日本版「中世の秋」?:将軍、「下剋上」、正当性概念

2020-07-28 12:06:11 | 歴史系

時間がないのでドイツ旅行の記事ばかり書いてたら、自分自身が真っ先に飽きてきた(笑)ので少し違う話題をば。

 

日本の歴史について、最近はいわゆる「憲政の常道」に興味があると書いたことがあるが、これはあの大戦に到った背景を考えるにあたって、たとえば二・二六事件による軍部の台頭から吟味し始めても遅すぎるためである。今はそれがどんどん拡大し、たとえば『戦前日本のポピュリズム』(酒井清忠)や『「五箇条の誓文」で解く日本史』など、日比谷焼き討ち事件のような大正デモクラシー前史、あるいはそもそも明治政府の性質について考察してみようという段になっている(時間があれば、これに合わせて大学時代の友人が興味をもっていた宮武外骨とかも調べてみたいと思っている)。

 

・・・というところに、全く突然に興味が湧いてきたのが日本中世の世界である。「中世」というのは基本的に分権的な封建国家を指すが、これはヨーロッパ近世の主権国家体制、そして近代市民社会(=主権は国民)といったものに代表される、我々がよく知っている枠組みとは異なる世界であり、そのために理解が難しいところがある(それをもって「暗黒」と軽々に断ずるな、とばかりに近世・近代とは異なる中世のコスモロジーを描き出したのだがホイジンガの『中世の秋』なわけだが)。

 

「異なる」とは具体的にどういうところだろうか?それが権力構造、戦争、法概念、マージナリティ、知識人のあり方などであり、それぞれ『❝日本国王❞と勘合貿易』『雑兵たちの戦場』『徳政令』『中世日本の内と外』『平家物語、史と説話』などでわかりやすく描かれている。これらに触れていくことは、とりもなおさず我々が自明のように感じているものを相対化する(+より立体的に理解する)ことにもつながっていくだろう。

 

中でも私が興味が湧くのは室町幕府の権力構造と正当性概念である。一般的に、室町幕府は分権的で応仁の乱以降はもはや機能しておらず、いわゆる「下克上」の時代が到来すると考えられがちだ。確かに社会構造の流動化が進んだとはいえ、日々争いが絶えなくても、いや絶えないからこそ、一つのカード(正当性の源泉)としてなお室町幕府やその将軍という存在が機能していた部分がある(日本以外では春秋時代の覇者と周王朝、三国時代直前の後漢の王族[曹操と献帝]などが例として挙げられるだろう。また、ヤクザの抗争でさえ、そこに理由づけ=正当性が要求されることなども想起したい)。

 

また、権力構造と正当性の源泉という観点で言えば、そもそも征夷大将軍への叙任、あるいは王政復古と明治政府の構造(有名な民衆に対しての「顕教」と政権中枢にとっての「密教」という二重構造)、要するに天皇という存在の機能についても考察する必要があり、結局は明治政府の性質にも関連してくるテーマだと考える次第である。

 

というわけで、いくつか興味を持つきっかけとなりうる動画を紹介しつつ終わりとしたい。

 

 

 


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