五時間て長っ!でもまあこの作品の壮大さを思えばさもありなんかな・・・
というわけで(?)YU-NOのPC98版BGM集のご紹介。もはや原作者も会社もこの世に存在しないという事実には隔世の感を覚えるが、この作品が提示するmythの壮大さと、何よりそれをシステムとして体現したPCゲーム、いやゲーム史上でも類稀な傑作である(ちなみに俺がプレイしたのはセガサターン版な . . . 本文を読む
作者亡き今、まさかこれほど早くリメイクが決定されるとは思わなかった。カテゴリーを一つ作って論じている以上、俺にとってこの作品のプレイはマニフェストディスティニー(笑)と言えるだろう。
長時間プレイ必須のゲームなのに、1/1しか休みがない状況でどうしろと( ≧∀≦)なんて嬉しい悲鳴を上げている今日この頃。 . . . 本文を読む
もうすぐ終わる、全て終わる、そうシマコーのなく頃に・・・というわけで一応YU-NOエンディング批評シリーズも最終回でございます(要約版はこちら)。3,4月は仕事がクソ忙しいから、時間をかけなくてもアップできる記事にしよう。じゃあこの機会に傑作ゲームレビュー復活を・・・てーのが掲載に到る流れでしたが、いやはや思ったより長くて4月も末までかかっちまいました。
ただ、なんかまだ伝えるべきことを全然伝え . . . 本文を読む
さて、YU-NOエンディング批評のフラグメントも第四弾となりますた。今さらだが、原文に登場する「ぎとぎと」というのは当時のブログ名が「キッチンぎとぎと」だったため。これは「腐り姫」という(これまた)傑作に登場する店だが、なんか気に入ったのでテキトーにつけた記憶が(というか、ひと月後もまだブログ名は「ホイミン陵辱日記」のままなのかねえw)。ちなみに俺がキッチンと聞いて連想するのは「オトボケ」と「南海 . . . 本文を読む
3月初旬のまだ肌寒い頃に1月以上先の記事を書いていると、一体どれくらい暖かくなっているのだろうと妙な心持ちになる。とりあえずGWの旅行をひたすら夢見て仕事をしていることだけは確かだろうwまあそれはともかく、YU-NOエンディング批評第三段と行きましょうか。
[原文]YU-NOエンディング批評に関するフラグメントも「違和感の萌芽」、「たくやの行動原理」に引き続いて三つめとなる。「プ . . . 本文を読む
では「YU-NOエンディング批評」の覚書第二弾。やはり原文が長いので詳細な説明は省く。ただ、サターン版をプレイしたことがない人はいるかもしれないから、一応参考までにリンクを貼っておく(原文では、「たくやに声があるので他者性が云々」という話もしているので)。なお、私が最初に(高校生の時に)プレイしたのはサターン版で、YU-NOに対する諸々の評価はそちらに対するものであることを一応断っておく(PC版は . . . 本文を読む
「YU-NOエンディング批評」シリーズも一段落して断片的な覚書を掲載する段階となりました。まあ屋上屋を重ねてもしょうがないので、そのまま掲載しまふ。
[原文]さて、「YU-NOエンディング批評(要約版)」と「YU-NOエンディング批評の過程」で全体像は見えたと思うので、あとはその過程で生まれた断片を載せていきたい。なお、かなり話は前後しているが、あえて時系列順にするのでご了承いた . . . 本文を読む
さすがにここまで膨大な分量だとそもそも読む気が起きないんじゃないか、それに読んだ人がいたとしても全体像が最後は全体像がつかめない状態になってしまっているんジャマイカ・・・というのがこの要約版を(2008に)作成した理由であった。まあ10年以上前のゲームの題名を見てその記事を読もうとする人はよほどその作品が好きだと考えられるから、今述べたことはもしかすると杞憂だったのかもしれないが。
ちなみに、今 . . . 本文を読む
「YU-NOエンディング批評」は完結したが、それを書く際に留意したことを説明した記事。なぜこのようなものを準備したかは、「フラグメント131」におけるひぐらしとそれへの論評を巡っての違和感と完全に連動するが、より詳細な話は「君が望む永遠~ヘタレ、埋没、凡庸~」の続編で扱う予定でいる。
※ネタバレだが、過去ログとしては「YU-NO~エンディングの持つ意味・効果について~」や「YU- . . . 本文を読む
これにて「YU-NOエンディング批評」シリーズは完結。この後に対話篇による説明と要約版を掲載していく。しかし今見返してみて、よくもまあこれだけ書いたもんだと思う。一体この情念はどこから湧いてくるのか、未だに疑問である。まあそういう不可解さへの興味が、書き続ける原動力の一つになってもいるのだけどwまた余談だが、ここでしている話を「ザンジバーランドの怪人」や「ひぐらし、うみねこ、『リアル』」と繋げてみ . . . 本文を読む