「裾上げテープでスカートの丈を短くしている生徒がいる。」
「アイプチをしている生徒がいる。」
コロナも沈静化して自宅でのオンライン受講ではなく、対面での授業が開始された途端に生活指導上の多くの問題が報告されます。
そんな時だからこそ、読んだのは大津尚志『校則を考える』(晃洋書房)でした。
校則は時代とともに変わります。
1873年「小学生徒心得」の第1条
朝早く起き手を洗い口を漱ぎ髪を掻き父母に礼を述べ朝食事終れば学校へ出る用意を為し先ず筆紙書物等を取揃へ置きて取落しなき様致す可し。
但し出る時と帰りたる時には必ず父母へ挨拶を為すべし。
時代が違うとずいぶん違いますね。
現在では親が起こしても起きないので、なんとかして欲しいとの助けを求める電話がくるのですから。
1920年頃では
「女優にファンレターを出す、男女交際、演劇や映画の鑑賞なども処分の対象」になっていたそうです。
1960年頃の規定では
服装は「質実清楚を旨として贅沢華美に流れない」、頭髪は「高校生としての品位を失わぬように」などの規定は、戦前からの影響を受けていると筆者は指摘しています。
そのような考え方は、まだ残っています。
1970年時点での調査では、東京都立高校で男子は20%、女子は16%の高校で制服は自由。
自由とすることに賛成ですが、最近では生徒が制服を好む傾向も強いようです。
オーストラリアの姉妹校も制服を制定されています。
さて、校則は各学校により様々です。
最近のブームは、学校が主導しての「女子スラックス」の設定。
学生服製造会社も、他校も設定していますよとの売り込みを強化しています。
私の勤務校でも今年度から女子スラックスを販売し、何名かが着用しています。
女子へのスラックスの用意はジェンダーへの配慮と言われますが、男子のスカート着用を認めている学校はまだ無い不思議さが残っています。
この本にも書かれていましたがスカートについては多くの学校が変形を禁止しています。
「スカートの丈は極端に長くしたり短くしたりしないこと」
「スカートの丈を短くする等は認めない」
「スカートは28本車ひだ、ひざ中±2cm 」
「女子のスカート丈はひざ頭が隠れる程度とする」
服装は人格や教養と結びつけての生活指導が行われがちです。
仮にそうだとした場合には、人格的なことについての指導を入れることの不思議さがあると考えてしまうのは私だけでしょうか。
明日もまた、スカート丈を過度に気にする同僚と意見を戦わさねばなりません。