7月22日に、姶良市姶良町鍋倉の米山薬師を紹介しましたが、その東の山麓にある天福寺磨崖仏と鍋倉洞窟を訪ねました。
天福寺は創建時期は分かりませんが、島津義弘の娘お下が亡夫伊集院忠真の菩堤を弔うために再興したそうです。
正面の岩壁に磨崖仏があり、その左に鍋倉洞窟があります。
向かって右の岩壁です。左に洞窟入口が見えます。
脆い岩肌に刻まれた磨崖仏。計23体の磨崖仏があります。
前の写真の左にある磨崖仏です。
近景。
別の角度より見る。
隣の鍋倉洞窟です。火砕流堆積物が浸食されてできました。
内部。3500年前の縄文時代後期の洞窟住居跡です。土器、ハマグリ、アワビなどが見つかりました。
天井部。
洞窟入口から磨崖仏を見る。
洞窟内にある磨崖仏です。
洞窟の左にある磨崖仏。
近くに廃仏毀釈で破壊された仁王像があります。