Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

クーラーのカタログ

2023年08月16日 22時57分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夕食後は妻とクーラーの値段とパンフレットを見比べながら検討をしたが、カタログだけでは複雑で機能もよくわからない。字も小さく、結局お手上げ。後日実際に売り場で品定めをすることで、本日の検討は終了。目も肩も疲れてしまった。
 消費電力と機能だけでみると、17年前に購入した現在の機種とそれほど変わりはないように思われる。カタログの見方がわからないのが原因なのだろうか。
 現在のものが壊れたわけではないので、まだ時間的ゆとりはある。高い買い物なので、もう少し腰を据えて選択したい。

 目が疲れたまま「晩年様式集」(大江健三郎)を読み進めた。残りわずか。久しぶりに小説で、あまりに時間がかかりすぎている。読み終わってもすぐに感想を書くことは出来そうもない。しばらく熟成が必要かもしれない。熟せればの話だが。

 本日は相変わらず蒸し暑い中、これにて店仕舞い。明日はさらに暑くなる予報になっている。




 


筋肉の回復をはかる

2023年08月16日 18時39分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 本日も時々、ごく狭い円形上の強い雨の区域が点々と南北に延び、相模湾から上陸してくる。雨の区域は突如海と陸の境に現れることもあるし、相模湾から続いて来てそのまま上陸する場合とがある。降っても短時間で通り過ぎる。注意報を出したり、解除したり、気象庁の担当も大変だと思う。しかしサボるわけにはいかない業務である。
 午後、出かけようとしたら降り出し、しばらく雨の様子を見ていた。雨が止んでから外出したが、帰りもバスターミナルに出たら降っていた。発車してからすぐに降り止んで日が射した。

 行くときはバスには乗ったが、久しぶりに杖をつかずに横浜駅まで出かけて、家電量販店でクーラーの値段を調べてきた。帰りは、思い切って途中のバス停で降りて、15分ほど歩いて帰宅。杖をついて歩くとそれだけ楽だったこともあり、両方の太腿の筋肉がかなり衰えているのを実感。しばらくは筋肉の回復をはからないといけないと痛感した。
 実は両肩・両腕の筋肉もかなり衰えた。以前はウォーキングをしながら腕・肩・背筋の運動をしていたので、それなりに効果があったのだと思う。キーボードを打っていると、すぐに疲れてだるくなるのである。ウォーキングが出来なくなってすっかり腕・肩・背筋の運動もしなくなっていた。
 しかし急にウォーキングや両腕・肩・背筋の運動を再開して、やりすぎても意味はない。少しずつ回復をはかるしかない。


「戦後」という年号 追記

2023年08月16日 12時21分25秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 さて、昨日記載した『「戦後」という年号』で私は戦争責任・戦争犯罪については記載しなかった。「戦争だからお互い様」ではすまされない戦争犯罪が当事国同士で行われた。その最たるものが、日本の侵略地点での残虐行為であり、米軍の都市への無差別な絨毯爆撃であり、沖縄地上戦強行と今も続く軍事要塞化であり、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下であり、旧ソヴィエト・ロシアによる中国東北部・朝鮮半島への軍事侵攻とシベリア抑留・奴隷労働等々である。
 この戦争犯罪の責任追及が不能となってしまったことは、戦後の政治が米国追随か、旧ソビエト・中国追随かという不毛な二者択一になってしまったことの悲劇でもある。憲法擁護が「革新」、憲法否定が「保守」という捻じれもまた不思議な世界である。
 「戦後民主主義」とは「保守」も「革新」もその戦後の出発点の過ちを隠蔽したいという点で一致しているのではないか、というのが私が政治に関心をもった最初の出発点であった。同時に起きたチェコスロバキアへの旧ソヴィエト・ロシアを主とするワルシャワ機構軍による武力鎮圧がその思いをさらに強くした。

 これらのことはこれまでも記載したし、これからも追々まとめてみたい。