加藤楸邨の第6句集「野哭」の「流離抄」(1945年5月~1946年7月)から。
「野哭」の冒頭には次の句が掲げられている。
この書を今は亡き友に捧げる
★火の中にしなざりしかば野分満つ
「火の中に死なざりし」は加藤楸邨が戦争末期東京に残り、空襲の被害に遭いながらも生き延びたことをいう。友の多くは戦地で、あるいは空襲で亡くなったことをさしていると思われる。
★一本の鶏頭燃えて戦終わる
★かくかそけく羽蟻死にゆき人餓ゑき
★飢せまる日もかぎりなき帰燕かな
★雉子の眸のかうかうとして売られけり
1945年の8月15日から年末までと思われる句の中から4句選んでみた。
第1句、赤い鶏頭の葉に、空襲の記憶が投影されていると思った。
第2句、かそけくある羽蟻は「戦争で亡くなった人々」と「戦後の飢えにくるしむ人々」が二重に重なって迫ってくる。
第3句、「国破れて山河あり」と詠嘆する状況にはない戦後の飢えの時期、生身の人間が剥き出しに生きるために駆けずり回る混乱と、飢えの厳しい現実が浮かび上がる。
第4句、死んで吊るされた雉子の生命のありように身震いをするような厳しい句である。たが「戦後の闇市」という場面設定をするとさらに飢えて「食らう」人間と「食らわれる」雉の生々しい対面も見えてくる。戦後の厳しい「生」の場面が浮かび上がる。私もはじめてこの句に接した10代後半の時、戦後闇市という場面設定については教えられなかった。そのことを知ったのは残念ながら20年ほど前、偶然に。