勤務校の同窓会の60周年ということで先週末にパーティーがあった。
311後の世間の自粛ムードとは無関係に
たいへん豪華なパーティーでもあった。
コース料理が用意され、司会はプロの落語家。
余興では卒業生を代表して三味線の師範の演奏、
さらに出張オペラ歌手2名の歌声が加わっていた。
非常に個性的な先輩の先生方が何名か出席されていた。
身長130センチ台。
小柄で、生徒は「ミクロ」というあだ名を付けていたI先生。
彼女は学校を離れS校アイルランド分校に勤務されてきた80歳の老人になっていた。
中国の大学で昨年まで教鞭をとっていたO先生は、
チャイナドレス風の洋服を着用。
いかにも中国帰りであることを暗にほのめかされていた。
「ジョリジー」と言う名の体育のT先生は退職後に口頭ガンが発生。
声帯の摘出手術痕か、喉仏の辺りにくぼみがあった。
声を失っておられたので筆談で会話をさせていただいた。
固形物が食べられないと言うことで、日本酒を飲まれていた。
青森県の八戸に住むK先輩は、
S女子校時代のOGであり、そのまま母校に勤務した方。
東日本大震災についての状況や避難した体育館での日々の話を聞くことができた。
4日間は体育座りの状態で寝ていたそうである。
家のすぐ前まで津波が来た恐怖を語られていた。
私としては、入校当時、20代の頃
にお世話になった教職員の皆さんとの関係性は強固である。
当初は、煩わしいと思い出席したパーティーであったが
懐かしい人びとに会えたのは収穫であった。
さて
本日より中間考査が始まる。
授業をやりながら作問に、試験監督、採点、
そして試験後の結果分析とプラスの仕事が加わる週になってしまった。
本日は慌ただしさが加わってくる週への突入である。
6月には教育実習も開始される。
さらに、6月2日(木)は体育祭。
東京湾をゴミで埋め立てた夢の島での実施。
日頃、運動をすることや
肉体労働で美しい汗をながすことが殆んど無い
私にとっては炎天下の元、
一日中立っているのはとても辛い仕事である。
返り道で途中下車して、
冷え冷えのビールを飲むことをイメージして頑張るしかない。
ひとつひとつのイベントは、たいしたことはないが・・。
いくつか重なると準備も含めて慌ただしさは急増してしまう。
暑い夏もすぐ来そうである。