終礼での一言(2)
終礼でちょっとした一言を言い続けて1年になろうとしています。
先週は、「セーラー服」についての話を語りました。
本題に入る前に
まず、中学校の時にセーラー服が制服だった生徒数を調査しました。
その場で該当する生徒に手を上げさせたところ、
調査したクラスでは女子20人中、5名が該当しました。
たぶん、女子生徒の2割~3割程度が該当すると思います。
手を上げさせると隣り合う男子同士でざわめきが起こります。
それはお互いの手を上げあうジャレ合いです。
そこで、私はクラスのジャイアンのような大きな体型の男子に一言。
◯◯君も「セーラー服を着ていたの?」と。
ややウケ!
さて、都内私立高校で「セーラー服」を採用しているのは伝統のある名門女子高が多いようです。
その延長でセーラー服は清楚なお嬢様が着る制服というイメージがあるのかもしれません。
(1)和服に表現される貞淑さ
(2)軍人や官員の服装である洋服を女性がきることはけしからん
上記のような理由で洋服が女子の制服になりにくかったそうです。
転機となったのは1923年の関東大震災。
非機能的な和服のために逃げ遅れて亡くなった女性が大勢いたのです。
そこで、当時の体操服としてのセーラー服が和装の制服にとって替わったそうです。
たしかに水夫の服装であるセーラー服はマストに登ったり
甲板を掃除したりと活発な行動に適する服装です。
地方都市に行くと中学生がジャージに白ヘルメット姿で登校していますが、それは、和服からセーラー服の流れと同じかもしれません。
「セーラー服」が制服として規則で決められたのは1932年です。
ちなみに、セーラー服以外のスーツ型の導入は1941年です。
それは、ヒットラー・ユーゲント(ナチスの党青少年教化組織)の女子団員の制服をモデルとしているそうです。
・プラスの話
<掃除と身体測定の誕生>
1894年の日清戦争での死者は戦死者1に対して病死が2です。
集団衛生状況が悪く
赤痢などの伝染病で多くの人が亡くなったそうです。
その対策(集団衛生管理)を目的に
日清戦争後に学校に学校衛生主事が設けられました。
身体検査「健康診断」と「学校の拭き掃除」は日清戦争が生み出した学校行事なのです。
掃除係の人は教室掃除をしっかりやってくださいという言葉で締めたしだいです。