前回の「英作文とセーラームーン」で書いた「普通」の感覚を基盤にした違和感の萌芽について扱っていこうと思う。なお、以下の対談は、「尿は汚い、気持ち悪いものである」という大前提に基づいている。逆に言えば、その認識を共有できない人(っているのか?)は読んでもあまり意味が無いかもしれない、ということをあらかじめ断っておく。また、食事中の人やシモ関連に生理的嫌悪感の強い人は読まないことをおすすめする。しかし . . . 本文を読む
※「作品に対する反感は自己を知る絶好の機会」なども参照。
感覚は容易に(抽象的な)問いへと繋がるものであり、難しいことを扱うのは頭(=理性)で、直接的・日常的なことは身体(=感覚)が処理する、という具合に二項対立的な捉え方をするのは誤りである。例えば、非常にイライラするキャラクターから帰納的に「傍若無人な女キャラがムカつく」が出てきたし、そこから押し付けがましい人間が嫌いな理由にも言及した。
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前回の「メガロマニアは国家陰謀の夢を見るか?」では、ひぐらしの真相が推理で到れないような内容であること、そして仮にたどり着いたとしても証明不可能であることを指摘しました。そこからさらに、証明不可能であるにもかかわらず国家陰謀説を主張する場合、それはまさに症候群的であり、そのような形でなければ到れない真相というのは、疑いを避けて症候群を免れるという本編のテーマと矛盾するのではないか、と述べました。
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「ひぐらしの真相を批判する~推理という観点から~」では、過去の記事を掲載しつつ、推理の質という観点からひぐらしの真相にどのような問題点があるかに触れました。今回は、そこで提示した公式掲示板という軸を利用してさらに詳しい批判を展開していこうと思います。
どこまで計算していたかはわかりませんが、ひぐらしの公式掲示板とそこにおけるやり取りは、ひぐらしのプレイヤー層が広がっていく大きな原動力になったこ . . . 本文を読む
もう二年近く前ですが、自分の記事が「オタク嫌い」のように受け取られ、「私はオタクを批判しようとしているのか?」という釈明を書いたことがあります。
話が回りくどくていらいらしながら読み直したのですが、要は「オタクを批判したいのなら彼らを嘲るような批評の書き方をするだろう」ということのようです。その内容にほとんど説得力を感じることができませんが、具体的な考察がまるでなされていないのが原因だと思われま . . . 本文を読む
「ひぐらし真相の批判へ向けて」において今までの主張を概観しましたが、ひぐらしには(様々な意味で)推理要素が色濃く含まれており、「最初からホラーゲーム」だとか「推理するものではなく物語だ」といった主張が誤りであることを示すことができたと思います。ここにおいて、推理の質への批判に対して「それはひぐらしの本質ではないから」と言うような逃げは打てなくなったわけです。
そこでこれからは、推理の質について . . . 本文を読む
「神の解体から創造へ」及び「虚ろになった方向性」では主にひぐらしのテーマに関する批判を分析し、「最初から…だったは成立するか?」と「プレイ時期のブレとバイアス」では作品の方向性(人為かオカルトかetc...)さえも推理の対象であったことを確認しました。
それらの記事では、主にレビューを批判的に取り上げてきましたが、ここに到って、推理の内容そのもの(推理の質)を考える準備は整ったと思います。よっ . . . 本文を読む
あらゆることが詰め込まれた覚書は時に境界線を喪失させる
<ヘチマコロン、掃除機、半袖>
背景のない同級生と君が望む永遠。同級生の主人公「卓郎」には、現役の高校生であること以上の背景はない。しかし、君が望む永遠の「鳴海孝之」はむしろ色々なものでがんじがらめであるところに特徴がある。この違いは大きいが、それによって行動の必然性が強く意識されるし、容易には必然性のない行動がなしえないのも事実だ。ゆえ . . . 本文を読む