田の神を後にして、中津野用水を下流へ行きます。
田んぼの脇を流れる用水。
道路反対側へ変わりました。
隧道の入口です。
隧道の下流側出口。
堰があります。
中津野集落が見えてきました。両側に水田が広がっています。
用水右岸側に広がる広大な水田。
中津野集落が近いです。
右の看板のところにユキエの墓があります。
中津野公民館の庭にあるユキエの墓。
水口ユキエの墓です。中津野用水の最大の功労者であるユキエが殺害されたとは、あまりに悲しい話です。
隣にある中津野石塔群。
ユキエの墓から田んぼを望む。ユキエは、用水や田んぼを見て何を思っているでしょう。
人家のあるところが中津野集落で、周りより高いことがわかります。河岸段丘のため高いのです。
ブラタモリではありませんが、この高低差が歴史を作ったのです。
役割を終え、中津野から落ちる用水。この後、山田川に流れます。
中津野から山田川対岸を望む。高い山が、ユキエが登った山と思われます。
ありますね。
用水路の作りに功績があったのに罪人としての
取り扱われをしているように感じます。
個の田畑を潤すのに 不可欠の用水路
今 こうして 水口ユキエの功績を称えることができて
せめてもの供養になりましたね。
出る杭は打たれる・・・程度じゃないですね。
一番下の写真 気持ちいいですね~
ウ~~ン って背伸びしたいです。。
こんばんは。
墓は、公民館の庭に、ひっそりと建っています。
あまり、訪れる人もいないのではないでしょうか。
用水路建設の最大の功労者のユキエが殺されるとは、理不尽ですね。
冥福を祈りました。
こんばんは。
ユキエの功績で、広い田んぼが拓かれたんですね。
休耕田が増えていますが、ここの田んぼはちゃんと耕作されています。
心を込めて、冥福を祈りましたよ。
あの山に、ユキエが登ったのか、と思って眺めました。
突然、昨年のブログ記事にコメント失礼します。
姶良市深水の出身で今は大分に住んでいる者です。
今日、故郷鹿児島での大雨被害で、別府川が危険水位とのことで、故郷周辺のGoogleマップを見たりしながら検索していたら、ふと水口ユキエのことを思い出し、検索したらこちらのブログにたどり着きました。
母は姶良市中津野出身で、深水に嫁ぎ、私が生まれ育ちましたが子どもの頃から、「水口ユキエ」という祖先がいて、用水を作ったということを聞かされていました。中津野の祖父母の家近くでは、用水で水遊びしましたし、今お墓がある公民館では夏祭りもありました。深水の実家の裏が女生嶽ですので、近くの子どもたちで登って竹を曲げて屋根みたいにし、秘密基地と言ったものでした。子どもたちは「にょしゅだけ」とは言えず「にしだけ」と呼んでいました。
今は、父母も祖父母も亡くなり、深水の家は空き家になっていますので、こんな祖先がいたことを私の子どもたちに伝えなければと思っています。中津野に今も住んでいる、母の弟(叔父)の子ども(いとこ)や孫に以前「水口ユキエさんて聞いたことがある?」と聞いたことがありましたが、聞かされていませんでした。
今、とても興奮しています。
写真を交えて紹介してくださってありがとうございます。
私もホームページやブログなどやっていて、以前、田植えの手伝いで実家に帰った時「水口ユキエの墓」の画像を投稿したことがあったのですが、もう少し調べてページを作り、子どもたちが分かるような資料を残したいと思っています。
長文、失礼しました。
長文のコメント、ありがとうございます。
水口ユキエの子孫の方なんですね。
それは驚きです。
この話は、伝説か、史実かわかりませんでしたが、やはり史実なんですね。
そうだとしたら、あまりにも悲しい話ですね。
でも、御先祖のユキエさんのおかげで、豊かな田んぼができたんですね。
調べたら、また教えてくださいね。
折角、水口ユキエさんが用水路を導いて下さったのに、近年は水門の係の人が適当過ぎですよね。
山田小と山田中の間を通る小さな宇都川の水が山田川本線に流れないので川が干上がって川魚が死滅した事があります。
何度、山田川からの水門をもっと開けてくださいと電話した事だろうか…
折角の用水路、水が流れてくれないと意味をなさない。実家の田んぼは大量に水を流してもらわないと水が入れられない。
こんな状態が何年も続いています。水口ユキエさんが何の為に考えてくれたのか解らないよねって両親と話をしています。
古馬場自治会の公民館脇には水口ユキエさんの碑が建っています。
おはようございます。
長いコメント、ありがとうございます。
水口ユキエさんのこと、本当に胸が痛みました。
実家が、この用水路の水を使っているんですね。
そして、その管理がしっかりなされていないんですね。
水を使う立場からすれば、困ったことですね。
古馬場自治公民館の水口ユキエの碑、取水口にある碑のことでしょうか。