Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

久しぶりに間近で見た花火

2023年08月26日 23時11分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 久しぶりに花火を間近で見ることが出来た。花火の打ちあがる方向とは反対側には、本日の月齢10の月。一昨日が上弦の月(半月)であった。西の空は厚く黒い雲が遠望でき、強い雨が降っていそうであったが、見ていた場所は雲が切れ、雨の心配はなかった。夕陽が映えた遠くの入道雲が美しかったが、スマホのカメラでは小さく映っただけ。
 スマホで、固定もせずに花火を何枚も写したが、これ以上に鮮明なのはなかった。
 花火、はやりもあるし、新しいものもあり、年々の進化を見極めるのも楽しいというが、素人目にはただ珍しい、目新しいと思うだけ。作成する職人の苦労はなかなかわからない。
 花火は近くで見て、大きな音が少し遅れてドンと響く距離で見るのは迫力がある。一方で音はかすかで、地平線近くにしか見えない遠花火もまた風情があるものである。要するに何処から見てもうれしい。
 私の頭の中では、夏の終わりに見ることにこだわりがある。最近では冬の花火大会もあるらしい。それもおもしろいのかもしれないが、なかなか頭の中で受け入れられない。何事も柔軟に受け入れたいのはやまやまである。一度見る機会があれば美しい、と思うのかもしれない。そんな機会があるだろうか。

 花火大会を見に行くときも、帰りも電車はかなり混んだ。帰りのほうが少し難儀であった。

 


読了「万葉考古学」

2023年08月26日 14時23分05秒 | 読書

   

 昨日病院で一服しながら読み終わったのは「万葉考古学」(上野誠編、角川選書)。6名が執筆している。「おわりに」に本書の性格がよく現れている。
 「大宰府やその近郊で詠まれた「万葉集」の歌と遺跡が存在している場所が、重なり合っているような不思議な感覚を覚えていた。‥当時の人々見ていた水城はどのような姿だったのだろうか。土木工事にはどのくらいの人が従事し、どこからやって来て、どのような生活を送っていたのだろうか。生活のための物資や土塁の建設資材などは、どこからどんなふうに運ばれてきたのだろうか。残念ながら現在までの発掘調査では、水城を築造した「ヒト」の存在や生活感覚について考古学的にすべてが明らかになっているとはいい難い。つまり、まだわかっているようでわかっていないのだ。考古学的視点から、「万葉集」に詠まれた世界を語ることはできるのだろうか。一つの始点になるのは昭和59年(1984)、森浩一編の「万葉集の考古学」である。‥歌が詠まれた場所や空間の一部として捉え、考古学や歴史地理学などの成果と立体的な融合を試みる方法は有効であると考えられる。」(小鹿野亮)

 この「あとがき」の目的が果たされているか否かは別として、大変勉強になった書物であった。特に大宰府と松浦を扱った「第3章 神仙郷の万葉考古学」は地図も豊富で私の興味をかなり満たしてくれた。この種の試みが多くなることを願いたい。
 


花火大会

2023年08月26日 10時55分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は娘の住んでいる近くで花火大会があるとのことで、呼ばれている。ベランダからよく見えるらしい。何か夕食を購入してからお邪魔しに行くことにした。
 大勢の人出があるようで、電車の混雑を避けるためには、夕方早めに着くようにして、帰りは少し遅くに出るようにしないといけない。年寄り夫婦が快適に遠出をするにはいろいろと仕掛けというか、時間的なゆとりが必要である。

 遠出と言っても横浜駅から電車に乗れば20分程度で最寄り駅まではついてしまう。その程度でも二人揃って出かけるのが「遠出」の範疇になるのが悲しい。自分一人でも都内に出かけるのもだんだん面倒になってくる。これまで行動力が身上だった私も歳をとったものだと思う。
 高齢者が自動車を手放せなくなるというのはこういうところに原因があるのだろうか。免許のない私にはわからない。