Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日から「江戸絵画 八つの謎」

2022年12月11日 19時53分53秒 | 読書

   

 本日から読み始めた本は「江戸絵画 八つの謎」(狩野博幸、ちくま文庫)。12月10日に発売された新刊。解説に辻惟雄氏の名があり、即座に購入した。
 岩佐又兵衛、英一蝶、伊藤若冲、曽我蕭白、長澤芦雪、岸駒、葛飾北斎、東洲斎写楽を論じている。任意に頁を開いて読みやすい文章であったのでそのままレジへ。神奈川大学の生協を通さずに定価で購入。
 「岸駒(がんく)」という名は初めて眼にした。この章も楽しみである。

 実は始めの「岩佐又兵衛 心的外傷の克服」は面白く読んだ。ただ、冒頭から2頁目のところで引っかかった。

人の心理は複雑きわまる。あたかも野菜の値段を決めるように人間の心理を裁断する人間心理研究を筆者はいっさい信用しない。《心的外傷後ストレス》そのものが芸術創造のエネルギーたり得ることを、岩佐又兵衛という画家を例証とすることで語ってみたいと思う。

 「《心的外傷後ストレス》そのものが芸術創造のエネルギーたり得ること」と、「人間心理研究をいっさい信用しない」こととは別のことである。ちょっと乱暴な論理にびっくりした。「信用しない」のはいいが、それが全否定につながってしまっては《心的外傷後ストレス》という概念を持ち込むこと自体が無意味になってしまう。
 しかし作者の指摘のとおり、岩佐又兵衛の父であり、織田信長に反旗を翻した「謀反人」荒木村重の生涯をたどりながら、その父の生涯が岩佐又兵衛の作品に色濃く反映されていることの指摘は私は否定できないと思っている。
 


読了「菊帝悲歌 小説後鳥羽院」

2022年12月11日 15時14分53秒 | 読書

   

 第6章「なみだとふらむ 嘉禄元年1225」と跋「五黄の菊」を読み、全体を読み終わった。

事畢りぬ、などとは思はぬ。この凄じい別邸で今からし残した何事かを完了せねばならぬ。そして歌も亦、初心に還つて歌ひ直すのだ。あの栄華の日日に、まことは和歌など要りはしなかつた。詩歌を擲つたとてその日その日は光輝いてゐた。‥今日、雅歌にも神祇歌にもまして、院は花鳥風月を欲る。和歌なくしてはながらへる便りもない空虚な日月が、瞑つた瞼の裏に茫茫と展がるのが見える。‥帝王として、かくまでも無一物になり、和歌と一体になるまでおのれを空しうし、そこに初めて生まれる絶対絶命の悲歌を詠んで見せよう。」(第6章)

王侯貴族の独占し続けて来た芸術と政治の、その有終の美を、惜しげもなく断崖から深淵に突き落とした天才かつ英雄として、世界に冠たる一人であつた。‥これ以降(嘉禄元年1225、第6章)以後崩御に及ぶまでの歳月は、また、いつの日か稿を改めて別の物語にしたい。」(跋) 

 久しぶりに塚本文学を堪能させてもらった。


1ミリのバリカンと帽子

2022年12月10日 23時00分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日の日曜日は朝から予定が入っている。これとは別に友人から、市外でのイベントの誘いもあり、日程が重なっている。残念ながら友人からの誘いは断らざるを得ない。

 本日は入浴時にこれよりバリカンで散髪予定。1ミリのバリカンで短くするつもりである。先月の始めまでは3ミリのバリカンを使用していた。先月の後半から1ミリに替えてみた。冬の冷たい風が当たってとても寒く感じた。
 1ミリでも3ミリでもたいして差はないし、髪の毛の生えなくなっている部分の面積が増えたわけでもない。しかし感じはずいぶんと違った。冬の北風が直接当たるような気がする。
 最近被っていなかった帽子を再び活用することにした。もう帽子が手放せない。とても温かく感じる。

 不思議なことに短い髪に馴れてしまうと、長くするのが煩わしくなるものらしい。耳に髪の毛が当たってチクチクすることもなくなった。


生ビールが効いた

2022年12月10日 22時33分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評



 食前に呑んだ生ビールが効いてきて、ひと眠り。いつも読む生ビールの中よりは少し大きめであった。珍しい店だと思った。妻の残したものも呑んだので、いつもの2杯分に近いだろうか。
 いつものメンバーでしゃべりながら呑むとこのくらいの量では済まないし、あまり酔わない。たぶんこの倍は呑んでいると思う。
 声を出して呑むとアルコールの消費が早まる、というわけではないと思う。たぶん酔っていることを意識していないのだと思う。妻と二人で、あるいは一人で少なめに呑むのが健康には良いのであろう。

 先々月のバス旅行の集合写真のデータを昨日にようやく整理した。宿題を先延ばしにしてきてやっと出来上がった。配布の方法はこれから検討。
 


年寄りが排除されそうな街

2022年12月10日 21時27分48秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 午前中は「菊帝悲歌 小説後鳥羽院」(塚本邦雄)の最後の第6章「なみだとふらむ 嘉禄元年1225」を少々。
 昼食後に横浜駅まで出かけたが、いつもとはかなり離れた喫茶店まで足を伸ばした。塾がいくつか並ぶ一角、親と一緒の小学生がテキストと格闘していた。座れないほどの混雑ではなかったし、静かであったのが良かった。
 ここで午前中の読書の続きを少々。じっくり読んできたが、残り10頁ほどになってしまった。
 夕食は妻と外食に切り替えた。横浜駅東口にある改装なったルミネのレストラン街へ何年かぶりの足を踏み入れた。
 すっかり様変わりして、有隣堂は地下2階に押し込められたように少し狭くなっていた。6階のレストラン街はまだ私どものような年寄りも入れるような店が並んでいたが、7階は若い女性が喜びそうなレストランばかり。6階の洋食の店に入ったものの、年寄りの二人連れは我々だけ。
 エスカレーターで各階を覗きながら降りて来たものの、妻は「もう来ることもないかもしれないね」とひとこと。若い女性たちに圧倒されて、我々の居場所ではないことを確認してから帰宅。

 年寄りはだんだんと横浜駅界隈から締め出される運命なのであろう。わずかに西口のスーパーなどの食料品売り場、地下街の周辺と、北口や相鉄口の地上の飲み屋街あたりだけが、年寄りが足を向けられる場所になってしまった感じがする。ことに東口はますます縁遠くなった。


娘の講義終了

2022年12月09日 21時42分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評



 ようやく娘の講義が終わったようだ。私は傍で聞いているだけにした。これで当面はタブレットの作動状況を見守ることになりそうである。
 ネット接続がすぐに切断される症状は、今回の講義の間は発生しなかった。いつも妻はバッテリーだけで使用している。
 今回はAC電源を接続しながら使用してみた。AC電源を接続していると発生しないのだろうか。よくわからない因果関係である。

 娘には面倒を掛けたが、その甲斐はあったと思う。妻も自分で操作しながら教わっていたから、少しは慣れたと思う。逆に私が教わるようになると、少しでも妻が使いこなせるようになることを期待したいものである。

 さて、明日の土曜日は特に予定は入っていない。14日(水)に退職者会ニュースの第2面、第3面の原稿が私の手元に届く。これを半日以内にはめ込んで、印刷会社に入稿しないといけない。そのための心の準備をする一週間である。

 


タブレットに疎い私は教えられない‥

2022年12月09日 20時09分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ただいま妻は娘と電話をしながら、タブレットの操作で努力中。タブレットがすぐに「ネット接続が中断しています」という表示が出る。画面の展開の旅に切断されてしまい、長文のメールを作成中でも切断されてしまう。
 また神奈川大学の講座のも申込の画面も次の画面に入ろうとすると切断されて、また最初からやり直さなくてはならなくなる。私であっても投げ出したくなる。
 私の小さなノートパソコンならば、同じWi-Fiを使っても切断されることがないので、タブレット端末に原因があると思われる。私は基本的な操作方法がわからないので、途中で投げ出してしまう。タブレット端末のメモリーが目いっぱいになっている可能性があり、掃除の必要もあるようだが、それも娘に頼んでいる。
 二人で画面を共有しながら悪戦苦闘しているようだ。

 娘には申し訳ないが、無知な私が、パソコンそのものに縁の薄い妻に指導するよりは要領よく教えてくれているみたいである。

 


久しぶりに市立図書館

2022年12月09日 19時24分11秒 | 読書

 本日の最高気温は14.1℃。14℃くらいの外気温に体が慣れたためであろうか、日が射していると温かく感じる。本日はセーターの上に薄いウィンドブレーカーを羽織って出かけたものの、途中からそれを脱いでリュックにしまいこんだ。
 昨日講座で紹介された「近代美術の巨匠たち」(高階秀爾、岩波現代文庫)は、絶版で神大の生協では手に入らないとのことであった。その足で横浜市立図書館に出向いて検索の結果、他の区にある市立図書館にあるとのことで予約。3年ぶりくらいに図書を予約した。
 市立図書館の検索・予約は図書館にいかなくともスマホやパソコンから出来ることを思い出したのが遅かった。これならば図書館まで出向く必要はなかった。いいウォーキングをしたと思って、悔やまないことにした。

 久しぶりに図書館で美術関係の図書を眺めながら幾冊か読んでみたい評論があった。またの楽しみということで、歩いて近くの鉄道駅へ。喫茶店で「菊帝悲歌 小説後鳥羽院」(塚本邦雄)の第5章「まつよなければ 承久三年1221」を読み終わった。

 承久の乱を京都側、後鳥羽院の側からの眼での叙述。私はこのくだりはこの小説からはなくてもいいのではないか、と感じながら読み進めた。後鳥羽院の悪魔的側面の叙述として必要だったのかもしれない。
 


二十四節気「大雪」

2022年12月08日 22時53分13秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日の7日は「大雪」であった。大雪とは「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也(暦便覧)。朝夕には池や川に氷を見るようになる。大地の霜柱を踏むのもこの頃から。山々は雪の衣を纏って冬の姿となる頃」という。この時分になると関東地方南部ではようやく冬になった気分である。

 「大雪」の候にちなんで雪の句を3句ほど。

★地の深雪宙の二階の白根澄む      飯田蛇笏
★鳥落ちず深雪がかくす飛騨の国     前田普羅
★門をゆくひと物いはぬ深雪かな     会津八一

 関東地方ではこれらの句のような大雪(おおゆき)は、山沿いをのぞいて体験することはない。私のすんだことのある北海道の渡島半島の南端の函館や仙台でもそのような雪の体験はほとんどない。根雪となったのは函館であった。
 だが、多くの人はその苦労を知ったうえで、どこかでこのような雪に埋もれる生活に心惹かれるものらしい。私もそうである。しかし、この腰や膝の痛みを抱えていては、雪かきなど難しい。


満月と火星

2022年12月08日 21時12分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほど満月とそれに寄り添うような火星を眺めてきた。三脚もカメラを固定するものもなかったので写真は撮らなかった。肉眼と双眼鏡でのぞいて、満足。肉眼で見ると満月は少しもやっていたが、火星はくっきりと見えた。

 夕食後は引き続き「菊帝悲歌 小説後鳥羽院」(塚本邦雄)の第5章「まつよなければ 承久三年1221」を読む。

 満月と火星の代わりに、みなとみらい地区の紅葉をもう1枚。


横浜美術館前の紅葉

2022年12月08日 18時28分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は、みなとみらい地区の神奈川大学の校舎で「キーワードで観る美術鑑賞 色彩編」の第4回目「紫と絵画」(講師:中村宏美氏)を受講。講座の中で「近代美術の巨匠たち」(高階秀爾、岩波現代文庫)を紹介してもらった。

 講座終了後、工事中の横浜美術館の近くの喫茶店で昼食。コーヒーを飲みながら外を眺めているうちに、暖かい陽気でもあり、ランドマークタワーを通って桜木町駅まで歩いてみることを思いついた。
 久しぶりに帆船日本丸を下に眺めながら、動く歩道を経由して地下鉄桜木町駅まで。
 横浜駅で歩数計を見ると7000歩余りも歩いた。むろん杖を突かずにのんびりと歩いた。

 横浜駅で有隣堂を巡り、紹介された本を見たが、在庫はどの店にも無いようである。出版が2008年正月なので致し方のないところ。古書店で探すことも考えたが、交通費や時間を考えると、神奈川大学の六角橋の生協に出向いて注文することにした。

 


本日の読書

2022年12月07日 22時50分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は塚本邦雄の「菊帝悲歌 小説後鳥羽院」の第4章「などあけぼのと 建暦三年1213」を楽しんだ。
 鎌倉との緊張関係の亢進と合わせて定家との関係の悪化、北面の武士藤原秀能(ひでとう)の重用、藤原家隆の重用など承久の乱の後まで続く関係が顔を出す。
 いかにも塚本邦雄らしい歌や濃密な文章を楽しみながら読み進めている。

 夜には坂本繁二郎が最晩年に日経の「私の履歴書」として口述筆記から起こした「私の絵 私のこころ」の始めの部分に眼をとおした。絵画作品の印象とは違って、いかにも明治の人らしい坂本繁二郎の口述筆記で、違和感は否めない。ただし作品の鑑賞の一助になればという思いで眼をとおしている。

 明日はみなとみらい地区の神奈川大学の校舎で「キーワードで観る美術鑑賞 色彩編」の第4回目「紫と絵画」。朝10時から12時まで。8時45分には家を出ないとバスに間に合わない。


馴染めないタブレット

2022年12月07日 20時21分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 私はどうしてもタブレット端末というのが苦手である。パソコンでのウィンドウズの操作にすっかり慣れてしまっている。妻はパソコンは苦手で娘に購入してもらったタブレットを持っているが、使い方がわからないとすぐに私に聞いてくる。
 私は冷たく「自分で考えろ」と突き放してしまう。何しろ自分が満足に操作できないのだから教えることなど出来ない。「わからなければ娘に電話でもして聞いてくれ」というと、「別にわからなくてもいい」と開き直られてしまう。
 本日も出がけに聞かれて、家を出るのがすっかり遅くなってしまった。結局わからず「俺に効いてもわからないから、聞かないでくれ」と私の方が開き直って、逃げるように出かけた。
 画面にキーボードを出しても、いつも途中でキーボードが消えてしまったりして、どうしていいのかわからなくなる。かな変換ならブラインドタッチで極めて早く入力できるのだが、それでもテンキーボードがないと指が止まってしまう。頭の中も、指の感覚も、思考の回路もすべてウィンドウズ仕様、かな入力・テンキーボード併用の仕様になってしまっている。応用力がないと言われると反論できない。情けないものである。
 ただしスマホのアンドロイド対応のために、スマホの時に限って、ローマ字入力にようやくなれた。


新しいシャワーヘッド

2022年12月07日 13時23分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩使ってみた新しいシャワーヘッドはそれなりに気持ちがいい。これまでのものは異常にお湯の吐出範囲が広がり、帰宅後に足だけを洗うにも服にお湯がかかったりと不便であった。またホースを長いものに替えたので、風呂場の外にある洗濯機まで届くようになり、風呂の残り湯をバケツで運ぶ必要がなくなった。
 私は毎日外出先から戻って足を洗う時、そして夏場に外から戻った時に汗を流す時にシャワーを使う。普段深夜に入浴するので、ガスを沸かして大きな音を立てるわけにはいかない。妻は毎日の洗濯でバケツでお湯を運ぶ手間が省けた。それなりに利用価値が高い買い物が出来た。

 午前中、ふと思いついて、2台のプリンターの位置を入れ替えた。ほんの小さな利用上の理由。しかし21キロもあるプリンターの移動は一苦労。この苦労に見合う利便性があったのか、というと自信はない。気分の問題程度である。
 ただし、パソコン台を動かしたので、いつも手抜きをしている箇所の埃を少しは除去できた。

 太陽が顔を出してくれたので、昨日よりも温かく、そして何よりも明るい。これよりいつもの外出予定。


冬満月

2022年12月06日 22時44分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日は夕方までには太陽が顔を出す予報であったが、結局は厚い雲が空を覆い、青空も太陽も見ることは出来なかった。そして寒々とした気温が続いた。15時過ぎの9℃が最高気温となった。横浜ではもっとも寒い時期を下回る気温であった。最低気温は明け方の5℃と今季最低気温。
 気温も、木々の様相も、ようやく冬の様相である。そして8日は十五夜で満月。

★寒満月急に遠吠えしたくなる      大坪和子
★冬満月歩幅ひろげてゆく一人      幡野千恵子
★立ちしものに光りを注ぎ冬満月     碇 英一

 第一句、冬の夜は音が遠くに響く。空気が乾燥して伝播しやすいこと、そして放射冷却で気温の低い空気の上に温かい空気がかぶさって音を地表のほうへ反射するため、と教わった。私が生まれたころには、野犬や、放し飼いの犬や、庭で飼う犬が多く、遠くで吠えているのが耳に入ってきて怖かった。そんな昔を思い出しながら、冬の満月に向かって遠吠えをしたくなる気持ちがわかるような気がした。
 第二句、普通ならば寒いこの季節、満月が空にかかる夜に外を歩くと、寒さで小幅な動きなる。にもかかわらず悠々と大股でゆっくりと胸を張って歩く人、眼がおのずと吸いよせられる。さて、どんな人なのであろうか。自信に満ちた人となりをうらやましくも思う。
 第三句、冬の満月の光が街中を照らす。夏とは違い、木々の葉に遮られることもない。葉を落とした木々の黒々とした姿が目立つ光景が目に飛び込んでくる。蕪村の「月天心貧しき町を通りけり」を思い浮かべた。