悲願をあらわせり
この一輪を拝受して 寄る辺なき今日の魂に奉らんとす
花や何 ひとそれぞれの 涙のしずくに洗われて 咲きいずるなり
花やまた何 亡き人を偲ぶよすがを探さんとするに
声に出(いだ)せぬ胸底の想いあり
そをとりて花とはし 未灯りにせんとや願う
灯らんとして消ゆる言の葉といえども
いずれ冥途の風の中にて おのおのひとりゆくときの
花あかりなるを
この世のえにしといい 無縁ともいう
その境界にありて ただ夢のごとくなるも 花
かえりみれば まなうらにあるものたちの御形(おんかたち)
かりそめの姿なれども おろそかならず
ゆえにわれら この空しきを礼拝す
然(しか)して空しとは云わず
現世はいよいよ 地獄とやいわん
虚無とやいわん
ただ滅亡の世せまるを待つのみか
ここにおいて われらなお
地上にひらく一輪の花の力を念じて 合掌す
               二〇一一年四月 大震災の翌月に

 藤原新也は巻頭に「ふたつの歴史にかかる橋」を書いている。

 ふたつの歴史にかかる橋     藤原新也

一九五〇年代を発端とするミナマタ。
そして二〇一一年のフクシマ。
このふたつの東西の土地は六十年の時を経ていま、共震している。

効率を先んじ安全を怠った企業運営の破綻。
その結果、長年に渡って危機にさらされた普通の人々の生活と命。
情報を隠蔽し、
さらに国民を危機に陥れた政府と企業。
罪なき動物たちの犠牲。
母なる海の汚染。

歴史は繰り返す、という言葉をこれほど鮮明に再現した例は稀有だろう。
そのふたつの歴史にかかる橋をミナマタの証言者、
石牟礼道子さんと渡ってみたいと思った。

 解説「死を想う」で伊藤比呂美は、

「石牟礼さんは、聖者というよりは詩人である。しかしながら、幻影(俗)と覚醒(聖)、そのふたつの岸にかかる細い強靭な綱をしっかりとした足取りで渡って歩きながら正気を保っていたのが石牟礼さんだったのかなと思う。そして藤原さんもまた、ここでは石牟礼さんに伴奏しながら、八〇年前のリアルから二〇一一年のリアルに、二つの岸にかかる命綱を渡り歩きながら正気を保っている聖者みたいな存在に思えた」

と記している。

 肝心の二人の対談にはまだ眼をとおしていないが、早く目をとおしたい本である。
 


外出自粛を考慮することなく・・

2020年03月23日 18時27分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 17時過ぎに帰宅。会議と作業終了後の懇親会は少人数でおこなっているようだが、私は本日は初めて参加せずに帰宅した。
 全体の作業と会議は終了したものの、私の担当の分の作業が少しばかり残った。他の方に手伝ってもらうことも考えたが、本日はくたびれたし、一端自宅に戻って資料を打ち出す作業が必要であった。ということで、明日午前中に再度組合の会館に行くことにした。昼前には終わるはず。
 明日、15時からは学生時代の友人と横浜駅近辺で落ち合う予定。地下街や人が集中すところを避けて3人でゆったりと話が出来るところがないだろうか。

 血圧がなかなか思うように安定しない。先ほど帰宅後30分位安静にして測定したが高め。朝食後に薬を服用しており、一カ月前までは夕食前には基準値内に落ち着いていたのに、何が原因なのだろうか。

 まずは明日の午前中の作業のための資料の打ち出しを夕食前に終えたい。


会議と作業と

2020年03月23日 14時39分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

朝9時半から退職者会の幹事会の準備作業と会議と作業の連続。
ようやく最後の会議。
15時には終了予定。あと片付けが終わるのは15時半くらいと思われる。
早く帰宅したいと思うが許してもらえるだろうか。