このブログにおいては、「君が望む永遠」(以下「君望」)の鳴海孝之(主人公)に対する「ヘタレ」という評価について何度となく述べてきた。もっと言えば、そのような評価への批判こそが君望のレビューを書き始めた主要因であり、またレビュー全体に通底する特徴とさえ言えるだろう。
そこにおいて私は、孝之の行動を縛る文脈がどのようなものであるか、つまり孝之が選べない要因について論じてきた。具体的には、その選択 . . . 本文を読む
これを「あらしやま」と読み間違えたのも今は昔の話だ。桜はまだつぼみだったが、川辺や山道を歩いてリフレッシュできた。ただ、一番の収穫は君望の草稿がほぼ完成したこと。これから一気に上げていくことにしよう。 . . . 本文を読む
もし「主人公が個性的であることは、必ずプラスの効果を生むのか?」と問われれば、肯定する人は少ないように思われる。しかしそれは、踏み込んで聞かれているがゆえに断言できないだけであって、普段はあまり意識していないというのが本当のところではないだろうか。
「もやしもん~キャラの魅力と人物配置~」では、主人公(沢木)の影が薄いと評価した上で、それがかえって個性的な脇役たちを際立たせるとともに、彼らの様 . . . 本文を読む
「三月末になると長文を書く暇はないだろう」という認識のもと、先週の間に4/1の分までアップしておいた。ふたを開けてみると全く予想通りの展開だが、何も書かなくなったら今度はやたらに夢を見るようになり、おもしろいやら気味悪いやら…そんな状態だからか、今日は車内広告の「いけばなプロムナード」を「いけないプロムナード」と見間違え、一瞬目が釘付けになるという体たらくだった。
さて、以前アクセス数について . . . 本文を読む
はろろーんJSです。今は3/15ながら、3/22のフラグメント63もすでに書き終え、再来週の記事に挑戦してやるぜ的な状態でございます。なんて言うといかにも悠々としている響きがありますが、さっき会社から帰る時に頭の中で「皆殺し編再考~アイロニーの完成として~」なんつー記事ができあがったりと、時間の制約を無視して構想だけは出てくるから、むしろ追われている感じしかしないんですね…まあそんなことを言ってて . . . 本文を読む
最近ブログを書くのが「作業」になっているのと感じる。
異動のゴタゴタで仕事が生活の、精神のメインを占めているからだろうが、書けなくなりつつあった去年と大きく違うのは、それでも普通に書き続けられる、というところか。まあ京都旅行やひぐらし、もやしもん、君望など題材がいくらでも手元にあり、かつ草稿はだいたいできていることなども関係はしているんだろうが…とまあそれはさておき、8/16付けのフラグメントを見 . . . 本文を読む
大学三年の時のことだが、宗像の小覇王(先輩)の家で花田少年史の最終話が流れていた時、彼が「お前こういうの鼻で笑いそうだよね」と言ったのを今でも覚えている。すでに何度か引用している俺の大学時代の嘲笑主義をよく知っている人だからこその発言だが、ここにある種の誤解が存在する。
それは簡単なことだ。
俺はハッピーエンドそのものを嘲笑うのではなく、ハッピーエンドのためのハッピーエンド、つまりはその中身の . . . 本文を読む