Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

Zoomの接続に四苦八苦

2024年01月25日 13時34分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中はオンラインでの美術鑑賞講座「日本美術史」の第1回目「平安時代前期」。今回もZoomに入るのに苦労して、講座開始後5分ほどでようやく接続できた。
 前回も前々回も四苦八苦、結局こちらのカメラが作動せず、私の顔は写らなかった。そのこと自体は問題は無いのだが・・・。前々回は講座の画面はちゃんと出た。前回は講座の受講は音声のみで我慢した。
 今回も講座開始の5分前から操作したものの、なかなか接続されなかった。やはりこちらのカメラの作動が問題であったようだ。
 数年前からZoomは利用しているが、こんなに続けてスムーズに接続できない現象は初めてである。

 現在の外の気温は9℃ほど。昨日よりも低いが、窓から見る限り太陽が照って明るい。風もないため、暖かそうなにみえる。
 これより出かけてみるつもりになった。昨日夜に心ならずも寒い中をウォーキングしたので、本日は控えめにしたい。膝の違和感は今のところない。


北風の中をトボトボと

2024年01月24日 21時00分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 20時近くになってから帰宅。バスの中で眠ってしまい、乗り過ごしたと思い慌てて止まった停留所で降りたら、3つ手前のバス停であった。やむなくトボトボと2キロほど歩いて帰宅。北風が強く、気温は4℃程しかなかった。横浜市域には夕方から雷・乾燥・低温注意報が出ていた。
 空には明日十五夜になる小望月が照っていた。月を眺める気持ちのゆとりはなく、迂闊な自分に腹が立った。
 家についてみると、歩数計は1万歩を越えており、予定外に歩いてしまった。さいわい膝が痛くなることは無かった。

 本日は昼休みに「「おくのほそ道」謎解きの旅」(安田登)の第1章「そぞろ神が旅路へと誘う」の半分ほどを読んだだけであった。

 明日の午前中はオンラインでの美術鑑賞講座。今回からは「日本美術史」の講座となる。資料をこれから打ち出して、就寝予定。


安全「神話」

2024年01月24日 09時04分01秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 昨夜のウォーキングは1500歩程で終了。夜は息が上がるほどの早さである。目安にしている1日の歩数は1万歩以下、週に1日は3千歩以下の休養、月に22万歩程度である。
 2千歩までならば、4年ほど前の早さで歩けるまでに回復している。帰宅すると息が上がり、外気温は寒いが体が汗ばむ。2千歩を越えてこの早さで歩くと、膝に違和感が生ずることが多い。2千歩を連続の早歩きの上限の目安にもしている。

 さて、新幹線の架線事故、大きな影響が出ている。一歩間違えば重大事故に繋がるような作業員の被災も伝えられている。原因の究明はまだのようだが、新幹線の安全「神話」に警鐘が出てしまったのだろうか。
 羽田の事故といい、志賀原発の外部電源喪失といい、安全「神話」というのは脆いものでもある。過剰なまでに過密化し、高度化しているにもかかわらず、日常の安全点検が疎かになっていないか。
 施設管理というのは、維持管理の外注化・委託化が進みやすい。安上りの維持管理に陥りがちである。
 外注化・委託化するとしても、管理体制の無責任化、技術の丸投げ・責任の押し付けに繋がっていないか。常に問われるものである。施設の点検体制のあり方に踏み込んで、透明性の高い原因究明を求めたいものである。もとより、労働災害はあってはならないという前提で、見直しをして欲しいと切に望んでいる。
 私は労働組合の役員として、技術の継承と、人材育成と、責任の明確化、安全で誇りの持てる労働というものには常に交渉でこだわってきたつもりである。他の企業や組織の状況を見るときもその視点は手放したくない。
 原発も、願望で「安全」になるのではないはずである。原発事故の恐ろしさは体験済みであるが、喉元過ぎれば弥縫策と、「安全」願望と決意で再稼働に突き進んでいるようにしか思えない。廃炉にはまだまだ紆余曲折が待受けている。結論を願望で描いてほしくない。


本日から読む本

2024年01月23日 20時52分56秒 | 読書

 本日から読む本は、「「おくのほそ道」謎解きの旅」(安田登、ちくま文庫)。



 美術関係の本からは少しだけ離れて、「Blue」(川野芽生、集英社)と、この「「おくのほそ道」謎解きの旅 身体感覚で「芭蕉」を読み直す」の2冊を併行して読むことにした。
 後者の本の著者安田登氏は、能楽師。ツィターでの発言はずいぶん勉強させてもらっている。

 本日は、喫茶店で「Blue」を半分まで読み、残りの時間で「「おくのほそ道」謎解きの旅」の「はじめに」までを読んだ。この時点で店の中が賑やかになり、退散。もう少し読みたかった。

 少し早めだったが、バスで帰宅。



ひと仕事終了

2024年01月23日 13時35分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は再来週の労働組合の退職者会の「新春の集い」のリーフレットづくり。原稿はできたので、他の役員に早速送信。チェックを依頼できた。
 A4版の両面印刷。二つ折りにして4ページ。前年のものを利用して上書き。とはいえ、文字や色合いは変えないと新鮮味がない。工夫のしどころである。来週の実行委員会で確定後、100部ほど印刷して出来上がり。
 ひと段落つくとどんな時も気分が良くなる。

 一応原稿が出来たので、午後はフリータイム。いつものように喫茶店をめざして出かけたい。どこの喫茶店にするか、天気もいいので歩きながら考えるのも楽しい。


夜のウォーキング再開

2024年01月22日 22時34分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 夜のウォーキングを3日ぶりに2000歩ほど行った。歩数は少なかったが、息が上がる程度に早めに歩いた。これで本日の歩行は8200歩ほど。2日間ウォーキングを自粛したので、体がウズウズしていた。気分よく歩けた。
 21時過ぎの外の気温は11.7℃もあり、夕方よりも少し高くなっていた。湿度も82%越え。路面には雨が降った後があり、ちょっと不気味な気象である。空は厚い雲が覆っていた。昼間よりも雲の厚みがあった。

 午前中に受けた視野検査、視野の欠損は拡大しておらず、現状維持。一応緑内障の指摘を受けてから15年以上経つが、この間、視野は狭くなっていないと言われ続けており、ホッとしている。

 政治家が「秘書がやっていたので気がつかなかった」「隠す意図は無かった」というような言いわけが、本日は盛んに報道されている。政治家としてというよりも、社会人としてあまりにお粗末。
 政治家の言いわけを聞くと、もともと社会人としての常識を身につけることができない人、常識・順法精神が欠けた人だったのかと疑ってしまう。彼らに「法の支配」云々というお説教を垂れてほしくないものである。
 緑内障では不本意ながら視野が欠けて、元には戻らないが、彼等はもともと順法精神が欠け、これからも守る気が無いように思える。派閥の解消で終わらせてはならない。要は政治資金の透明性確保と、闇のお金をなくすことである。
 犯罪を犯して「その意図はなかった」で許されるならば、社会は成り立たない。修正すれば許されるのであれば、税の追徴課税などの制度も崩壊する。そもそも辞職を表明した議員は、「飲み食い」と言っているらしいが、政治資金ではなく遊興費ならば、政治資金ではなく所得として、追徴課税の対象ではないのか。その程度のことも知らないのだろうか。
 還流した組織の責任者、もらった者、いづれも法的に潜り抜けても、検察のお目こぼしがあったとしても、道義的には彼らに国会議員としての資格はない。即刻辞職してもらいたいものである。
 


「Blue」(川野芽生)

2024年01月22日 21時10分44秒 | 読書

 昨晩の天気予報よりは2℃ほど気温は高い14℃になった。この時期2℃の差は体感としてとても大きい。特に屋内など空調設備の整っているところにいると暑いくらいに感じる。
 親の通院の付き添いのついでに、私も眼科で視野検査を受けた。帰宅後再度出かけて、喫茶店での読書タイムののち、郵便局で当選していたお年玉切手をもらい、書店をまわってから帰宅。

 さて、次は何を読むか。実はまだ決めていない。
 読みかけの小説がある。芥川賞候補になった「Blue」(川野芽生)である。芥川賞とはならなかったが、なかなかおもしろいと思っている。並行して読むものは、小説ではないものにしたい。


読了「近代美学入門」

2024年01月22日 20時12分58秒 | 読書

   

 「近代美学入門」(井奥陽子、ちくま新書)を読み終えた。18日にも記した通り、私の理解がおよばないのであろうと思うが、感想はいまひとつ。

主観主義的な美の捉え方には共感を覚えます。唯美主義や芸術至上主義も、芸術の可能性を広げ、豊かな作品を馬堕しました。これらを否定したり、中世以前に戻るべきだと主張したりするつもりはありません。公序良俗に反するものであっても、その人が美しい感じるとはどうにも動かしようがありません。主観主義美学に基づいた美の自律性がときに常識か普遍的真理かのように語られることがあります。こうした事態に対しては、近代美学史に携わる身としては危うさを感じる‥。」(第3章)

 是非とも「現代美学」についての言及が欲しい、と感じた部分である。「美」が静的ではなく、鑑賞者にとっても、作者にとっても、動的であり時間軸を外すことはできないということ、「時代」や「社会」の時間軸も挿入しなくてはならないということを前提とした論を求めている私がいることに、ようやく気がついた。
 鑑賞する側だけで言っても、知識の累積、鑑賞した作品の反芻・醸成、年齢による経験の差や時代認識や作品背景の了解度等々、ファクターは無限にある。
 私自身の問題意識に気づかせてもらったことは収穫。


選択を間違えたようだ

2024年01月21日 22時16分52秒 | 読書

 夕方から読書を少しばかり。「近代美術入門」(井奥陽子)の第4章「崇高 恐ろしい大自然から心を高揚させる大自然へ」を読み終え、最後の第5章「ピクチャレスク 荒れ果てた自然から絵になる風景へ」の第1節「絵になる景色を探す旅」までで、本日の読書は中断。

 この本、残念ながら18日に記したような私の期待とはどんどんかけ離れていく。著者には申し訳ないが、最後まで目をとおすが、感想をうまくまとまるか、まとめる気力が湧くか、疑問。私の問題意識や期待とはすれ違ってしまった。やめてしまうことが出来ないのが、私の未練がましいところ、と言われる。

 明日の天気は晴れるものの北風が吹き、雲の多い予報。気温は13℃まで、本日よりも少し高いが湿度も高く、それほど暖かくは感じはしないらしい。
 午前中は、親の通院の付き添い。同じ建物の中の二つの病院、ならびに薬局。

 午後はいつものようにコーヒータイムと読書タイムをどこかで過ごしたい。


風呂場の冷気

2024年01月21日 19時39分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝になって雨はだいぶ弱くはなったが、13時くらいまでは雨が降っていた。夕方まで降り続けるという予報であった。しかし15時ころには雨はあがった。
 雨が上がったのを確認し、近くのドラッグストアに出かけて、頼まれた食材を購入。ドラックストアの広い駐車場は車が満杯。
 16時過ぎに最高気温の11.9℃。予報より少し下回ったものの、平年よりも2℃ほど高い。
 今月は一昨日までに少し歩きすぎたので、昨日から右膝に少し違和感があり、昨日に続いてウォーキングは自粛。昨日は4500歩、本日は3400歩で終了。
 昨晩は頭を2ミリのバリカンで散髪をした。だいぶ慣れたのでそれなりに上手く出来た。しかし風呂場は寒いうえに、風呂用の椅子に座ってはいると、膝が冷えてしまった。風呂場での冷気がつらいと思うようになった。

 今晩はこれから北風が強くなるという予報である。

 


雨中の紅梅

2024年01月21日 12時22分30秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 昨晩から今朝にかけて、雪になるかもしれないと心配したが、杞憂であった。
 団地の中の紅梅の花弁が雨に打たれて、透けている。下を向いた花の黄色の雄蕊は雨の滴に数本ずつまとめて閉じ込められている。
 雨に濡れる花もそれぞれに個性がある。

★紅梅や雨脚つよき道違へ    岡 和絵
★微雨を得て色滴れり紅梅は   林  翔
★微雨微温寒紅梅は道しるべ   庄司 猛
★紅梅の紅を融かして雨滴る   藤井誠三
★紅梅のほの香雨に閉ざさるる  菅野 良

 


何となく不調の一日

2024年01月20日 22時31分31秒 | 読書

 本日は「近代美学入門」(井奥陽子)の第4章「崇高 恐ろしい大自然から心を高揚させる大自然へ」を半分ほど。できれば第4章を読み終えたかったが、喫茶店では読み終わらず、そのまま帰宅。
 午前中は他の本を読んでいた。こちらも予定の半分ほどで終わってしまった。
 どちらも中途半端な読書になってしまった。言いわけになるが、天候と同じに、何となく気分が不調ですぐれなかった。こんな日があるのも致し方ないのであろう。中・高生ではないので、試験に追われているわけでもない。人生の終焉に追われているのだが。

 天候を理由としたら、明日もまた不調になるが、そういうわけにもいかない。


お年玉切手シート

2024年01月20日 20時28分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日は年賀状の当選番号を調べた。確か昨年は100枚以上着ていたが切手シートが1~2枚当たっただけだったと記憶している。
 くじ運が夫婦とも良くないので、今年も1~2枚あれば儲けものと思っていたら、切手シートが6枚も当たっていた。現金30万円は望むべくもないが、せめてふるさと小包などが当たって欲しいとは思っていた。この年齢になっても当たったことはないので、もう無理そうである。
 私が小学生の頃は、1等から3等だけではなく、もっと等級があったような記憶もある。いづれにしろ、末等しか当たったことは無い。両親も同じく当たったことがないと記憶している。

 3等は下二桁が3つである。3つの数字の割合は同じなのだが、今回は6枚で2つの数字だけである。それも4枚と2枚。もう一つの数字は皆無。バラつきがあるのは当然であるものの、何となく不思議に思われる。


雪中の紅梅

2024年01月20日 18時07分05秒 | 天気と自然災害

 午後の気温が7℃台以下で推移したと思われる本日、ウォーキングも止めた。予報よりも早めに昼間から冷たい雨が時折り降ってきた。

   

 団地の中で毎年小さな花を咲かせる紅梅が今年も早々と花をつけた。
 横浜でも雪が降りやすい1月末から2月にかけて、雪を被って咲く花が団地の中で、人目を惹いている。本日は雪にはなっていないが、明日はどうなるか。雪になるかもしれないという報道もある。

 


ブラームス「ピアノ五重奏曲」

2024年01月19日 22時19分48秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日聴いている曲はブラームスの「ピアノ五重奏曲」(作品34)。演奏はアンドレ・プレヴィン(ピアノ)、ウィーン・ムジークフェライン四重奏団。録音は1984年。
 1862~64年にかけて、ブラームスが31歳の時に完成している。ブラームスにしては早い時期の作品であるが、翌年には弦楽六重奏曲第2番を作るなど、決して習作の時期ではない。
 吉田秀和は「通俗的なくらい有名な曲・・。要するに私はこの曲ではまだこれといって愛着を感じるレコードを知らない」といたって手厳しい評価を下している。
 しかしそうはいってもブラームス好きには欠かせない室内楽曲である。私はブラームスらしくない第3楽章がおもしろいと思う。後半のガチャガチャとした不安を煽るような主題が最後まで続く。そしていかにもブラームス的な第4楽章に収斂していく所も気に入っている。しかしその第4楽章も結構慌ただしいところが時々顔を出す。何かに取りつかれた暗い情念のようなものを感じる。
 印象的な曲である。