前回の香梅ヶ渕の左岸に肝付家墓地があります。
坂の左に5段の墓地があります。肝付家は1595年以降、270年に渡って喜入を治めてきた一族です。
肝付家12代のうち、3代目から12代目までの領主や一族の墓があります。
1段目の墓地。宝篋印塔や五輪塔などの墓が並んでいます。
幕末に活躍した島津家の家老小松帯刀は、領主肝付兼善の三男として生まれ、子供のころの名を肝付尚五郎といいました。その後、小松家に養子に行きました。
2段目は、菩提寺であった玉繁寺歴代住職の墓です。墓地の隣に玉繁寺がありましたが、廃仏毀釈で廃寺になりました。
3段目の墓地。
五輪塔の墓です。
4段目の墓地。
1709年に建てられた首なし地蔵菩薩像です。
隣には、立派な五輪塔が並んでいます。
美しい装飾が施されています。
最上段の墓地。
後ろに、やや小ぶりな墓が3つあります。
上に像が施され、美しい墓です。文化十年(1813年)の文字がはっきり残っています。