なぜ「小フーガト短調」は好きで「新世界より」はどうでもいいのか?

2008-01-30 20:12:10 | 音楽関係
前にも書いたことだが、中学の音楽の授業で聞いたバッハの「小フーガト短調」は強烈に印象に残り、間もなくCDを買いに行った。一方で、高校の時に熊本県立劇場で聞いたドヴォルザークの「新世界より」は全くと言っていいほど印象に残っていない。なぜこのような違いが生まれたのだろうか?そう問えば、年代も曲調も全く違うから当然だという答えが返ってくるだろうが(※)、それにしても「小フーガト短調」が強く印象に残ったこ . . . 本文を読む
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フラグメント24:宗教関連について

2008-01-30 01:27:30 | フラグメント
この前の「宗教と思索:今日的思考の原点」の元になったフラグメント。 <西欧的?> 宗教と世間と自分。西欧的な部分が感じられるとしたら、むしろそこだろう。他の人と比べれば、はなっから世間は相対的なものだったのかもしれない(※)。しかし自分も信用してない。何度もくだらん思い込みが引っ繰り返されるのを経験しているから(※2)。 ※ 前回の竜馬の話で述べた内容から考えれば、この記述は誤りである。 . . . 本文を読む
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新しいプリンと裏テレビジョン

2008-01-29 01:49:38 | 本関係
苺ましまろ五巻を久しぶりに読んだ時のこと。 <プリン> タイトルが書かれている部分の前にもページがあることに初めて気付いたが、めくったところでセカイが暗転した。意識が戻ったときはすでに日が変わっていたが、どうも新しいプリンを見つけて「あーッ!!」と言っている千佳を見て気絶したらしい。てゆうかカワイ過ぎだろ!アニメ版でのダイエットの時の必死な感じといい、千佳は時折反則的なかわいさを見せるよなあ… . . . 本文を読む
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ひぐらし厄醒まし編の意味と効果

2008-01-28 01:58:31 | ひぐらし
職場も一昨日ノルマを達成し、土曜日のビッグイベントも徹夜して何とか乗り切った。ようやく少し余裕ができたぜ… というわけで、止まっていたひぐらしを再開することにした。まずは「カケラ遊び」を買わねばならないが、その前にアニメ版ひぐらしの厄醒まし編(以下厄編)について書いておくことにしよう(まあ非常に今さらな話題ではあるがw)。 まずOPの「奈落の花」が最高!とそれはさておき…… 簡単に言えば、 . . . 本文を読む
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「世間」と向き合うこと:無意識の同一化傾向と内省

2008-01-27 21:23:04 | 抽象的話題
では、前回の内容を受けて「世間」(≒社会)や共感について述べよう。 ここに阿部謹也の『日本人の歴史意識―「世間」という視覚から―』という本がある。そこでは日本と西洋が比較され、日本人が「世間」という基準の中に生きている一方、歴史は傍観者的に見ていることが指摘されている(要するに、歴史の中に生きていることが意識されていない)。 著者は最後に「世間」と向き合えと言っているが、それは実現しないだ . . . 本文を読む
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「神」と宗教、及び内省の欠落について

2008-01-27 13:37:18 | 宗教分析
極端と極端。宗教的無知。全てを集団のせいに帰し、内省が欠落している。 . . . 本文を読む
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フラグメント23:共感幻想のもたらす弊害について

2008-01-25 01:32:51 | フラグメント
前回「宗教と思索」を書いたことで、いささか共感の記事が理解されにくくなる可能性を危惧はしつつ、共感に関するフラグメントを載せることにする。大枠は今まで述べてきたことと変わらないが、共感幻想(心理学の定義も考えると、この表現が最も適切なのかもしれない)が実際に及ぼしている影響を色々と取り上げている。ちなみに、日本人の同一化傾向については「日本人の『無宗教』に関する一試論」も参照のこと。 <距離と . . . 本文を読む
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宗教と思索:今日的思考の原点

2008-01-24 01:00:05 | 宗教分析
これまで1400近くの記事を書いてきたし、最近自分の特異性を明示してきたことによって、今ようやく俺の思考様式がどのようにして成立し、そして今まで書いてきた記事の根底にどんな概念が流れているかを書くべき段階まで来た。社会に潜むオカルト的な要素、隠蔽の問題などに注意しつつ読んでもらいたいと思う。 駄菓子屋で薄っぺらい発泡スチロール製の戦闘機を見ている自分。隣には父親。しばらくすると、母親と祖母が連 . . . 本文を読む
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共感という語の曖昧さ:理解する努力か、排他性の正当化か

2008-01-23 21:22:30 | 抽象的話題
心理学や社会学においては、「共感」は自然にできると考えられている。これは以前問題提起した通りだが、中でも一番問題なのは、「共感」の定義が多様で曖昧なことに他ならない。例えば、「共感」のもとになったsympathyはロングマン英英辞典において三つの意味が紹介されているが、共感の方は「全く同じように感じたり理解したりすること」(広辞苑)という一つの意味しか持たず、また「全く同じように」という部分がsy . . . 本文を読む
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共感という語の濫用:個人の不在と内省の欠落

2008-01-23 15:14:39 | 抽象的話題
これまで、様々な形で共感という言葉とその使用について述べてきた(フラグメント19、なぜ言葉を曖昧にするのかなど)。この言葉をゲームや本の内容に対してさえ平気で使っているところに日本人の親和性の高さが端的に表れているが、その事実(親和性の高さ)を言葉の使用者が自覚しているようには思えない。この無自覚さは一体何に基づいているのだろうか?思うに、西欧の「個人」を理想と仰ぐことで集団の要素が隠蔽されてしま . . . 本文を読む
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