無宗教の話をする前に、こないだ『AI原論』の毒書会でデヴィッド=ハーヴェイやら「新しい資本主義」の話が出たんで、こげな動画を掲載してみました。よく「グローバル化による国境の消滅」的な話は出てくるのだが、グローバル化による社会変化を「進歩」のようにただ肯定的・単線的なものとして捉えるのは問題であり、思わぬ問題の噴出や既得権益の抵抗など様々な障壁の中で蛇行し、こ . . . 本文を読む
ある時、あるテーマを書こうと考えて準備し、それを連続的に掲載する、ということはもちろんある。先日の『AI原論』に関する書評はその典型と言えよう。
しかしながら、そのような単線的・直線的経過を辿らず、これまで各所に置いておいた道標が、路地裏や全く違う道に入り込んでいる際、突然生き生きとした意味を持って目の前に立ち現れてくることも少なくない・・・
とまあ偉そうに能書 . . . 本文を読む
毒書会に向けて『AI原論』を読み終えたので、簡単な感想を書いておきたい。
まず、端的に言って話の構成が下手である。AIの言説を紹介したらすぐ背景となる一新教の話にいくべきで、途中の認識論が極めて迂遠であり、この本は一体誰に読んでほしいのか?と問いたくなる。
結論を見るに、目的はAI楽観論への警鐘であり、対象は政治家やテクノクラート、あるいはある程度意識の高い(? . . . 本文を読む
先日『AI原論』の話に絡めて「『癒し』のバイオポリティクス」という記事を書いた。
それを見て随分遠い未来の話のように思われた人がいるかもしれないが、ダイアモンドオンラインで折良く対照的な記事があったので紹介しておこう。
「中国の仰天『監視社会』事情、人々は行動規範の再構築や規制とどう付き合うか」
「日本人の『飲食店マナー』が崩壊の危機、中国人に冷笑される日も近い」
&nbs . . . 本文を読む
さて久しぶりに「さよならを教えて」の記事。ここで書いたのは、(1)各キャラが何を象徴しているのか、(2)左を踏まえて彼女たちとの「さよなら」が何を意味するのかという話。ちなみに前者を掘り下げると「めくるめく自意識の世界へ」となるが、それはたとえば「ゆめにっき」の世界を解釈する行為に近い(「ゆめにっき4」)。また「沙耶の唄」などと比較しながらそこで描かれるディスコミュニケーションについて書くつもりで . . . 本文を読む
ダメだ・・・レゴちんがかぁい過ぎて毎回悶死しそうになるぅ○(≧▽≦)○!
はいどうも、今回こそはとアニメ版ビースターズ見てるムッカーです(ブギーポップは結局スルーしてしまったんで・・・)。
そもそも作者が映画関係の仕事を志してた&作品の始まりが演劇編ってこともあるんだろうが、映画的な演出でテンポよくバンバン進んでいきますなあ。
. . . 本文を読む
先日「『癒し』のバイオポリティクス」という記事を書いたが、私はAIと呼ばれるものにそれほど期待している訳ではない。AIは「人間を超える」とか「人間のコピーができる」などと言われたりするが、そもそも「人間とは何か?」について幾多の不明点が山積している状態(そもそも脳の構造には謎があまりに多いし、幻肢痛、認知的不協和の構造、なぜ人間の死角は現行のものになっているのか・・・など例を挙げればキリがない)で . . . 本文を読む
友人と毒書会をしようぜ、と会話したのからはや二年。今度の課題を『AI原論』に決め、ようやく動き出したところだ。
『AI原論』は原論という題名の通り、AIの定義が曖昧なままその発達がもたらす社会変化を云々する現状に掉さす内容である。より具体的には、AI技術の発達史を概観した上で、人間の認知のありかたを分析哲学の側面などから考察・確認した上で、AIという存在をユートピアをもたらす福音 . . . 本文を読む
「泣きゲーへのアイロニー?」に引き続いて沙耶の唄レビュー(?)復活第四弾。
今回は原文がアホみたいに長い(なんせ文字だけで4000字近くもあるw)ので手短に説明しておくと、この記事の意図は、前掲の「泣きゲー~」で書いた主人公主観の問題をさらに発展させ、沙耶の唄における視覚的表現方法が沙耶・郁紀―耕司の等価性を意識させるものになっていると具体的に示すことにある。つまり、例えば二枚目 . . . 本文を読む
食べないと腹が減りすぎて気分が悪くなる。これは普通にわかる。内臓がデレてる証拠やからな。
しかしいざ何か入れようとすると、水さえ押し返さんばかりのツンツンぶりを発揮するってーのはどういうこっちゃ!!
もしやワイに点滴れ(クレイジージャパニーズ)というメタメッセージなんだろうか?
全く女心と秋の内臓ばかりは、アルトリア並の膓観力でも計り知れないぜ . . . 本文を読む