鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

笠狭宮跡

2014-08-10 | 史跡

南さつま市加世田の笠狭宮跡を紹介します。

県道石垣加世田線の舞敷野バス停の近くにあります。

 

笠狭宮跡入口。

 

入口近くにある「日本発祥の地」の碑。

この地は、ニニギノミコトが日向の高千穂峰から降りて、コノハナサクヤヒメを后とし、皇居を定められた地とされています。神話日本発祥の地です。

 

階段を登り、桜並木を進みます。

 

階段の上に碑があります。

 

笠狭宮址の碑。

 

近景。

ニニギノミコトは、この後川内の可愛(えの)山陵に移り、そこに陵墓があります。

 

案内板。

 

イヌマキの古木がありました。

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高田城の下の田の神他

2014-08-08 | 田の神

南九州市川辺町の田の神を3体紹介します。

 

 

高田城の下の田の神です。珍しく、大黒天の姿をした田の神です。

  

米俵に立ち、右手に小槌、左手に福袋を持っています。

 

背中に福袋を背負っています。こんな田の神は初めて見ました。

南九州市では、他に大黒天の田の神は確認されていないそうです。

 

後姿。建立は明治25年です。

 

神殿小学校の前を少し上流に行ったところにある田の神です。

 

立派な台座に乗り、大きなシキを被った坐像です。

 

後姿。田園風景を見つめています。

 

永田にある永田の田の神です。いろいろな碑と一緒にあります。

 

町内の田の神の中で最も大きいそうです。建立は1724年です。

 

後姿。背中にワラヅトを背負っています。

 

田の神が見つめている田上岳(305.8m)。

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火の河原

2014-08-06 | 風景

川辺ダムのダム湖に架かる馬立大橋を渡り、左岸の支流を上流へ行くと、鹿児島市の火の河原(ひのこら)という集落があります。

山あいの緑豊かな所に似つかわしくない名前なので、前から気になっていました。

 

山に囲まれた流域の上流に火の河原集落があります。

 

山すそに人家が点在しています。

火の河原の名前の由来は、昔ここで製鉄が行われていたことによります。

 

棚田。

海から離れた山間地で製鉄が行われたのは、大量の木炭を必要としたためです。また、ふいごの動力に水車を使うため、水車ができる川も必要でした。このように、火と川に関係があるため火の河原という地名になったのです。

砂鉄は喜入前の浜から馬で運搬したそうです。

 

案山子のある田んぼ。

 

鹿児島市立福平小学校火之河原分校の跡地です。

 

校庭と校舎。分校は昭和51年3月に閉校となりました。

 

校舎から見た校庭。きれいな芝の校庭です。

 

「火の河原分校跡」の碑。

 

校舎。

地域の方がよく管理しているようで、閉校から38年もたっていると思えないほど、校舎も校庭も全く荒れていません。

 

廊下には、つい最近まで使っていたような備品がありました。

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川辺ダム

2014-08-04 | 水辺の風景

南九州市川辺町の史跡を見た後、川辺ダムへ行きました。

 

下流から見た川辺ダムです。

 

右岸から見た堤頂。

 

上流側。洪水調整と都市用水のためのダムです。

 形式:重力式コンクリートダム

 堤高:53.5m

 堤頂長:147m

 左岸止水壁:延長310m、壁厚:65cm

 

下流を望む。川は万之瀬川です。

 

ダム湖のさつま川辺湖。山の緑を映した緑色の水をたたえていました。

 

ダム湖に架かる神清橋です。

 

神清橋から下流を見る。遠くにダムが見えます。

 

神清橋から上流を望む。

 

さらに上流にある馬立大橋。

 

馬立大橋から下流を望む。川岸は垂直の崖になっています。

 

馬立大橋から上流を望む。

ダム湖の左岸の支流(写真右側)を上流へ行くと、火の河原という集落があるので、次回紹介します。

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虎御前供養塔他

2014-08-02 | 史跡

南九州市川辺町の史跡を紹介します。

 

神殿小学校の少し南の県道脇に、虎御前供養塔と神殿下里の地蔵尊があります。

 

虎御前供養塔。

日本三大敵討ちのひとつ「曽我物語」の主人公、曽我十郎の恋人である虎御前の供養のため、鎌倉時代に建てられました。

 

塔の上部には薩摩塔が載せられています。

薩摩塔は薩摩半島南部にしか見られない特殊な仏塔で、前回紹介した水元神社にもあります。

 

神殿下里の地蔵尊。

1417年の平山城・松尾城の合戦で戦死した人の供養のため、江戸時代に建てられました。

 

六角形の塔身にそれぞれ地蔵尊が彫られています。

 

前の史跡から少し北にいくと、神殿下里の庚申塔があります。

 

庚申行事は干支の庚申に行われる仏教行事で、これは1795年に建てられました。

 

田の神としての役割もあったようです。

 

近くに九玉神社があります。

 

境内の大木(ケヤキ?)。

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