鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

豊臣秀頼の墓

2009-03-17 | 史跡
豊臣秀頼と母淀君は、大阪夏の陣で自害しました。
その秀頼が、薩摩に逃れたという伝説があり、墓もあります。
場所は、鹿児島市谷山4丁目の木之下(木之下公民館近く)です。
秀頼の父秀吉の、木之下藤吉郎の木之下と関係があるのかどうかわかりません。


墓の案内板。
「伝」というのが怪しいことを示している。


秀頼の墓。
人家の庭にあります。
初代谷山氏の供養塔という説もあります。


隣の石塔。

秀頼とその妻千姫は、信長、秀吉、家康の三人と密接な関係があります。
秀頼は、信長の妹お市の長女淀君(茶々)の子。
千姫は、お市の三女お江の子。
二人はいとこ同士で、二人から見て信長は祖母の兄になります。

秀頼の父が秀吉(そうでないという説もある)。
千姫の義理の父が秀吉。

千姫の祖父(父秀忠の父)が家康。
秀頼の義理の祖父が家康。

つまり秀頼、千姫とも、信長、秀吉、家康の三人のうち二人と血縁関係にあり、残り一人と縁戚関係になるわけです。
政略結婚とはいえ、戦国時代のサラブレッドですね。
ちなみに、千姫は大阪夏の陣から救出され、その後長く生きました。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする