
図録の解説によると、雪村は会津の蘆名盛氏、三春の田村氏のもとをともに拠点として1500年代の中ごろに活躍したらしい。その頃の代表作として「呂洞賓図」があるとのこと。ここに掲げたのはチラシにも取り上げられた奈良の大和文華館所蔵の作品。
呂洞賓、というのは中国の仙人として人気が高いそうである。瓢箪と剣を持つ図像が一般的であるらしいが、この作品では壺と壺の蓋のようなものを持ち、龍の頭に乗って雲から現れた龍と対峙している。これは十六羅漢で龍を調伏する尊者が描かれている先例が中国にあるようで、呂洞賓が羅漢に転移しているらしい。
しかし手に持つ壺から小さな龍2頭が出現していることや、乗っている龍と上空に現われた龍との関係ははっきりしないようだ。仙人のイメージはこのように激しい気合や姿態とは違うようなので、雪村の独自の境地なのかもしれない。解説では呂洞賓が参禅して悟ったというときの逸話を象徴的に描いたという表現もあるが、果たしてどうなのであろうか。
乗っている龍はおとなしく水平を保って呂洞賓を支えている。呂洞賓も屹立して動きはなく、気合で天空から現れる龍と対峙している。壺からは雲ないし煙状の「子龍」が次第にその姿を明確にしつつあるような状態に描かれている。この「子龍」が何を象徴しているのかも分からない。新たに生れる龍を襲おうとしているのが上空の龍なのか、あるいは呂洞賓の分身として上空の龍と闘おうとしているのか、私の知識でははっきりしない。
私が一番気になるのは、登場する4頭の龍と呂洞賓の視線が交わらないということ。呂洞賓の両目は上空を睨みつけているのはわかるが、その視線は上空の龍と交わらない。視線は龍の顔とは交わらずに龍の尻尾の方向を向いている。上空の龍の視線も呂洞賓には向かわずに、右の方角を見ている。姿がはっきりしない「子龍」は2頭とも上の龍を見ている。そして呂洞賓の乗る龍は鑑賞者のほうを見ている。しかし正面は見ていない。
4頭の龍と呂洞賓の関係、物語がはっきりしない。

これに比べて、個人蔵の別の作品を見ることができた。ほぼ同じ大きさである。こちらは呂洞賓は直立はせず左を向き、膝を曲げ腰を落として窺い見るように上空を見ている。両者の視線は此処でも交わることはないが、前の作品よりは龍の方向に向かっている。上空の龍と子龍2頭の視線は交わって互いににらみつけている。下の龍は呂洞賓を見ているようだ。不安定な姿勢の呂洞賓を気遣っているようにも見える。下の龍の頭は水平とならず足場としてはとても不安定である。

後期展示のため私は図録でしか見ていないが、もうひとつ体は右向きの個人蔵の呂洞賓図もある。こちらの下の龍は呂洞賓を見ているのか、上に現われた龍を見ているのは判然としないが動きがいっそう明確で戦闘モードに見える。他の視線の具合は右向きの作品と似ている。ただし呂洞賓の後ろ側が変に詰まっていて、左側が切除されたように私には思える。窮屈な空間となっている。
後者2作品ともらせん状に渦巻くような動きが特徴である。
全体として最初の直立不動のような呂洞賓図と動きを強調したような後者の2作品、どちらが作者の意にかなっている作品なのだろうか、と考え込んでしまった。私の好みからすると動きのある後者の2作品のほうがいいのかもしれない。しかし龍との「対峙」という緊張感のある観点からは直立姿勢の作品にも惹かれる。なんといっても上方にピンと張った髭と、広げた両手が秀逸で、気合の強さを感じる。しかしその場合は足元の龍がおとなしすぎて緊張感がない。そして上空の龍も後者2作品のほうが劇的な登場の仕方をしている。
私にはどちらにも惹かれるところと、そうではないところが綯交ぜになっていると思える。

後代の画家には、らせん状の回転がおおきな影響を与えたようで、江戸時代中後期の2作品が「雪村を継ぐ者たち」のコーナーに展示されている。
前期展示の狩野洞秀の「呂洞賓図」(個人蔵)の模倣図を見ることが出来た。江戸時代後期の彩色画であり、鮮明な作品である。上空の龍の視線、呂洞賓の視線、足元の龍の視線については互いに交わっており、画面としての緊張感が強まってはいる。しかし「子龍」は判然とせず目の位置も不鮮明である。呂洞賓の顔の輪郭は誇張されているものの大仰すぎるようであり、上空の龍も迫力が感じられず、全体として迫力は今ひとつ。

後期展示の住吉廣行の「呂洞賓図」(個人蔵)の模倣図は図録で見たがこちらは水墨画。こちらもやはり呂洞賓をはじめ互いの視線については留意を払おうとしたことはうかがえる。上空の龍の視線と、「子龍」の視線がぶつかり合っていて緊張感を出そうとしたことがわかる。「子龍」も小さいながら体の線は明確で煙状から脱して、上空の龍に対峙する自らの意思を明確にしている。しかし上空の龍が不鮮明で、やはり迫力がそがれている。
雪村の直立不動の姿勢の「呂洞賓図」が後代に与えた影響は果たしてどのような作品を生んだのだろうか。残念ながら、今回の展示ではそれはうかがうことは出来なかった。