『日本人無宗教説』を土台として:データに基づかない議論は、いかにして不毛になるのか

2024-06-25 12:11:05 | 宗教分析
先日『日本人無宗教説』という書籍を紹介し、これは日本人の宗教意識を考えていく上で土台とすべき先行研究であると述べた。   ここでは、一例として日本人の宗教意識や無宗教について分析する上で、私が何度も批判してきた視点を取り上げたい。それは、「本当の宗教」「本当の仏教徒」「本当のキリスト教徒」といった、実際には客観的に定義しえないものに則りつつ、日本人は宗教であるとか無いとかを論じるスタ . . . 本文を読む
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イデオロギーとユートピア:宗教弾圧、既得権益、信仰と近代化

2024-05-16 11:26:37 | 宗教分析
    カンボジアで仏像を見ていると、首のないものに出くわすことも少なくない。これには大きく二つの出来事が関係しているが、その一つは、仏教を大々的に保護したジャヤバルマン7世の後に起こった廃仏による。   彼の治世には、それまでヒンドゥー教が宗教の中心を占めていたところに仏教を据え、アンコール・トムの中でも有名なバイヨン寺院などを建造している。このような政策は . . . 本文を読む
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ナーガに守られた仏像を見て思うこと

2024-04-30 11:45:00 | 宗教分析
蛇の神ナーガに守護されながら瞑想する仏陀像からは、ヒンドゥー教と仏教の混淆が見てとれる。何度か書いてきたように、日本人が日本の宗教についてあたかも専売特許のように述べる神仏集合や宗教的混淆は、実のところアジア世界に目を向ければ様々な地域に様々な事例が見られる。具体的にはタイの仏教+サイヤサートしかり、韓国の仏像と狐などが同時に配置された伽藍しかり、中国の儒教・道教などなわけだが、にもかかわらずシン . . . 本文を読む
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「一切皆苦」について

2023-06-22 11:48:11 | 宗教分析
自分が大切に思う存在が、この世から失われてしまうことは苦しい。 死や消失の平等性は個々人の愛着と全く関係がない、という事実を受け入れるのは難しいものだ。   あるいは他人が自分の望まない行動ばかりすることに苛立ちを覚える。 他者が自分の制御不可能な存在だと理解していても、そのことを受け入れるのは難しいものだ。   あるいは自分の努力が報われないことが悲しい。 かけ . . . 本文を読む
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日本宗教論に欠落しているもの:歴史性・共同体・社会システム・アジア

2023-06-08 16:30:00 | 宗教分析
これまで諸々取り上げてきた俗論としての日本宗教論を見ていくと、以下のような欠落を指摘することができる(各々の下段にはそれについて言及した代表的な記事を載せた)。     1.歴史(的変化)という観点 →「日本人の『信徒』に関する基準」 →「江戸期のお伊勢参りと神仏習合の実態:神社に跪拝する人々の姿」   2.共同体という観点 &ra . . . 本文を読む
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江戸期のお伊勢参りと神仏習合の実態:神社に跪拝する人々の姿

2023-06-06 11:29:07 | 宗教分析
  この画像は、1776年=江戸中期に書かれた『伊勢参宮細見大全』、すなわちお伊勢参りのガイドブックの一部(P114-115)である(なお、画像は三重県立図書館のデジタルライブラリーで無料公開されている)。   名前の通り伊勢詣での様子を描いたものだが、注目してほしいのは左端の参拝客で、内宮に向かって跪いた状態で手を合わせ拝んでいるのがわかる(右手の内宮内側にも、同じく跪 . . . 本文を読む
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「九段の母」から見る神仏習合の実態と神仏分離の影響度合い

2023-06-04 11:49:28 | 宗教分析
  いきなりだが、ちょっと次の歌を聞いてみてほしい。     これは昭和14年に大ヒットした「九段の母」という歌で、亡くなった息子の慰霊のため九段下にある靖国神社を訪れた時の様子を謡ったものである。 (一)上野駅から 九段まで勝手しらない じれったさ杖をたよりに 一日がかりせがれ来たぞや 会いに来た (ニ)空をつくよな 大鳥居こんな立派な おやしろに神 . . . 本文を読む
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カルト×マルチの核融合

2023-06-03 15:58:15 | 宗教分析
  そこに気付くとは天才(天災)じゃったか・・・   まあ何事につけ、「胴元」にならんと搾取されるっちゅうのはよくある話よな(ただし下部構造が不満を貯めすぎることで反抗し、それにより組織自体が崩壊するのを防ぐため、還元率のコントロールはもちろん、団結を防ぐための分断政策・分割統治、あるいは適度なガス抜きは必要)。   ちなみに宗教は学生時代に道行く人から . . . 本文を読む
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日本人の「信徒」に関する基準

2023-06-01 11:50:00 | 宗教分析
先日togetterのトレンドの10位に「日本人が自分を無宗教だと思うのは、信徒の基準が極端に高いからではないか?」という趣旨のものがあり、ちょっとおもろいなと思った。なぜかというと、色々間違っている可能性が高いが一部は合っており、これは日本宗教論を作り出している一つの典型例だと感じたからだ。以下、その理由を説明していく。     まず、「合っている」の部分。例えば友人と . . . 本文を読む
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日本人の宗教的帰属意識について:なぜそれは思想史としてのみ記述されがちなのか

2023-05-19 11:40:15 | 宗教分析
日本人の大半(8割)が自身を無宗教と自認することについて、宗教儀礼の遂行に着目して実は~教徒であるなどと外的に定義しても意味はなく、むしろ「なぜゆえに宗教儀礼と宗教的帰属意識の断絶が生じたのか」を分析しなければ話は先に進まない、というのは何度も述べてきたとおりである(ちなみに、「日本人は元々特定宗教に帰属意識を持たない」・「宗教というという言葉が外来のものだから日本人の宗教的帰属意識を適切に掬い上 . . . 本文を読む
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