数日前に、世界における政教分離の比較の動画を転載し、政教分離という言葉の成り立ちや、あるいはそれをどのように今後の日本の運営に生かしていくのかについての国民レベルでの無知が、不毛な状態を生み出していると書いた(ついでに言っておくと、その最後に人工知能の話を書いたのは「ブレードランナー2049」の記事へとつなげるためである)。
今回の動画は、矢内原忠雄を冒頭に取 . . . 本文を読む
女子がポニーテールにせんとする所作は、なぜにあれほど蠱惑的なのかと私は不思議に思う。
紐を咥えられたる唇、髪を掬い上げる所作、中空に向けた強き意志の込められたる眼差し・・・全てが何がしかの藝術を構築せしめんとする営為と感得せられ、私はいつもその謎と魅力に引き込まれてしまうのである。
・・・というこのグッとくる感を、もしも薬物で再現できたら売れるだろうなあ(*&a . . . 本文を読む
を勝手に「博愛主義」のようにレッテル貼りし、差別的言動を繰り返す者や、あまつさえ他者へ暴力(ゲバルト)を用いる者さえ肯定・包摂せよなどと言う。
全く愚かしいことだ。
リベラリズムの根源にあるのは共生の作法・知恵の模索であって、無批判な全肯定でもなければ、ましてや「博愛」などでは全くない。ゆえに、そのことを踏まえぬ批判など、ただ因縁をつけているのと変わるところがな . . . 本文を読む
人工知能は人間を凌駕するのか?この問いの答えはYes and Noであろう。そもそも人間存在についての理解が極めて不完全なものであり、ようやく認知科学の知見などを通じて我々が「人間性」と考えていたものが「自動機械」的反応にすぎなかったことが明らかにされてきてはいるが、それが解明されきるのはずっと先の話であると考えられるからだ(そしてその前に人類が滅亡する可能性は十分ある)。そのようなブラックボック . . . 本文を読む
これを見に行かずに何とする、というわけで昨日=公開初日に新宿ピカデリーで見てまいりしたよと。タイミングがタイミングなのでネタバレは一切なしで感想を書くと、(世界の描写は前作でも白眉だったのでそれを横に置くとすれば)これはもうキャスティングの勝利だなと思った。
レプリカントというのは見た目が人間と同じである。しかしそれにもかかわらず、人間とは違う造りをしており、 . . . 本文を読む
「政教分離」について語られるこの動画を見た時、改めて言葉が独り歩きしがちな現状というものを思わざるを得なかった。そのことは、一国の首相レベルでの「憲法」であったり「立憲主義」であったりへの無理解・無頓着といった少し前に話題になった驚愕すべき事実を連想させるが、それはたとえば巷間言われてきたような、「日本人はprincipleを軽視するものだ」といった国民性の問題というより、そも . . . 本文を読む
といつもコボしてるのはコロンボ先生だが(違う)、それにしても日本人は拝んでいる時に一体「何を」拝んでいるのか謎だというのは頷ける話である。
たとえば八幡神社や氷川神社、稲荷神社といったものの区別をどれだけの人が意識しているのか微妙だし、また説明を受けたとしても、区別することの意味をそもそも感じないのでは?とさえ思う(由来をに基づいて正しい向き合い方を知ることより、その場所でどのよ . . . 本文を読む
神社に行っては礼拝し、葬儀は仏式を用い、あまつさえクリスマスさえ祝うとは一体どんな唯物論だというのか?マルクスやフォイエルバッハは元より、デモクリトスやエピクロスですら聞いたことがない(一方で、初詣とクリスマスを同時に行うから宗教的に適当だと評価するのも、ただイベント化したそれらに的外れな宗教的意味合いを持たせてしまっているという意味で不当であろう)。
かかる状況についてよくよく . . . 本文を読む
昨日の記事では、キリスト教が広まらなかった理由について、「多神教の風土に一神教が馴染まなかった」などという粗雑な理解ではなく、時代ごとの状況を見るべきであること、すなわち政策の変化、布教方法の変化、イメージの変化に注目すべきこと、そして階層ごとの反応の違いにも留意すべきことを書いた。
比較対象という意味では、ヒンドゥーナショナリズムの実態であったり . . . 本文を読む