先週、生徒を引率して
東日本大震災で甚大な被害を被った被災地へ行った。
「どこに行ったのか?」
「被災地に何の目的で行ったのか?」は
以下のリンク先にある新聞紙面を見ていただきたい。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY201205110336.html
http://www.sanrikushimpo.co.jp/cgi-bin/page.cgi?MODE=3&CATE_ID=0&FILE_ID=9
私の仕事は裏方の仕事だ。
自分でもその方が性格的にあっていると思っている。
今回の旅行も裏方として計画した行事だ。
職場では高3の最終学年の行事の一つとして
都内有名ホテルでのテーブルマナー実施が慣例であった。
フランス料理のフルコース。
マナー講座付きで、1万円以上。
マナー講座自体はなかなか学ぶ機会もないので、
その実施に賛同する教員も多い。
私は物事を斜めに見ることも多いので、
約400名の高校生が同じようにナイフとフォークを持ち
高級ステーキを同時に食することに少々疑問を感じてしまった。
特に今回の旅行を計画したのが昨年の10月だからだ。
まだ、東日本大震災から半年程度しか経過していなかった。
テーブルマナーはいつでもできる。
そもそも何本ものナイフやフォークがプリセットされていて
どれにしようかを迷うような場合は大衆的な結婚式場・・。
そこで、被災地に行くようなツアーを組めないかどうかを旅行業者に相談。
なんとかできそうであるという返答をもらったが其処からが大変。
新幹線の団体予約は約6ヶ月以上前でないと座席が確保できないことが判った。
そこで、急遽企画書の作成、上層部への直接交渉を行った。
一部の教職員や保護者からは以下のような疑問が発せられた。
「再度、東北地方に地震があり津波が発生したらどうする?」
「放射線線量は大丈夫か?」
現地で今も暮らしている人がいて、
観光の町でその仕事で再起しようとしている人がいるのに・・。
怒りと落胆が入り交じった複雑な気持ちながら
全ての疑問に丁寧に対応した数ヶ月だった。
1 学年広報紙に旅行への理解を求める記事も書いた。
2 現地の放射線量、宿泊先ホテル、現地観光協会などのウェブページを含む保護者向けプリントも発行した。
3 保護者向け直前旅行説明会も企画し、私が全て一人で対応した。
なんとか旅行が無事に終わってほっとしているのが正直な感想だ。
現地では、3つの講演(90分×3回)と現地見学を取り入れた。
語り部の老人は言う。
「この防災庁舎を見ると当日を思い出して涙が出てしまう。しかし、あの日のことは語り継いで行かねばならない。」
「家はまだ良い。一人死んだだけだから・・、遺体があがったからまだ良い・・。」
というような会話が震災後に頻繁に行われていたことも語られた。
街には何もない。
瓦礫が港の側に大量に積まれていた。
家の基礎部分のコンクリートがあるだけ。
地面はキラキラしている。
粉々に割れたガラスが散乱しているからだ。
生徒諸君は、
メディアが伝えるものと自らが現地で感じるもの、見ることが全く違うことを感じたようだ。
さらに、「日常」の何気ない有り難さを。
事前準備が本当に大変な仕事だったが、やってよかったとつくづく思っている。