ツクツクホウシは法師蝉ともいう。僧や仏の教えと突かず離れずの作品が多い。初秋の季語になる。蝉の中でも遅くまで鳴く。
小さめの蝉だが、「法師蝉」というにはけたたましい、というくらいに大きな声である。私などはよくもあんな大きな声が出るものだと、姿を見るたびに感心する。
★しづけさのきはまれば鳴く法師蝉 日野草城
★なきやみてなほ天を占む法師蝉 山口誓子
★わが倚る樹夏終れりと法師蝉 山口青邨
★忘れ去る悔のいくつか法師蝉 上田五千石
★法師蝉遠ざかり行くわれも行く 西東三鬼
第1句、これは法師蝉に限らず他の蝉に置き換えても成り立つことは成り立つ俳句であると思った。しかし葬儀の時、皆が静まってからやおら僧が経を唱え始めることを思い出した。法師蝉は蝉の季節の殿でもある。
第2句、これも蝉しぐれのふとした音の狭間のことと同時に、季節終わりのことかもしれない。そして葬送の時のように読経の響く音なのか。
第3句、私が法師蝉の句を探しているときに、一番気に入った句である。法師蝉が鳴き始めていよいよ秋が始まる、と宣言されたと感じたのである。蝉しぐれが途絶えた瞬間に、孤独な鋭い声が初秋の空に響き渡ったのではないか。空間的な広がりを感じる。
第4句、この句も気に入っている。夏の痛いような大気から秋の気配を感じる大気に変わり、人が少しだけ内省的になる瞬間を法師蝉の声で捉えたと思う。悔いのいくつかが法師蝉の声と同時に湧き上がってくる。
第5句、法師蝉はなかなか姿をみたり、捉えることがむずかしいという。「信仰」とはほど遠い私には、確かに僧も神官も禰宜も神父も牧師も遠い存在である。蝉の声が小さくなり遠ざかり行くと同時に我もまた信仰とは無縁の世界を彷徨い歩く。