Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「野哭」(加藤楸邨)から

2020年03月31日 22時41分49秒 | 俳句・短歌・詩等関連

加藤楸邨の第6句集「野哭」の「流離抄」(1945年5月~1946年7月)から。
 「野哭」の冒頭には次の句が掲げられている。

 この書を今は亡き友に捧げる
★火の中にしなざりしかば野分満つ                          

 「火の中に死なざりし」は加藤楸邨が戦争末期東京に残り、空襲の被害に遭いながらも生き延びたことをいう。友の多くは戦地で、あるいは空襲で亡くなったことをさしていると思われる。

★一本の鶏頭燃えて戦終わる
★かくかそけく羽蟻死にゆき人餓ゑき
★飢せまる日もかぎりなき帰燕かな
★雉子の眸のかうかうとして売られけり

 1945年の8月15日から年末までと思われる句の中から4句選んでみた。
 第1句、赤い鶏頭の葉に、空襲の記憶が投影されていると思った。
 第2句、かそけくある羽蟻は「戦争で亡くなった人々」と「戦後の飢えにくるしむ人々」が二重に重なって迫ってくる。
 第3句、「国破れて山河あり」と詠嘆する状況にはない戦後の飢えの時期、生身の人間が剥き出しに生きるために駆けずり回る混乱と、飢えの厳しい現実が浮かび上がる。
 第4句、死んで吊るされた雉子の生命のありように身震いをするような厳しい句である。たが「戦後の闇市」という場面設定をするとさらに飢えて「食らう」人間と「食らわれる」雉の生々しい対面も見えてくる。戦後の厳しい「生」の場面が浮かび上がる。私もはじめてこの句に接した10代後半の時、戦後闇市という場面設定については教えられなかった。そのことを知ったのは残念ながら20年ほど前、偶然に。


「図書4月号」から その2

2020年03月31日 20時00分33秒 | 読書

 いつものように覚書として。

・「風の谷のナウシカ」に響く声    赤坂憲雄・三浦しをん
「<赤坂> (宮崎駿さんは)ナウシカのイメージの源になったものは‥ギリシア神話に登場する「ナウシカ」と、「堤中納言物語」の「虫めずる姫君」です。「虫めずる姫君」は「本地を尋ねる」精神のありようが愉快なのだ、つまり、花や蝶の表に現れた美しさではなく、それ以前の蕾や毛虫までさかのぼって本質を考えなくてはいけない、それこそが楽しいのだと‥。マンガ版のナウシカは、まさに「虫めずる姫君」のように、非常に知的で聡明な探究者です。その部分を宮崎さんは徹底して描き込み、小さな現象を集めて世界の謎を解き明かす役割をナウシカに背負わせる。ナウシカが少女戦士と読まれることへの宮崎さんの抵抗感が、大きくこの物語を変えていったのだと思います。」
「<三浦> ナウシカは、戦闘だけではない「戦い」をしている女性なのだと思います。強い探求心を持つ人物が冒険をし、‥ついに世界の深淵に触れる、そうした物語の型はこれまでもありましたが、「ナウシカ」のように女性が主人公のものはなかなかありません。」

「<赤坂> 宮崎さんはマンガの中で、声として表に出ている言葉を、吹き出しやコマ割りを工夫して描きわけていて、ナウシカ自身の声も多声化されていますよね。」
「<三浦> 「ナウシカ」の吹き出しの処理は、マンガの文法から外れてるなと思っていました。吹き出しのしっぽの向きからすると、しゃべっているはずのない人がしゃべっていたり、物理的な音声として伝えているのか心の声なのかが曖昧なものもあったりで、そこがまた、すごく面白い。」

「<赤坂> 神話的想像力というものが、古代や原始の時代ではなく、われわれの時代にもいきているとしたら、マンガがそうしたものを表現する媒体になっているのでしょうね。」
                                       
・二〇一九年秋の回想的断章 --非対称性をどうするか    片岡大右
「関係の非対称性に還元されることのない何かの存在を、この非対称性がたしかに内包する暴力的次元を正当化することな、どのように証していけばよいのか。」

・プルーストの謎           吉川一義

・ことわざの森に出かけてみよう    藤村美織
「「言葉一つは黄金百より重い」(ブータンのゾンカ語のことわざ)」                        

・黄色い本のあった場所(1)      斎藤真理子


「図書4月号」から その1

2020年03月31日 12時02分45秒 | 読書



いつものように覚書として。

・水の夢 1            司  修
「家族三人の中に、見知らぬ男が入っていて、私の「夫」であるといいます。妻も娘もそれは認めていて、「夫」は私の書棚の本を売りはらい、やたらと研究書を買い、四六時中読書です。‥「夫」は書斎を実験室にしてしまい、ドアから無臭の煙を出すようになりました。私はその煙を吸うと、近くの川辺を歩かなくてはならなくなりました。‥ついに川に落ちてしまうのでした。‥‥T氏は、何気なくハリガネ虫の話ををしてくれたのです。カマキリに寄生するその虫は、カマキリを殺さぬようほどほどに栄養をとりながら育ち、受精産卵期を迎えると、ある物質をカマキリの脳に送り込んで、カマキリが川辺に近づいて落ちるよう操作するというのです。水の中でハリガネ虫はニョロニョロとカマキリのお尻から出て、産卵行動をとるらしいのです。私はハリガネ虫の仕組みが、原発とその利益の構造に似ていると思ったのでした。」

・幻の松林             野見山暁治
「この先、どうやって生きてゆけばよいのか。砂丘のゆったりとした凹みに、いくらか体を埋めて、丘陵をおおったこの松林がどこまで続いてくれれば、と願っていた。‥戦地で、まったくの廃品となったぼくは、ソ満国境の置き忘れられたような陸軍病院の一角に、漂流物のようにしがみついていた。生死の争いが、日々ぼくの体内で過ぎていったのか、本人にはもう関連のない時間帯だったのだろう。それまでぼくのいた兵舎には凍てついた絶壁が、すぐ目の前に立ち塞がり、見渡すかぎり続いていた。ソ連領。壁面の随所にあけられた穴ぼこの暗い影からは、銃口が一斉に、その遥か下で動いているぼくたちに照準を合わせているはずだった。‥ほぼ垂直なその岸壁をよじ登り、そのどこかでぼくは射抜かれ、はるか下を流れる川に落ちてゆく姿を、病室の壁にありありと見ていた。‥つい先ごろ何気なく歩いていて、松林の中に踏み込んだ。あれほどに泌々と、体ごと入り込んだ今わの景色とは、違うのは間違いない。ぼくは生きていたのか。あれはずっと昔のことだ。ぼくが大人になりかけた頃。嘘だろ。じゃあ、それまでの長い歳月はどこへ行ったか。」