先週末に身内の老人がこの世を去った。
実母とは一年間で7日位しか顔を会わせないが、
その何十倍も身近にいた老人だ。
私は年末年始もずっと病院に通い詰めだったので、
私の季節感が少々ずれてしまっているような気がする。
そして今回人生で初めて看取ることを経験した。
入院している場合には、医師からの死の判断の一言が死亡時刻になる。
よって身内が呼ばれてから1時間程度は、医療的処置が継続される。
今回は、本当に「生から死」のまさにその時に見守ったのである。
脳卒中で倒れたりすると、
大きなイビキをかきだすということを耳にする機会が多い。
この世をさる2~3日間、
口呼吸でイビキに近い音を出しながら呼吸していたのだが、
その音が消えた。
急に顔色が青白く変色した。
多分、そのような身体の変化だけでは亡くなった事は気がつかないかもしれない。
しかし数日前からベッド脇に設置されていた心電図、心拍数などを測る計器の数値がみるみるうちにゼロになって行った。
病院にはそれぞれの考えがあるようである。
私の父がなくなった際は、病院内は医療関係者。
建物のドアの外からは葬儀業者にバトンタッチされていた。
しかし、今回は亡くなった病室での処置は病院関係者。
その病室から霊安室までの移動は葬儀関係者であった。
タクシープールに待っている客待ちのタクシーのように
病院出入りの葬祭業者が待機しているようである。
すぐに地下にある霊安室に亡骸が運ばれた。
どの葬祭業者も五十歩百歩だと思うが、
何となくその業者にうさんくささを感じてしまった。
そこで、私が喪主の同意を得て急遽業者を変更。
先月コンビニ業界でもファミマが葬儀業界に参入ということが話題になっていたが
今回の私の判断はスーパー系列の葬儀業者にお願いすることに決断。
ほとんで、私が細かい内容を詰めて葬儀を行なった。
(私もまた現在むしょうに疲れている)
高齢ということもあり密葬に近い形の近親者のみでの葬儀を当初は計画。
しかしながら、親戚、近所の方々などの線引きが難しい。
葬儀も行い、戒名もつけるので
最終的に家族葬プラスα程度の葬儀に決定。
花が大好きだった老人。
淡いピンク色の花で一杯の祭壇だった。
食事もおいしいと言う声が口々に聞こえた。
寿司桶ひとつ10000万円。
煮物大皿で5000円。
美味しいのも当然なのかもしれない。
会葬御礼文は既成のものではなく、
故人に対しての思い出を入れながらオリジナルの御礼文を作成した。
これもまた好評であった。
問題というか、疑問というか難しさを感じたことを最後に書いてまとめとしたい。
先祖代々に渡ってお付き合いのある寺と墓がある。
通夜・告別式とも寺院に隣接する会館で実施していただきたいと強く要望されてしまった。
枕経が終わると、お布施について質問をさせていただいた。
住職からは寺院使用代金を込みで120万円。
それでよろしいでしょうかとの返答。
葬儀業者をかえて無駄なお金を省いたのだが・・。
結局戒名をつけたり、
納骨したりするのにそれなりのお金がかかることを改めて実感した次第である。
* 勉強を継続していることを私はいつも褒めていただいた。
安らかに眠ってください・・。