Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

連休の過ごし方

2023年08月11日 23時06分34秒 | 読書



 本日は山の日という新しい休日。少なくともこの3日間は繁華街には出向かないほうが良い、という。先ほど記載したように人混みに飛び込んでいくようなものである。家電量販店もいかにも混雑している気配がした。有隣堂もレジには店の外まで人がかなり並んでいた。やすい喫茶店でも本を熱心に読んでいる私の年齢に近い人がかなりいた。教科書を広げている中・高校生もかなりいて、店は混雑。百円ショップも身動きが取れなかった。
 電気代の高騰を考えれば、喫茶店で涼みたいがあまり歓迎されそうもない。致し方ないと思うが、時間を指定する喫茶店もある。図書館も涼しくていいが、椅子がごく少なく、少々遠く、そして私は図書館というものをあまり好まない。少々遠くてもいい運動だ、と思わないのがいけない。美術館・博物館も昨日のような混雑では、とても行きたくない。

 ということで、明日の予定が思いつかないうちに入浴タイムとなってしまった。明日のことは明日考えるしかない。


飛び込んでしまった人混み

2023年08月11日 21時48分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 登山用の杖をT型の杖を突いている。数日前に先端の硬質ゴムが破損したらしく、先端の鉄部が露出してしまった。かたいタイル舗装やビル内、地下街などでは先端が滑りとても危ない杖となってしまった。
 みなとみらい地区の山の用品店で修理ないし、先端の硬質ゴムのキャップを探しに出かけた。しかし横浜駅からみなとみらい線に乗る時、ホームの込み具合や、人々の出で立ちに何か異様を感じた。みなとみらい駅に着いて仰天。そのホームから人が溢れそうな具合、改札を出てからの身動きできないような混雑、頭にポケモンの形のキャップをした子どもや若いカップルなどでごった返していた。便所も長蛇の列で断念。
 目当ての山の洋品店では親切な店員が硬質ゴムのキャップを探し出してきてくれた。わずか300円余で購入した。しかしあくまでも応急用。扱っているメーカーの杖ではないので修理はできないとのこと。これはちょっとがっかりしたが、それでもしばらくはこの硬質ゴムのキャップで安全に使えそうである。
 店を出てみてようよく異様な混雑の原因がわかった。ポケモンのイベントが行われていたらしい。改装中の広い横浜美術館前の広場はぎゅうぎゅうの混雑。皆思い思いにポケモングッズを身につけた小さな子ばかりか、若いカップル、そして中年のカップルまでまじりあっていた。中には私よりも明らかに上の年代の80代に見える老夫婦も二人で写真を撮っていた。ポケモンなどまったく興味のない私のような老人が一人で歩く場所と時間ではなかった。

 所用が済んだのち、みなとみらい駅に戻っても混雑の中を逆行するので、少し遠回りの道を探しながら横浜駅まで歩いてみた。さいわいビルの影が覆っている歩道が多く、汗はあまりかかずに横浜駅東口に辿り着いた。西口で一服してバスにて帰宅。
 よりによってこんな混雑の時間帯と場所に飛び込むとは想像もしてなかった。以降、夏休みの期間は目的の場所と時間について下調べをしてから出かけることにした。

 


「甲斐荘楠音展」 感想

2023年08月11日 21時03分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 甲斐荘楠音(かいのしょうただおと)という日本画家の名は、ツィッターの広告で私は初めて聞いた。広告にも出ているチラシに引用された作品はあまり惹かれなかった。NHKの日曜美術館でもその印象は変らなかった。
 何しろ歌舞伎や戦後の旗本退屈男などの時代劇にもまるで興味がなかった(今でも)私にはとても遠い存在に思える。
 しかし歌舞伎の「女形」になりきって何かを探り、作品に仕上げるという執念ということについては、惹かれる。多くの作品が展示され、時代劇の主人公が装う衣装のデザインに凝ったこだわりも感じたが、残念ながら私には共鳴するモノがなかった。



 作品の中で私の目をひいたのは、1931(昭和六)年頃という《椅子に凭れる女》である。当時のモダンな洋風の服装で女性を描いている。不安定で不自然な、多分あり得ないような姿勢で描いているが、黒を基調とする斜めの構図も女性の身体の無理な屈曲も表情も色合いも、そして筆致も新しい何かを求めていると感じた。
 柳条湖事件を契機として満州事変という名の戦争へ大きく政治も傾いた時期の作品である。いつもながら戦争への道、国内の経済・思想・文化統制と現実のギャップに私は驚く。私の想像力が足りないのかもしれないが、このようなモダンで、なまめかしい作品が描かれ、受け入れられていたこととのギャップが恐ろしいと思う。この翌年には5・15事件、5年後には2・26事件、7年後には国家総動員法が樹立される。
 この時期の画家の社会との関りについては手がかりとなるような作品が私の目には入らなかったので、よくわからない。画業の方向性で何か行き詰ることでもあったのか、総動員体制の成立直後からは映画界への転身となるわけであるが、そのあたりのことは残念ながら図録を購入するゆとりもなく、私の想像力は及ばない。



 ただ画家が最後まで手もとに置いていたという作品「畜生塚」と「虹のかけ橋」のうち前者は「椅子に凭れる女」の延長線上にあるような女性像が密集しており、とても気になった。
 題材は豊臣秀吉が養子秀次を自害させ、幼児、妻妾約30人を処刑して三条河原に埋めた残虐な事件である。描かれているのは女性だけで、それらの像は、従来の日本画に描かれ、また作者が描いてきた女性像とは違い表情も仕草もとても洋風である。初期に作者が影響をうけたというルネサンス期の西洋画の女性群像と見紛う。
 もう少し大胆な仮説も立ててみたいが、もっと勉強しないと独りよがりとなりそうなので断念。