Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ツバキの不安

2020年03月30日 23時44分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★みな椿落ち真中に椿の木        今瀬剛一
★椿的不安もあるに井の蓋は       小川双々子

 まったく傾向の違う俳句だが、おもしろいと思った。
 第1句、赤か白か、花が咲きそろっているときのツバキは実際の樹形よりも少し大きめに見えるのであろう。赤いツバキなら膨張職でもあるので実際に膨らんで見えるかもしれない。白いツバキであっても葉影が暗いので白い花は目立って樹形がより大きく見えると思う。
 花が散ってしまうとツバキは確かに少しばかり小さくなったように見える。それは他の樹木でも同じかもしれない。しかし咲いているときの形そのままに下に積もった花を従えてツバキの樹形を見ると、「真中に」すっと立っている樹形にハッとする。
 第2句、「椿的不安」とは、多分ポロっと突然に頭が落ちてくるように花が落ちてしまうという恐怖に近い不安をツバキの花に感じたのではないだろうか。もうひとつ、私は小さい頃庭に古い井戸があり、ポンプはすでに朽ちて取り払われていたけれど、コンクリートの枠がのこり、木の板の蓋が使われなくなった井戸の枠に掛けられていた。草に埋もれていた。
 親からは「危ないから絶対に蓋を取って覗いてはいけない」ときつく言われていた。たまたま隣の中学生が蓋を捲って井戸の底を見せてくれたことがある。暗い底に自分の顔が映っていて、底知れない不安を感じた。板を捲ると奈落の底のような不安感は今でも記憶している。
 そんな古井戸を巡る不安と、ツバキの花の突然の落果という不安、これが私には結びついた。                                          


久しぶりに横浜駅を利用

2020年03月30日 23時02分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午後は妻と近くのスーパーに出向いて安売りの食材を購入しようとしたが、すでに売り切れてしまい、無駄足となった。私は横浜駅経由で夜の講演会の会場に向かった。横浜駅はいつも程度の人出だったと思う。そして関内での講演会の内容はとても勉強になり私としては満足。
 講演会の終了後5人ほどでいつもの居酒屋に出向いた。普段は多くの客でにぎわう広い店内にわずか3組の客。これでは商売にならないのではないかとわれわれ客の方が心配してしまった。
 この店、ランチタイムはサラリーマンでいつものとおりの混雑であったらしいが、夜は客が来なくなったようだ。みな家に早めに帰宅したと思われる。我々も1時間半ほどで終了して先ほど帰宅。

 行きも帰りも横浜駅で乗り換え。

 明日はみなとみらい地区で安売りの日用品の購入をめざして、出かけるとのこと。荷物運びの指令が出ている。

 


坂道の多い街

2020年03月30日 12時01分15秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 昨日の雪はすっかり融けてくれた。横浜では多分明け方の路面凍結の事態もなかったと思われる。まして横浜市の地理的特徴の一つが丘の多いということである。当然道路は起伏が多い。

 日本列島の地理的状況を考えれば、山・坂の多い場所が当たり前である。その坂に沿って人がさまざまに活動して歴史を刻んできた。
 私の長く住んだ函館も坂が有名であった。その時は五稜郭の近くで平坦だったが、函館山に近い方に行くと、坂がきつくなった。観光地はそちらの方が多かった。学生時代の仙台では大学のキャンバスも下宿・アパートともに山の方であった。ずいぶん足腰を鍛えられた。
 横浜市内で転居したのは谷底の分譲地から丘の上の団地。しかし普段の往復のことだけを考えれば同じである。出掛けに坂を上るか、帰りに坂を上るかの違いでしかなかった。水害のことを考えれば谷底と丘の上では大きな違いはあるが、そこまで私の考えは及ばなかった。そして通った小・中・高校いづれも電車の駅からはかなり高い丘の上であった。
 長年勤めた二つの区も、山と坂の多いところであった。それが区の特徴になっていた。

 2年半住んだ川崎だけは平坦な地域で、今思えば随分楽であった。今度60年近く前に住んでいた辺りをもう一度歩いてみたいものである。
 10年近く前に行ってみたが随分変わっていた。むかし豆腐店・肉屋・八百屋などのお使いにいつも行かされた商店街は区役所の庁舎が建っている。父親の勤めていた会社の長屋の社宅はマンションになっていた。10年前は通りかかっただけだが、今度はじっくりと歩いてみたい。