Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「雪村」展(東京藝大美術館)から -4-

2017年04月26日 12時44分57秒 | 読書


 図録の解説によると、雪村は会津の蘆名盛氏、三春の田村氏のもとをともに拠点として1500年代の中ごろに活躍したらしい。その頃の代表作として「呂洞賓図」があるとのこと。ここに掲げたのはチラシにも取り上げられた奈良の大和文華館所蔵の作品。
 呂洞賓、というのは中国の仙人として人気が高いそうである。瓢箪と剣を持つ図像が一般的であるらしいが、この作品では壺と壺の蓋のようなものを持ち、龍の頭に乗って雲から現れた龍と対峙している。これは十六羅漢で龍を調伏する尊者が描かれている先例が中国にあるようで、呂洞賓が羅漢に転移しているらしい。
 しかし手に持つ壺から小さな龍2頭が出現していることや、乗っている龍と上空に現われた龍との関係ははっきりしないようだ。仙人のイメージはこのように激しい気合や姿態とは違うようなので、雪村の独自の境地なのかもしれない。解説では呂洞賓が参禅して悟ったというときの逸話を象徴的に描いたという表現もあるが、果たしてどうなのであろうか。
 乗っている龍はおとなしく水平を保って呂洞賓を支えている。呂洞賓も屹立して動きはなく、気合で天空から現れる龍と対峙している。壺からは雲ないし煙状の「子龍」が次第にその姿を明確にしつつあるような状態に描かれている。この「子龍」が何を象徴しているのかも分からない。新たに生れる龍を襲おうとしているのが上空の龍なのか、あるいは呂洞賓の分身として上空の龍と闘おうとしているのか、私の知識でははっきりしない。
 私が一番気になるのは、登場する4頭の龍と呂洞賓の視線が交わらないということ。呂洞賓の両目は上空を睨みつけているのはわかるが、その視線は上空の龍と交わらない。視線は龍の顔とは交わらずに龍の尻尾の方向を向いている。上空の龍の視線も呂洞賓には向かわずに、右の方角を見ている。姿がはっきりしない「子龍」は2頭とも上の龍を見ている。そして呂洞賓の乗る龍は鑑賞者のほうを見ている。しかし正面は見ていない。
 4頭の龍と呂洞賓の関係、物語がはっきりしない。



 これに比べて、個人蔵の別の作品を見ることができた。ほぼ同じ大きさである。こちらは呂洞賓は直立はせず左を向き、膝を曲げ腰を落として窺い見るように上空を見ている。両者の視線は此処でも交わることはないが、前の作品よりは龍の方向に向かっている。上空の龍と子龍2頭の視線は交わって互いににらみつけている。下の龍は呂洞賓を見ているようだ。不安定な姿勢の呂洞賓を気遣っているようにも見える。下の龍の頭は水平とならず足場としてはとても不安定である。



 後期展示のため私は図録でしか見ていないが、もうひとつ体は右向きの個人蔵の呂洞賓図もある。こちらの下の龍は呂洞賓を見ているのか、上に現われた龍を見ているのは判然としないが動きがいっそう明確で戦闘モードに見える。他の視線の具合は右向きの作品と似ている。ただし呂洞賓の後ろ側が変に詰まっていて、左側が切除されたように私には思える。窮屈な空間となっている。
 後者2作品ともらせん状に渦巻くような動きが特徴である。

 全体として最初の直立不動のような呂洞賓図と動きを強調したような後者の2作品、どちらが作者の意にかなっている作品なのだろうか、と考え込んでしまった。私の好みからすると動きのある後者の2作品のほうがいいのかもしれない。しかし龍との「対峙」という緊張感のある観点からは直立姿勢の作品にも惹かれる。なんといっても上方にピンと張った髭と、広げた両手が秀逸で、気合の強さを感じる。しかしその場合は足元の龍がおとなしすぎて緊張感がない。そして上空の龍も後者2作品のほうが劇的な登場の仕方をしている。
 私にはどちらにも惹かれるところと、そうではないところが綯交ぜになっていると思える。



 後代の画家には、らせん状の回転がおおきな影響を与えたようで、江戸時代中後期の2作品が「雪村を継ぐ者たち」のコーナーに展示されている。
 前期展示の狩野洞秀の「呂洞賓図」(個人蔵)の模倣図を見ることが出来た。江戸時代後期の彩色画であり、鮮明な作品である。上空の龍の視線、呂洞賓の視線、足元の龍の視線については互いに交わっており、画面としての緊張感が強まってはいる。しかし「子龍」は判然とせず目の位置も不鮮明である。呂洞賓の顔の輪郭は誇張されているものの大仰すぎるようであり、上空の龍も迫力が感じられず、全体として迫力は今ひとつ。



 後期展示の住吉廣行の「呂洞賓図」(個人蔵)の模倣図は図録で見たがこちらは水墨画。こちらもやはり呂洞賓をはじめ互いの視線については留意を払おうとしたことはうかがえる。上空の龍の視線と、「子龍」の視線がぶつかり合っていて緊張感を出そうとしたことがわかる。「子龍」も小さいながら体の線は明確で煙状から脱して、上空の龍に対峙する自らの意思を明確にしている。しかし上空の龍が不鮮明で、やはり迫力がそがれている。

 雪村の直立不動の姿勢の「呂洞賓図」が後代に与えた影響は果たしてどのような作品を生んだのだろうか。残念ながら、今回の展示ではそれはうかがうことは出来なかった。

痰と咳

2017年04月25日 23時51分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は降圧剤の処方をしてもらうために、いつもの内科へ。ついでにここ一カ月以上続いている痰と咳について診察をしてもらう予定。
 痰と咳、一か月前から出始め、先々週までは半日出かけるのにポケットティッシュ2袋は必要であった。先々週からずいぶん楽にはなった。それでも半日出かけるときはポケットティッシュの半分は使う。
 痰が絡んでも軽い咳ですんなりと出てくる。楽になったとはいえ、少々気になっていた。苦しいとか、咳き込むとかということはないし、炭が出るともう咳はでない。咳をすることは苦しくもない。朝目覚めたとき、朝食の直後、昼食の直後が気になる。不思議に夕食後は痰はほとんど出ない。

 本日は毎年のように行っている関内桜通でヤエザクラの並木を見、日本大通で都市緑化よこはまフェアを見てきた。札幌市から福岡市までの政令指定都市による小さな歌壇も面白かった。また薔薇の咲き始めたものも気に入った。
 その後は妻と別れ、久しぶりに新聞の編集と印刷をお願いしている印刷会社へ出向いた。日頃メールのやり取りで仕事をお願いばかりしているので、お詫びとお礼と挨拶がてら訪れた。やはり面と向かって話をしないのは仕事とはいえまずいと思う。仕事の邪魔をしては申し訳ないので、顔を出して、すぐにお暇した。
 明日は内科に行ったのちは、もう一度CDコンボをじっくりと見てこようかと思う。

日本大通の緑化フェアと関内桜通り

2017年04月25日 22時13分24秒 | 読書
   

 横浜の中心街にある関内桜通はヤエザクラが美しい。毎年たのしみに見に行くことにしている。ここの桜を見ると横浜では桜の見納め、いよいよ連休、いよいよ夏になる、という思いが湧いてくる。妻は先日も見に来たが曇り空で、まだ咲き始めであったようだ。
 本日のヤエザクラはだいぶ散り始めている。しかしヤエザクラなのでたくさん散って行ってもまだまだ散りはじめである。これだけの花弁を散らすのであるから、大変なエネルギーを発散しているのではないだろうか。私はもともとあまりヤエザクラは好きではなかった。ぼってりと咲いている様子は清楚ということからは程遠いのが気に入らなかった。
 ある年の連休前、ウナギの寝床のような細長い職場の敷地の端っこにあるヤエザクラの下で昼休みを取っていたときに、どっと花びらが散ってきた。その花弁の量に驚いて、それ以来ヤエザクラを注視するようになった。

         

 この関内桜通を関内から本町通まで歩いたのち、日本大通を往復。「第33回全国都市緑化よこはまフェア」を見て回った。このフェアは33回目ということであるが、これほど大規模になったのはいつの頃からであろうか。

      


CDプレーヤーがいったん復活したものの‥

2017年04月25日 20時30分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先日CDプレーヤーが壊れたのだが、昨日FM放送を聴いていたら、突然にCDプレーヤーのモーターが動き始めた。それもかなり大きな音で回転して、FM放送が聴きづらいほどであった。昨晩は不思議なこともあるなぁと思うと同時に、これではCDプレーヤーを購入して、チューナー機能は継続して使えると思っていたことがご破算になってしまうと考え込んでしまっていた。購入が出来なくなる。
 朝になって、「CDを回転させる駆動装置が動くということは、CDの再生が可能なのではないか」と思い立って、試しにCDを装着してみた。すると何の支障もなくCDの再生を始めるではないか。びっくりしてしまった。結局試しに掛けた、ベートーベンのチェロソナタの第1番、第2番、第4番をおさめたCD(ヨーヨー・マ、エマニュエル・アックス)を全部聴くことが出来た。
 モーターの回転音は特に大きくなく、今までどおりであった。狐につままれたような気分になっていた。

 ところが、先ほど再び聴こうとしたら、最初の2分ほどは動いたが、結局また駆動しなくなってしまった。ぬか喜びであった。

 どうもスピーカーを除いて買い換えなくてはいけないようだ。

昨晩は酔いがまわった

2017年04月25日 09時44分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩はそれほどは飲んではいなかったが、結構酔いがまわった。予想通り2500円で支払いがすんだことはとても嬉しかった。
 しかし土曜に飲み過ぎ、日曜は休肝日、昨日は酔いがかなりまわり、本日ははやり休肝日。このままいくと一日おきの休肝日ということで、表面上はとてもいいことではあるが、内実は決して体にはよくはない。
 このように、統計上の数値というものはだいたいがよく見ないと、内実はわからない。統計上の数値というものによく騙される、というが、そのとおりである。
 深酒-休肝日-深酒-休肝日というパターンよりは、控え目な飲酒の連続で一週間に一度の休肝日のほうが体にはいいように思える。と他人事のようにいっていても始まらない。お酒はいづれにしても控えないといけない、といたく反省。

 ニュースの編集については細かなところでレイアウトの修正をしなてくはいけないところを見つけた。時間がたつと気が付くところが出てくる。そして記事の文章の訂正がいくつか指摘された。これらを午前中に仕上げなくてはいけない。

行く春

2017年04月24日 23時33分34秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 五月に入ればもう夏となる。春とはもう間もなくおさらばとなる。今年は天候不順で桜も随分悩みながら開花したようだ。
 本日の講演会は大勢の人で会場は満杯。そのあといつものように友人たちと安く飲んで先ほど帰宅。明日も休肝日としなくてはいけないようだ。昔はひとり静かに飲むお酒の方が性に合っていたが、最近は複数の友人と飲む機会が多くなり、いつの間にかひとりで飲むことが少なくなっている。これがいいことなのか、悪いことなのか‥。
 晩春の頃の俳句、なかなか私の気持ちに寄りそってくれるような句は無かった。自分でつくるしかないが、今はそれほどの詩興は湧くことはない。

★春惜しむすなわち命惜しむなり   石塚友二
★惜春のわが道わが歩幅にて     倉田紘文
★行春の雨だれしげく脈よりも    石田波郷


「自選 大岡信詩集」から -4-

2017年04月24日 15時31分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 「自選 大岡信詩集」から私が何となく理解できて、惹かれた詩から。とても難しいとおもいつつ気になる詩が並ぶ。この詩集は、末尾から読んでいる。

 昭和のための子守唄

お眠り こはがらないで
きみの手を握つてあげよう
きみの夢を揺すつてあげよう

フィリピン ミンダナオ シンガポール ゴビ
きみの旅に終りはないだらう
鴨緑江 揚子江 長沙 洞庭湖

お眠り こはがらないで
きみの眼を唇で閉ぢてあげよう
きみの涙の輝きを舌で吸つてあげよう

血の潮 鉄の谷 微笑みの地平
きみの旅に終りはないだらう
叫びの洞窟 悲鳴の稲妻 嗚咽 哄笑

この道ははじめての道
でも覚えてゐる 昔見た海
あそこは此処 きのふはあした

きみの旅に終りはないだらう
きみの旅に始まりがなかつたやうに


                  【故郷の水へのメッセージ】(1989年刊)

 弥生人よ きみらはどうして

宇宙の歴史が大爆発(ビッグバン)で始まつたのなら
ヒトの中にはまばゆい光が埋めこまれてゐる
光はヒトの内から発して
かれの道を未来へ照らす

弥生人よ 光を内から放射しながら
米と鉄器をたづさへてきた きみら
玄界灘も 江南も 大草原も
きみらによって結ばれる ぼくらの今へ

(略)

三日月は 神の引く弓
流星は 流れる神の矢
たなびく雲は 五色の神の首飾り
(卑弥呼ははたして一人だつた?)

女の腹にも 日の照る田にも
繁殖の種はだいじに播かれ
集落は命をかけてそれを守つた
光を今日も埋めに行け 愛人の腹へ

鉄器は強いが 腐食する
土器は脆いが 腐らない
男は時に鉄器であり 時に土器だ
女は時に土器であり 時に鉄器だ

(略)

弥生人よ そしてきみらは どうやつて
ニホンゴとぼくらが呼んでる凄い道具を
縄文人から受け渡された?
あの謎の 始まりの謎の 縄文人から?


【地上楽園の午後】(1992年刊)

 最初の詩「昭和のための子守唄」を目にした時、ひょっとしたら歌うことを前提とした歌ではないかと感じた。音数などからの類推である。それよりもやはり大岡信という詩人にとっては昭和という時代は「血」のイメージとともにあることが浮かび上がってくる。地名の列挙の中から、フィリピン、ミンダナオ、シンガポール、鴨緑江、揚子江、長沙、洞庭湖とゴビを除いて多くの血が流された国、地域である。昭和史の舞台でアジア諸地域には大量の「血の潮」が張り付いている。ここから連想される「叫びの洞窟」「悲鳴の稲妻」「嗚咽」「哄笑」に肯定的イメージはない。
 私だれの感覚ではないと思う。私はこの感覚を持ち続けたい。

 「弥生人よ きみらはどうして」は最初の一連の「ヒトの中にはまばゆい光が埋めこまれてゐる」に強烈に私を惹きつけた。ビッグバンと弥生人の渡来が数行で結びついてしまう所が、詩の詩たるゆえんであるが、大胆である。そして「ニホンゴ」に終生こだわり続けた詩人の生き様が伝わる。

安い居酒屋を見つける嗅覚

2017年04月24日 12時41分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 編集作業の細かな微調整に想定よりも時間がかかってしまった。ようやく裏面の二つの記事を除いて完成。夕方からチェックを受けて、取りあえずは印刷所送信することが出来る。

 日数的には想定よりは早いが、携わった時間はいつもとあまり変わらないようだ。記事が確定したら今度はホームページに総会報告をアップする作業が残っている。これは明日に行う予定。

 本日は久しぶりに夜の講演会。たぶんどこかに4~5人で、安い居酒屋の暖簾をくぐること間違いないと思われる。横浜や東京の駅近くの初めて訪れる繁華街の中でも2500円でお釣りがくる居酒屋を探す名人がいる。とてもかなわない嗅覚というか、方向感覚を持っている。大事な友人である。
 今晩は慣れた場所なので、すでにだいたいは見当をつけているかもしれない。


穏やかな日和の休養日

2017年04月23日 22時35分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 買い物から帰って、「江戸の花鳥画」「応仁の乱」を少しばかり読んだら昨晩のお酒の疲れが出てきて20分ほど寝てしまった。東京国立近代美術館ニュース「現代の眼」623号も読むことは読んだが、活字を目で追ってはいるものの、頭には入らなかった。「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」展が特集であったが、やはり日ごろなじみのない茶碗については難しい。実感が湧かない。
 夕刻からは再び退職者会のニュースの編集作業。一応一面は終了。二面の80%が完了。あとは明日の講演会の報告と別の記事を依頼したかたからの送信待ち。明日午前中に少し手入れをして、後援会の席で他の役員のチェックをしてもらう予定である。
 何とか明後日には印刷所に入稿できそうである。予定よりも2日早く出来上がりそうである。

 少し風は冷たかったが、日向は暖か。明日も穏やかな日和になるらしい。本日はこれにて作業は終了

焼ビーフン

2017年04月23日 16時29分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は休養日&休肝日。飲み過ぎた翌日が休肝日ということにしているが、これではあまり効果は無いかもしれない。すくなくとも一週間に2日の休肝日が必要とのご意見も聞かれるが、まぁあまり気にしないでいる。
 本日は「雪村展」の図録の解説といくつかの本を読み、参考までに岩波文庫の「列子」を本箱の奥から探し出して20年ぶりくらいに開いてみた。昔は好きだったが、荘子と比べて少々作為が鼻につくところがある。まだ読みが浅いのかもしれない。
 昼間久しぶりに焼ビーフンを作ってくれた。中華料理店で供される焼ビーフンはもやしが多い。これは悪くはないのだが、ビーフンよりももやしが多く、この場合は水っぽさが口に合わない。私の好みではない。もやしが合うのはタンメンや野菜ラーメンなどの熱い汁ものだと思っている。
 また炒め油が多すぎるのも好みではない。少なめの豚肉とネギとニラないしピーマンと混ぜて炒め、ふっくらと盛ったビーフンに黒胡椒をタップリとかけ、さらにコーレーグースーで唐辛子の辛味を加えたのが私の好みの焼ビーフンである。

 先ほどは買い物に付き合った。久しぶりに歩いて15分ほどの生協まで。妻の目的はその横にある和菓子店であったようだが、そうはいっても生協での買い物で結構重くなった袋を持たされた。

 帰り道、少し近道をしようとしてかえって100mほど余計に歩いた。「断定的にいうから信じたのに‥。信じたのが間違いだった」と云われたので、「それは40年前におれを選択したことからはじまっていることだ」と煙にまいて言い逃れをした。


「雪村」展(東京藝大美術館)から -3-

2017年04月23日 12時13分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 私はこのどこか人を食ったような作品「列子御風図」(アルカンシェール美術財団蔵)が好きである。
 解説では「列子」の中の「風がわが身に乗っているのか、わが身が風に乗っているのかも全く意識しない境地に達し得た」とある、と記されている。
 岩波文庫版の「列子」の「黄帝第二」に確かに「竟不知風乗我邪、我乗風乎」(ついに風我に乗るか、我風に乗るかを知らず)とある。ついでにその前の段落には黄帝がその理想の国のこととして「乗空如履實、寝虚若處牀」(空中に乗ずること實(大地)を履(ふ)むがごとく、虚(空)に寝ぬること床(牀)におるごとし」)とあった。
 掛け軸のように腰を落として、下部から見上げると空中の列子の上に向かうベクトルはさらに強調される。大地を象徴する岩と草木は最初に眼につくものとしては実に素っ気ない。それが空を飛ぶ列子を強調していると好意的にみるか、工夫がない、と否定的に見るかはわかれるところかもしれない。

 中国では仙人はひとつの理想像であったと思われる。私は列子の言葉は、無為自然の理想の民のことを下地にして、列子の境地を語っていると理解している。そうすると仙人が、社会と切り離されて「技術」として空中浮揚を体得したとすると、理想郷ではない仙人の自己実現のための「技能・技術」と思える。理想郷の民の自然な振舞いではなく、「作為」に基づく仙人像である。この作品もあくまでの「不自然」で、これ見よがしの振舞いに映る。「無為」の状態ではない。
 雪村自身もこのような「作為」にひょっとしたら疑問を持っていたのかもしれないと、私は理解したい。



 後期展示のため見ることは出来なかったが、解説ではこの作品は三幅対「琴高仙人・群仙図」との関連を指摘している。
 私の感覚では、「琴高仙人・群仙図」(京都国立博物館蔵)は描かれている人物たち(仙人)には動きがなく、視線もバラバラである。中央で鯉に乗っている仙人を見ている人物と思われる童子を含む人物は5人しかいない。「列子御楓図」の元となった左幅の手前の人物もどこを見ているか判然としないし、動きもない。中央の鯉に乗って表れた仙人などには興味を示していない。どこか「俺のほうがもっとすごいんだぞ」という対抗心すら見えるのではないか。
 人物が似ているので、描かれた時代は近いのかもしれないが、画家の思念・思想は大きく変化しているように思われる。あるいは、中国の「仙人」のもつイメージへの違和感を持っていたのか、という解釈で、両者を統一的に把握できるかもしれない。「琴高仙人・群仙図」のほうが重要文化財ということで、評価は高いようだ。

ようやく帰宅

2017年04月22日 20時00分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝8時に家を出てから総会の会場についたのが9時前。総会終了後の懇親会と二次会がおわり帰宅したのが、19時。現役を退いてから旅行のときを除いて11時間も外で過ごしたのは数えるほどしかない。
 とても疲れた。明後日24日(月)は再び会場となった組合の会館に出向いて、会計の清算、出席者の整理、来賓へのお礼‥後処理が残っている。作業量としてはそれほどでもないが、これが終わらないと、落ち着かない。
 また本日の模様を記事とした退職者会ニュースの原稿を仕上げておきたい。
 さらに月曜日の夜は、沖縄国際大学教授の前泊博盛氏の講演会もある。演題は「トランプ政権と日米地位協定」。これはニュースの記事にはしないが、すっきりした頭で聞きたい講演である。

「自選 大岡信詩集」から -3-

2017年04月22日 15時50分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 「光のとりで」(1997年)の「光と闇」。

 光と闇

光は無限の空間から降ってくる
たいていの人はさう思つてゐる

ほんとは光は
何億光年彼方に散らばる

鉱物が割れて発生したのだ
厖大な鉱物に閉ぢこめられ
重量そのものにまで圧縮された闇こそ
光の故郷である。

私といふ一瞬たりとも固定できない固体は
光と闇にたえず挟まれながら
しだいに押しつぶされ
厖大な鉱物の一片と化して
宇宙に還ることを希求してゐる
希薄そのものの物体である

せめて私は
暗闇そのものになりたいと思ふ
闇の底からわづかに洩れてゐるので
内部の闇から泡立つてゐることがわかる
そのやうな闇に私はなりたい
せめて
二十億光年ののちに。


 「重量そのものにまで圧縮された闇こそ/光の故郷である」「私といふ一瞬たりとも固定できない固体」などという断定はとても心地よい。
 そして「せめて私は/暗闇そのものになりいと思ふ」というその暗闇は「闇の底から光がわづかに洩れてゐる」ような闇であるという。
 この詩を読んだとき咄嗟に、宮沢賢治の「春と修羅」の序を思い浮かべた。「わたしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/‥/風景やみんなといつしょに/せはしくせはしく明滅しながら/‥」という冒頭の一節。
 ここで取り上げた「光と闇」も、宮沢賢治の「あかり」のイメージにも、闇が対のように意識されている。自覚的に「光」と「闇」が取り上げられている。
 まだまだ理解しきれない部分ばかりであるが、この「光」と「闇」をキーワードにして、大岡信の詩と付き合ってみたいと感じた。

句集「吹越」(加藤楸邨)から -4-

2017年04月22日 07時30分21秒 | 俳句・短歌・詩等関連
「吹越」から
(1975年作者69歳)
「人地獄」
★妻が負ふ淋しき顔の風邪の神
★満月下顔が小さくなりゐたる
★たくあんの波利と音して梅ひらく

 私は最後の句、「たくあんの‥」が何故か心に響いた。昔はなんの感慨も湧かなかったが、たくわんをポリポリ、ハリハリと小気味よい音を楽しみながら食べる爽快感、実にちょっとした爽快感であるが、これがとても愛しく感じることがある。はっきりいって60代半ばを過ぎないと分からない感慨のようである。
 その音と梅がひらく、というものの取り合わせが嬉しい。この爽快感が梅に伝わったのかという感慨、梅のひらくころの空気感も感じる。

「自選 大岡信詩集」から -2-

2017年04月21日 22時57分25秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 「光のとりで」(1997年)の「音楽がぼくに囁いた」と「光と闇」という詩が目についた。本日は「音楽がぼくに囁いた」を綴ってみる。

 音楽がぼくに囁いた

私は静かな涙だから
鼓動するざわめきのきみを載せて
非現実の遠い岸まで
ゆりかごのやうに運んでゆく

私は深い闇だから
きみといふ瞬く光を囲ひこみ
きみといふ発行体を守つてやらう
きみのまはりがせめて仄かに明るむやうに

そして私は 音楽にすぎないから
人間にすぎないきみと共に遊ぶ
だからと言つて 私と所有できると思ふな
私は音楽だから
音楽をさへ超えて拡がる

私はいつでもまたどこでも
きみの腕の外側に溢れてしまふ
それが私の 音楽である宿命だから-
かの「沈黙」さへ 私があるから存在するのだ。


1997年というと大岡信は66歳。このようなみずみずしい相聞の詩と思われる作品を含む詩集を刊行する若さにちょっと驚きと羨望を感じた。
 第2連の「私は闇だから/きみといふ瞬く光を囲ひこみ/きみといふ発行体を守つてやらう/君のはわりがせめて仄かに明るむやうに」を読んだとき、声に出して読んで見たくもなった。しかし私はこれが自分の娘に向かってであっても、それは人に聞こえないように、どこかに隠れて声に出すと思われる。
 相聞の歌は、共同体の中でおおらかに発する時代から、対関係・家族の中でひそかにかわす時代である。
 私がわからないのは「沈黙」という括弧でくくった理由。この「沈黙」は何を意味しているのか、分からない。単に沈黙という言葉の意味ならいろいろ想像できるが、括弧付の「沈黙」がわからない。