Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「菊帝悲歌」から

2022年12月06日 20時47分54秒 | 読書

   

 本日の読書は「菊帝悲歌 小説後鳥羽院」の第4章「などあけもぼのと-建暦三年1213」を少々と、「跋」、解説「後鳥羽院投影」(千街晶之)に眼をとおした。
 昨日読んだ第3章では
巻頭第一首から、新古今和歌集は死霊がついてゐる。だからこそ、だらこし人を誘(いざな)ひ、酔はしめる。だからこそ一首の下限にも、それを置く位相にも正者は心を尽くさねばならぬ。
という箇所に付箋を着けた。

 いかにも塚本邦雄ならではの新古今評価だと感じた。


冬の雨

2022年12月06日 11時24分30秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨晩は雨が強まり、外に出ている風呂釜にあたり大きな音が続いた。家の北側のプラタナスは樹上の枯葉はほぼ落ちてしまい、芝生や道路上に溜まった葉も片づけられたため、落葉にあたる雨の音もはとんど聞き取れなかった。いよいよ冬本番の様相である。
 乾燥した冬の日ならば際立って聞こえるはずだが、雨がひどいと救急車や消防車、パトカーなどのサイレンの音も少し和らいで聞こえた。

 本日の明け方には雨が上がる予想になっていたが、まだ0.1ミリ未満のレーダー雨量計には表示されない弱い雨が降っている。

★永遠の待合室や冬の雨         高野ムツオ
★傘ささぬ子の現れし冬の雨       波多野爽波

 第1句、「永遠の待合室」とはどこか。たぶん斎場というのが、一般的な解釈。火葬を待つ間の寒々とした待合室なのだろう。普段交際のない親族などの間で無口に時間を過ごすことが多い。さまざまな思いが去来する。故人を介して成り立つ場である。寒々しい冬の雨が生きている。一方で、廃線あとに残された駅舎の待合室だと、寒々しい待合室でも、少し温かみを感じる。この待合室を利用した親族でも近所付き合いのない人も入るかもしれないが、椅子や壁に刻まれた痕跡はなつかしみがある。斎場の寒々しい雰囲気とはおおいにちがう寒さである。少し救いすら感じないだろうか。
  第2句、窓越しに眼で見る冬の雨である。雨が上がったのを子どもと傘の視覚、そして子どものいきおいのある息遣いで認知する。


「ピカソとその時代展」から その2

2022年12月05日 23時32分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

     

 夕食後は先日訪れた「ピカソとその時代展」からピカソの気に入った作品を引き続き図録からスキャナーで取り込んでみた。ピカソは1973年に91歳で亡くなっている。今回のベルリン国立ベルクグリューン美術館の作品では1970年の《闘牛士と裸婦》が最晩年の作品。
 この前年、1969年に描かれた《男と女》は国立西洋美術館にあり、見たことはある。
 解説によると、1961年以降、34歳年下の妻ジャクリーヌと二人で社会との接触を避けて南仏で暮らしている。90歳になろうというピカソによる男女のエロティシズムの発露には多くの議論がなされている。
 解説では《闘牛士と裸婦》にはレンブラントの《放蕩息子の譬えにふんするレンブラントとサスキアの肖像》、同じく闘牛士を描いた《鳥のいるカップル》を変奏・変容させていると記載されている。後者のレンブラントの作品は私は見たことがない。特に男性性の強調には眼を見張るものがある。同時に解説の指摘だけでなく、私は最晩年になっても原色のあふれるような色彩感覚にいつも惹かれる。これも性的な象徴が含まれると解釈されるのだろうか。


販売する気のない店、購入する気の失せる店

2022年12月05日 18時20分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 妻と二人でシャワーヘッドの下見でバスに乗って大規模小売店舗へ。しかしすべてのシャワーヘッドは陳列場所から手に取って見られないようになっており、箱に書いてある説明書きが読めない。盗難防止のためらしいが、これでは商品を選ぶことが出来ない。いろいろ箱ごとひねってみたり、逆さにしたりしたが読むのは無理。店員も広いコーナーに一人もおらず、この店で購入するのは断念した。蛇口の形状の説明も読めなかった。
 販売する気がない店に思えたので、購入する気も失せた。30分ほどで妻も私も疲れ果ててしまい、収穫はなかった。やむなく近くの喫茶店で一服。

 諦めたくない私は、再度バスに乗って横浜駅まで出向いて、決して安くはないといわれる他の店で情報収集。こちらの店でも陳列棚から取り出せなかった。しかしそれも1万円を超える高価な商品に限られていた。もともと1万円もするものは購入する予定はない。1万円未満のものは手に取って箱のうら面の説明書きを読み比べることが出来た。また見本もあり、手に触れることもできた。蛇口の形状や、吐出する水の性質や、節水の度合いの知識を得たり、持ちやすさや重さなども実感することが出来た。
 値段は、前の店よりは少しは高いが、それほどの差がないことも分かった。ホースなどの付属品も品数が揃っていた。
 始めからこちらの店にすれば良かったと反省。いくつかの候補を選んだので、後日再び二人で訪れて購入することにした。

 雨が降りそうな気配があるので、書店の立ち読みは早めに切り上げて帰宅。近くのバス停で降りると少し降り始めていたが、ほとんど濡れずに帰宅できた。


恥ずかしながらストーブの前で

2022年12月04日 22時06分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は出そびれてしまい、いつの間にか夕食時間となった。買い物に出かけた妻からはそれほど寒くはなかった、といわれた。しかし室内に終日いた身には、寒さばかりが身に沁みた。
 家にこもったまま出迎えた夕食後には、ガスファンヒーターの前に陣取って「菊帝悲歌 小説後鳥羽院」(塚本邦雄)の第3章「あらしもしろき-承元元年1207」を読み終わった。

 明日はさらに寒く、午後遅くからは雨が降るとの予報。横浜市域の予想最高気温は10℃とのこと。その10℃も本日から明日へ日付の変わるころの気温で、昼間は9℃の予報である。 明日は特に予定も用事もないが、早めに出かけて、雨が降る前に帰宅したい。いつものルーティンである有隣堂、家電量販店、百円ショップなどを巡るだけでなく、シャワーヘッドも探してみたい。年度替わりのころに風呂釜の交換に伴い現在使用中のシャワーヘッドへ交換となったが、しっくりしない。交換については妻も同意。明日は下調べのみ。
 時間があればコーヒータイムとしたい。
 


つわぶきの花

2022年12月04日 20時06分36秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 団地の中でもつわぶきが見頃を迎えている。この時期、黄色の艶やかな花は余りないので余計に目立つ。つわぶきの花は少し黒ずんで見えることもあり、輝いているという言葉は似合わない。しかし濃く丸い葉との対比が好まれるようだ。
  また茎がスッと立つ姿は姿勢がいい。

★石蕗咲けりいつも泥靴と並びたる    加藤楸邨
★石蕗咲いていよいよ海の紺たしか    鈴木真砂女
★つはぶきはだんまりの花嫌ひな花    三橋鷹女
★石蕗の花色濃く在るは死児のため    佐藤鬼房

 俳句では「石蕗」と書いて「つわ」と読ませることが多い。


読了「鳥のように」から

2022年12月04日 18時21分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日読んだのは詩画集「鳥のように シベリア 記憶の大地」(宮崎進、岩波書店)。
 2014年、神奈川県立近代美術館葉山で開催された「立ちのぼる生命(いのち) 宮崎進展」を訪れた際に購入した本である。
 その時にも一度目を通したが、ブログには取り上げなかった。同時に購入した「旅芸人の手帖」(宮崎進、岩波書店)のほうが当時の私にはインパクトが強かった。

敗戦と植民地の崩壊は、多くの人間を異国の原野に置きざりにした。野良犬のような生活は、やがてシベリアの俘虜として労働を強いられる日々に替わった。ここでは頼られるものは何一つなく、生きるだけの生き物として、次にやってくる何かをただ待つだけだった。二十歳を過ぎたばかりの私には、抜け落ちる砂のような虚しさだけがひろがって、やりきれない日々が続いた。
ラーゲリに辿り着いたその時のシベリアには、画帖やメモにすべき紙も鉛筆もなかった。眼の奥に焼き付いた記憶だけを頼りに作品を創った。しかし、中国やシベリアで出会った凄まじい人間の生きざまは美術の領域をはるかに超えていて、どう表現してみても仕切れない。そのことが私にとって制作上の一つの出発点となったと考えている。具象、抽象の別を超え、私の抱え込んだシベリアを透過して、その先に見え隠れする何かを描き止めようとする、イメージの造形化ということになっていった。人間本来の姿を、力強い生き物としての人間を、その存在から滲み出る何かを、画面の上に捉えたいのである。」(序章「私のシベリア」)



いつか、地の果ての地獄の風景をこの眼で見たかった。/そう思うようになったのは、いつからだったか。/壮絶な空はますます遠くにあって、/大きな鳥がぼろぼろの羽をひろげて漂う。/これは私の中の鳥なのだ。」(Ⅰ「鳥になりたい」 「冬の鳥」 )



私が私でありたいと思うとき、すべてを捨て孤独を求める。/はるかな空や、海原を漂う鳥になりたい。/虚空に浮遊していたいのである。」(原点)

物の輪郭としてのかたちではなく、茫漠としてかたちのない無限。/人間の力の到底及ばないものを画面の上に捉えたい。」(原点)

ありわけ私の眼に焼き付いたのは、生きる意志と力を失わない人間の持つパワーである。あの凍りついて何ひとつない荒野から立ち上がって、人間らしい営みを取り戻し、生きるためのさまざまなものを創り出した人間そのものの姿である。」(原点)

私には、はじめにシベリアがあった。この体験や記憶を再現することはできないが、ここにあった絶望こそ、私を何かに目覚めさせるきっかけとなった。生死を超えるこの世界で知った、人間を人間をたらしめている根源的な力こそ、私をつき動かすものである。/私の描いてきたものは、戦争や抑留そのものではなかった。その体験を通して人間という何よりも強い存在そのものを表現しようとしたのである。」(Ⅱ「歓喜の歌 記憶の大地から」)

世界の中がどうあろうと、昨日も今日も何も変わることのない宇宙や自然のサイクルのもとで、見ようとする眼の新しさだけが、新しいものを生みだすということである。/ものの表現とは、何をどう使って如何にしようとも、見る眼は所詮、つくる人間の肉眼以外の何ものでもなく、それ以上でも以下でもありえない、ということである。」(Ⅱ「歓喜の歌 記憶の大地から」)

自然を自然たらしめているもの、人間を人間たらしめているもの、眼に見ることは出来ないが、原初的な根源にある丸裸の人間を捉えたいのである。戦争と俘虜という残酷で哀しい淵を生きた物の、したたがて清冽なまでの生き様を、時代の一つの断面として描いておきたいのである。不幸な時代を生きた一人の画家の体験をとおして、人間の原型ともいうべき、存在そのものに迫りたいのである。」(Ⅲ「シベリア 死の家の記録」)



動きのとれないほど丸裸の人間の集まりが俘虜である。朝から晩まで、いつでも誰からも全体を見透かせる関係にあって、互いに晒け出した、ごまかしのない時間を共有する。気取りのない対等な、いわば裸のつきあいは人間の強い繋がりをつくる。」(Ⅲ「シベリア 死の家の記録」)

死んでいった彼らへの鎮魂の思いを託すものは、生き残ったものにきざす無情をかたちに変えることしか、私にはなかった。」(Ⅲ「シベリア 死の家の記録」)


「図書12月号」から その3

2022年12月03日 23時01分29秒 | 読書

 新宿までの電車の中で読んだもの。

・ゆうやけ七色             近藤ようこ

・寓話                 岡村幸宣
・・体験を拠り所とする想像力は、否応なく遠ざかりつつある。「記憶の継承」がメディアが取り沙汰されるのは、そんな危機意識のあらわれだろう。一方で、歳月によって記憶が遠ざかるのは自然なことだ。体験者の証言はかけがえのない意味を持つが、他者がそれをなぞるだけでは、記憶の鮮度は失われていく。「継承」とは、記憶の意味を理解し、思索を深めると同時に、そこから見出せる問題意識を更新し続けることだと思う。
ものごとにはかならず終わりがある。けれども人々の心には、確かな記憶となって残り続ける。美術家の心のなかにも、この場所を通過したという記憶と手ごたえは残されるだろう。大切なのは、その試みを、途絶えさせずに続けていくことだ。

 今月号は16編中12編で読了。


無事帰宅

2022年12月03日 22時30分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 21時過ぎに忘年会から帰宅。夕方に横浜駅から新宿駅までの駅構内は人通りも多く怖いので、リュックから杖を取り出して歩いた。特に往路は混雑していた。山手線の遅れもあり、新宿駅での総武線への乗り換えは特にひどかった。狭いホームを人混みを避けながら冷や冷やしながら歩いた。
 復路は混雑の時間帯を過ぎており、楽であったが、念のため杖はしまわずに家まで持ち歩いた。

 明日の午前中は団地の管理組合の諮問機関の会議。寝坊は出来ない。


「図書12月号」から その2

2022年12月03日 10時48分29秒 | 読書

 昨日目を通したのは次の4編。

・シーツ越しの歌声           イリナ・グリゴレ

・平和へのパレード           大島幹雄
4月1日、YouTubeチャンネル「Clown parade」を解説した。ロシアによるウクライナ侵攻に対して、いままでサーカスやクラウン(道化師という訳がいいのだろうか?)たちと仕事をしてきた私が、何ができるか、仲間たちと共に考えながら、立ち上げた「笑いで平和」をめざしたプロジェクトだ。
「クラウンは時代を映し出す鏡」といわれています。それは時代がまちがった道に進むことへ警句を発するという指名をクラウンが担っているからでしょう。‥戦車に戦車で対抗してはいつまでたっても戦争は終わりません。戦争をやめるために何が必要か、それは人間の善と愛を信じる力です。みんながそれに不信をもっているとき、愚者、クラウンだったら、それを訴えることが出来るのではないでしょうか。

・横光利一の時代とメディア       十重田祐一

・気楽な現場              谷川俊太郎 


食い意地

2022年12月02日 22時23分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほど中華街から無事帰宅。本日は老舗の店で6人ほどで予約なしで入った。私はあまりアルコールは摂取せずに早めに切り上げた。

 本日の午前中は「ピカソとその時代」展で気になった作品をスキャナーで取り組みんで画像処理を施した。まだあと10点ほどが未処理である。時間的にも間延びしないうちに、その2、その3と続けてアップしたいのだが、なかなかうまく日程が確保できていない。
 少なくとも明日は無理である。

 本日も杖を突かずに出かけた。これからどのように回復していくか、無理をしない範囲で杖からの脱却を図りたい。横浜駅近くの繁華街は杖がないと相変わらず怖くて歩きづらかった。怖い思いをしないで繁華街を歩いてみたい。

 明日の午後は前横浜林市長と前総理の合作によるカジノ騒動を振返る講演会、夕方からは昔の友人たちとの忘年会とお酒を連続して外で呑む羽目になってしまった。30日、2日、3日と続けての呑み会は体に応えそうである。70歳を超えたのだから少しずつ忘年会もセーブしてしかるべきなのだが、日程的に重複してしまった。食い意地を克服できていない自分が情けなくもある。

 


「図書12月号」から その1

2022年12月02日 14時49分34秒 | 読書

 



 いつものように気になったところを覚書として。

・[表紙]ベンジャミン・フランクリン       杉本博司
結社は秘密が良い。そこでどのような秘儀が執り行わているのか興味を誘う。結社は宗教を名乗らないところも良い。‥フランクリンはもちろん合理主義者だ。私にはその合理主義を突き動かす何らかの動因があったように思うのだ。結社の秘密に私は誘われていく。
 私はまったくこれとは真逆の思想である。特に結社を「政治結社」にしてみればよい。日本の政治結社は保守も革新もリベラルも、体制派も反体制派も、押しなべてその中枢の「秘密」と「正統性の保持」という「秘儀」によって生き永らえてきた。日本の政治はそのことを自ら抉り出さないと将来はない。旧統一教会信者を親に持つ山上徹也が示したのは、安倍晋三と自民党が統一教会とこれほどまでに癒着してきたことを図らずも満天下に示したことである。これほどの衝撃はどの政治組織も個人もなしえなかった「秘密の暴露」である。
 現実の宗教、政治等々の場面では「結社は秘密であってはならない」のである。「秘密」や「秘策」が積もれば積もるほどその組織は腐敗し、構成員を押しつぶし、唯我独尊になり、頂点に位置するものだけが組織を支配してしまう。

・アルツハイマー病と診断された母の心の奇跡   齋藤正彦

・柳田、南方山人論争と中国の山人        金 文京
 私の理解の範囲を超えている論考であった。ちょっと無理がありそう。

・落語家と噺家                 橘 蓮二
年齢を重ねていけばいやというほど自覚することだが、人はおいて必ずしも賢くなるわけでも善良になるわけでもない。それでも落語の国に住む、清濁併せ呑む登場人物たちの、右往左往しながらも懸命に生きる姿に触れることが出来たなら、迷い外のある人生の中にも生きるヒントが得られるかもしれない。

・社会人未経験者、社会人に社会学を教える    中森弘樹

・金子淘汰の語った生月と、山頭火、一茶     北村皆雄
(金子兜太は)妻を通して乳負の人に親しみを持つようになさ手から、少しずつ変わっていった。兜太さんが言うには、俳句も社会的なものからだんだんアニミズム的なものに向いて行った当う。“梅咲いて庭中に青鮫が来ている”青鮫は、南の海での戦死者だろうか。それを食べに来たサメのイメージと重なっているようでもある。
 ここの最後の一文は誤植かもしれない。意味不明。私はこの句について「青鮫」は戦死者ないし「戦争」の幻覚と解釈してきた。
金子兜太さんは、思想的には一茶に惹かれているが、その潔癖性、身の清さからは、むしろ(井上)井月に近いと私は思ってぃる。それはインタヴューで語った山頭火についての手厳しい評価からもわかる。
兜太さんは晩年、一茶の荒凡夫を意識して俳句のありようを語っている。「私は存在者の俳句をつくりたい。存在者とは、そのまま、そのもので生きている人間のこと。人間の本来の姿である存在者のために生涯を捧げたい。」

 


寒い一日

2022年12月01日 20時40分07秒 | 天気と自然災害

 2時間ほど前に夕食を摂ってから帰宅。外の寒さも身に沁みたが、帰宅してみると部屋の中の温度もかなり低くなっていた。娘の家はそれなりの高層階なので温かかった。うらやましいものである。昼直後に弱い雨が降った。

 ようやく室温が上がり、ホッとしている。本日の最高気温は14.2℃であるが、日付の変わったころ、0時2分の気温である。今のところ、15時半の9.6℃が本日の最低気温である。風は終日北風だったと思う。

 明日・明後日と二日間とも昼から夜にかけて出かけるが、残念ながら気温はそれほど変わらない予想である。雨が降らない予報が救いである。


「重たい」空気

2022年12月01日 11時13分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日帰宅したら岩波書店の広報誌「図書12月号」が配達されていた。本日から読み始める予定。

 外はとても寒い。湿度も56%と高い。降水確率は10%となっているが、雨が降りそうでどんよりとしている。冬の割に空気が「重たい」と感じる。予想最高気温は14℃となっているが、

 本日は娘夫婦の新居にご招待を受けた。親と一緒に3人で昼前に出かける予定。眺望はとても良いところであり、うらやましい環境である。