清泉寺跡
2019-04-18 | 史跡
鹿児島市下福元町の清泉寺跡を紹介します。
湧水です。ここは水が豊富で、隣には水源地があります。
清泉寺跡の石塀。この右(谷の上流側)に多くの史跡があります。
清泉寺は5世紀の百済の僧、日羅の建立と言われます。明治2年の廃仏毀釈で破壊されました。
石塀から谷の奥へ行きます。左の岩壁に、磨崖仏などがあります。
前の写真の左上の小阿弥陀磨崖仏。鎌倉時代のものです。
頭部だけの像。
大きな阿弥陀磨崖仏。日羅上人の作と伝えられています。
下にある小さな像。
板碑磨崖仏。
板碑磨崖仏と石塔です。
谷の奥に島津大和守久彰の墓があります。
島津大和守久彰の墓(大五輪塔)です。
久彰は垂水新城の領主でしたが、島津家19代藩主光久の名で年頭の使者に立ち、江戸の紀州藩邸で玄関に駕籠を横付けするという不作法を起こし、光久から島流しを命じられました。これを拒絶した久彰はここで自害しました。29歳でした。
川があり、この先に立派な磨崖仏があります。
妙有大姉磨崖仏(右)と在家菩薩磨崖仏です。
妙有大姉磨崖仏。
在家菩薩磨崖仏。
川の右岸側にある阿吽金剛力士像磨崖仏です。
阿像。
吽像。
いずれも破壊されていません。