Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

蒸し暑い

2023年08月05日 23時05分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 迷走台風の行方を案じながらテレビを注目。現在の予報はこの後九州を縦断となっている。まずは沖縄・奄美の被害が広がらないことを祈るしかない。

 明日は正午前に団地内の打合せがあるが、他の予定は今のところなし。本日は出かけたものの2000歩程度の歩行。明日はもう少し外歩きをしてみたい。久しぶりにフラワー緑道でも歩いてみたい。しかしこの時期、見頃の花は何であろうか。あまり生命力が旺盛で、これ見よがしの花はあまり好みではない。

 先ほどまで「晩年様式集」をちらほらと一つの章をとりあえず読み終わった。読書のスピードが遅いだけでなく、読解力も思考力も衰えていることを実感する。歳、もともとの能力、いづれもが当てはまりそう。暑さ、というのは外部の要因の所為にするようで、とりあえずは省いておくことに。

 これよりいつものとおり入浴と血圧・体温測定等々。寝る前が一番慌ただしい。しかし夕方から蒸し暑くなってきた。今晩は寝苦しい夜になりそうである。

 


台風6号

2023年08月05日 16時20分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 台風6号の進路と想定される被害が気になる。しかし横浜は快晴。正午前の33.8℃が表示されたままになっている。弱い南風が吹いている。それがかえって心地よく感じる。
 この暑い中、娘夫婦と親と妻と5人で昼食会。私と妻の誕生会とのことでご馳走になった。私は気がつけば72歳、10歳代から30歳代前半のころには想定もできなかった年齢である。また誕生日を祝う、という習慣に重きを置かない我が家である。私が誕生日を意識するのは、書類に生年月日を記入するときくらいである。娘の誕生日を祝ったことも娘には申し訳なかったと思うが、小学生くらいまでしか私には記憶にない。私の知らないところで、母娘でお祝いをしていた可能性は高い。それでも父親を憾んでいる様子はないのがありがたい。
 後期高齢者という言葉はあまり好まないが、その年齢まであと3年。この歳になると、来年どうなっているか、さらにこれから先どうなるか本人も当然ながらまったくわからない。
 慌てず、焦らず、ボチボチというところか。シャカリキになって何かを為すということは卒業している。


読了「図書8月号」

2023年08月05日 09時00分24秒 | 読書

 図書8月号を読み終えた。今月号で目を通したのは、次の14編。今月号は少々拍子抜けの文章が多かったが、いくつかはとても惹かれた。落差が大きかった。「広報誌なので」というならばがっかり。

・[表紙]ヨハネ・パウロ二世      杉本博司

・私の伯父さん           高草木光一

・銭湯のロマン           森見登美彦

・シグナルズ            中野 聡

・煙草について           原田宗典

・サルと文学―-日本動物期の世界  坂野 徹

・『クマのプーさん』を読みながら  司  修
 司修も大江健三郎のヒロシマノートのこの文章に引っかかったのかもしれない。引用個所はつぎのとおり。「自分の悲惨な死への恐怖にうちかつためには、生きのこる者たちが、彼らの悲惨な死を克服するための手がかりに、自分の死そのものを役立てることへの信頼がなければならない。そのようにして死者は、あとにのこる生者の生命の一部分として生き延びることができる。この、死者の賭けが・・・・」(「ヒロシマ・ノート」 Ⅳ「人間の尊厳について」)。
 大江健三郎の文章は、代名詞が何を指すのか、丁寧に類推しないととてもではないが文意がつかめない。この箇所、私も学生のころ理解できなくて、放り出しそうになった箇所である。今でも記憶している。そしてヒロシマ・ノートではあまり見かけないが、小説では不意の体言止めで読者の意識の流れを突然遮断する。いつも私はこれらの文章を前にたじろいでしまうのだ。
 これについては「晩年様式集」の感想でも触れてみたい。司修は体言止めまで利用しながらこの論考を書いている。追悼文としてはなかなか手がこんでいる。大江健三郎の小説の読み解きのヒントも隠されているようだ。

・中国古典の向きあうために     小勝隆一

・波                志賀理江子
津波の体験は、近代が一瞬でも壊れるとどうなってしまうのか、という経験だった。「死」がむき出しになって、素手で触れる距離にあったあの夜は、私に、恐怖のパニックを引き起こしながらも、これまでの「違和感」がなくなり、この事は絶対に覚えておく、と心に誓うような夜でもあった。
人間が死に近づけば近づくほど、もしかしたら絶望とは別の「知覚」の変化が訪れるのではないか、一人の体という器から己の「感性」が溶けだして、世界に素手で触れるような体験をしたのではないか。何かを能動的に、積極的に見る、見続けること。例えば、空や海を見続けることでどれだけのことが想起されるのか、ということなのだ。‥目で見ることが、自分の内と直につながり、私は支えている。今こうしてやっと自分の目を信じることができるような気がする。
 筆者は写真家で、東日本大震災時、宮城県名取市で津波に会い、避難所生活をする。そこであらためて自らの写真家としての目を意識する。いい文章だと思った。

・ふつうでいるために…という努力  山谷典子

・美術学校の精神的象徴してなかば公開制作された《悲母観音》  新関公子
フェノロサは東大で明治19年7月までの約8年間も政治学、理財学、哲学(史)を講じた。デカルトからスピノザ、スペンサー、カント、ヘーゲルにいたる近代哲学史だった‥。
悲母観音に描かれた球体の中の赤ん坊は天界から下界に下降する動き、つまり落ちていく人間の魂を示しているとすると、芳崖がプラトンの魂の輪廻転生と仏教図像とキリスト教における聖母子像を総合して悲母観音という、まったく仏教図像学にない新図像を生みだしたという考えに私は行きつく。
 「東京美術学校物語」の第8回目の論考である。これまで最初だけしか目を通さなかったが、少なくとも今回はとても説得力のある芳崖に与えたフェノロサの影響の解明である。プラトンの「国家」に出てくる「洞窟の比喩」と関連があるというのは初めて認識した。また岡倉天心の《悲母観音》解釈の誤謬も納得のできる指摘である。
《悲母観音》は美術学校の精神的象徴に相応しい東西の哲学宗教を総合する奇跡のような作だった。

・Brief Encounter         谷川俊太郎
恋人との別れを通して私は初めて他人というものの存在を実感したのです。

・ゆうやけ七色 狂言「猿座頭」   近藤ようこ

・モモとわたし           寺地はるな
忙しかろうがのんびりしていようが、自分の時間の使いかたに自分自身が納得しているかどうか。それが一番大事なこしなのではないだろうか。‥他人から勝手に生きかたの正解を決められてはかなわない、と常々思っているからなのだろう。