以前触れた共同ブログのgardenに今日初めて記事を書いたので、暇があればご覧下さい(宣伝w)。
ひぐらしPS2版は鬼隠し編が終了。またもや膨大な分量の覚書になったが、綿流し編で色々な問題をすでに提示してしまったので、どちらかと言うとそういった問題の具体例が覚書の中心となっている。ただ、「罰ゲーム」「隠蔽」「視点」といった問題は新しいので、やや詳しく述べる予定。
でも、最近ひぐらしが多いか . . . 本文を読む
<松屋が24時間営業だと知らない[※]>
645.0388.13:30~作品とは社会の投影であるのみならず、自己の投影にもなる。というのも、「そう感じるのはなぜか」という問い掛けによって人は(もし考えなければ単なる消費である)。そして感覚を追求すればその不確かさ(限定性・恣意性)が見えてくる。自明な感覚への疑いはすぐ傍にある。エッシャーなどの芸術もわかる。もしその段階を通過すること無しにそういう芸 . . . 本文を読む
リンクを貼るために自分の文章を見返していると、その出来の悪さに苛立ちを覚えることがある。例えば先日の「ひぐらし綿流し編再考2」なら、最後の戦闘力の部分は「リアリズムをどこまで追求するのかが曖昧」といった表現を入れるだけでかなり分量を少なくできるし、またわかりやすくなるのではないか?
まあ要は無駄が多いのだ。その無駄は単に文章力がないだけでなく、過剰な自己顕示欲が文章に贅肉を与えているのも一因と . . . 本文を読む
<血が繋がっているということ>
仮に好きになった女性がいたとして、その人が兄弟とすればどうなる?繋がっていない[正しくは「繋がっている」]とわかったら冷めないか?もし気持ちが変わるなら後天的な理由と考えられる…近親相姦の問題など、自分に繋がっている方が(自分の分身だから)愛せるのなら、その根源は親子であるという社会的関係ではなく自己愛ではないか?先天的な理由、DNA[もし自分の子が本当の子でないと . . . 本文を読む
PS2版において、圭一を主人公にした場合のプロローグは「羽入が謝る」という内容で共通している(要は鬼編ので共通している)。ということは、綿編や祟編も症候群の予備軍になっていると考えてよい(正確には「L3あたりまで症状が進んでいる」といったあたりか)。原作と違い、このような共通したプロローグを採用するメリットは何だろうか?もっとも大きいのは、以前疑問を呈した祟編の圭一の暴走の説明がつく、ということだ . . . 本文を読む
携帯にメモったフラグメント第四段。このあたりのは、割合まとまっているものが多い。
<ニキータ、[太宰治]グッドバイ、斜陽>
高校の英語教育の導入=文型判断=やる意味がわからない。そして4月5月は春眠暁を覚えずとばかりに授業で爆睡。ただ日本語を当てはめる照合の中学英語から、形や配列に注目する(つまり英語の本質的なルールを学ぶ)高校英語への絶好の導入なのに、「文型が五つありまーす。覚えましょう」⇒ . . . 本文を読む
以前話していた共同ブログが開設した。とりあえずgardenという名前はForestを思い出して興味が惹かれた。四人の役割分担はどうなっておるのか!?三月ウサギは?帽子屋は?…なんてね。その感性からForest的なもの(※)を感じさせる人物がもしこの名前の発案者なら、単なる偶然だとしてもおもしろいな。
本当はここでアドレスを載せたいところなのだが、自分が義務感だけによる更新をする可能性もあるので . . . 本文を読む