国歌である「君が代」を聞く機会は殆ど無い。
その多くはスポーツイベントにおいてではないだろうか。
オリンピックの表彰式、ボクシングやサッカーの国際試合前などだ。
スポーツイベント以外では、学校の「卒業式」であろうか。
その国歌の由来について私は全く知らなかったが、
内田樹さんの『日本辺境論』にそれについての記載があった。
「「君が代」の歌詞は古今和歌集に収録されていた賀歌を原型とするものであるが、最初に曲をつけたのはイギリス公使館にいた軍楽隊長のジョン・ウィリアム・フェントンです。それが洋風の音階でなじみが悪かったために、宮内省の雅楽の伶人によって改作され、それをドイツ人フランツ・エッケルトがアレンジした。そもそもフェルトンがヨーロッパではどこの国でも国歌というものがあって、儀礼の時には演奏するものである、日本だけないとまずい、とアドヴァイスしたことが国家制定のきっかけです。」
他の国もそうなので、皆さんそうしているので・・。日本人の特性を表わす表現として言われることであるが国歌制定についても、そのような経緯があったのであれば納得できる話である。
また、内田さんは国旗「日の丸」についても述べている。
「「日の丸」というのはご存じのとおり「日本」「日ノ本」「日出づる処」の図象的表現です。地学の基礎知識があればわかりますが、「日ノ本」というのは「あるところから見て東方に位置するところ」ということです。「あるところ」とはもちろん中国です。「日本というのは「中国から見て東にある国」ということです。それはベトナムは「越南」と称したのと同じロジックによるものです。」
英語教育の論文では、フィンランドの優れた教育方法を日本のそれに応用しようというのがブームとなっている。福祉政策もそうだ。日本の核というものがあって、その核をゆるがさずに他の良いことを模倣して、より良いものを作っていくことこそ、日本らしさをあらわすことができるような気がする。それが、日本の「ふるまい」ではないだろうか。