現在、緊急事態宣言が発せられ在宅ワークの呼びかけがされています。
実際にコロナ禍で在宅ワークは増加しているようです。
在宅者の増加で巣ごもり消費が増加していることも報道されています。
また、都心に近い郊外に引っ越す人も増えてもいるそうです。
なかには実家に戻る人も。
そのような傾向はあるとは思うのですが、依然として通勤電車は混雑したままです。
先日、勤務場所を選ばない働き方とは逆行する話を耳にしました。
それは「転勤」。
それらは両国から日本橋への転勤と大阪から九州への転勤の知らせ。
一方の場合には業務内容が外国為替に、もう一方は50歳半ばにしての見知らぬ地での勤務。
それらは定期的なローテーションありきの移動に他ありません。
ある意味、それはゼロからの再スタート。
つまり、求められている勤務がプロフェショナルでなくジェネラリストなのです。
まさに定期的な全国規模での単身赴任形式での転勤等の日本の特殊性を再確認した次第です。
さて、話は変わりますが私は子ども家族と同じ建物内に暮らしています。
そんな私の子ども、彼、の考えていることは良く分からない私です。
・日頃も「ゆっくり夕飯が食べたい」、「ゆっくりお風呂に入りたい」と理由で週の半分、孫を20時から1時間程度預かってもいます。
→私もゆっくりしたいのですが・・。
・「セダン車では子どもをベビーキャリーに乗せるにはたいへん。腰が痛くなる」との理由でエルグランドというワゴン車を購入したことを突然に報告に来る彼。
車庫証明を取りたいので記名捺印をせまる彼。
結局のところ彼へのパートナーの賛同もあり、私の二人乗りの軽自動車を鬼怒川の別宅に突然移動することになってしまいました。
先週も書いたのですが、想い入れのあった家を手放しました。
大切にしてきた黄色のオープンカーも帰宅時に見える場所にはありません。
年齢も年齢なので、これも「終活」のひとつかもしれません。
考えてみれば「人」か、「モノ」かの二分法で言えば、家も車も単なる「モノ」。
「モノ」について思いめぐらすよりも、自分の生活から「仕事」を抜いた時間。
つまり、今後の「コト」を今のうちから考えておく必要性を感じています。
温泉に毎日入ることが主な生活にならないように。
単なる時間の消費に終わらない為に。