選択肢が多様化する必然性と日本人の「無宗教」の関係

2007-06-30 12:32:22 | 宗教分析
前回、価値観の多様化の原因は「選択肢が数多くあり、かつ選択肢を選ぶことが奨励されてもいる」ことにあると述べたが、この選択肢と価値観にまつわる状況はほとんど不可逆的(逆行できない)なものであるように思える。 というのも、「選ぶ」という行為が「自由」と密接不可分なものだからである。ゆえに「自由」が奨励される以上、「選ぶ」という行為はますます盛んになっていくだろうし、選択肢もますます増えていくだろう . . . 本文を読む
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価値観の多様化と「共感」

2007-06-28 01:54:31 | 抽象的話題
社会の中で選択肢が数多くあり、かつ選択することが奨励されてもいるならば、ものの考え方や見方が多様化するのは必然である。そうすると当然、価値観などを一元的に理解することは困難になる。ゆえに昔のような親和性の高い社会を理想化したり、そのマインドを現代に持ち込もうとしても、うまく機能するはずがない(選択の幅が狭い社会に逆行できるのならそれも可能だろうが)。とすれば重要なのは、「共感」といった精神的癒着な . . . 本文を読む
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夏は仕事の季節

2007-06-27 01:41:53 | 日記
こないだワールドサッカーダイジェストを見てサッカーをヤル気になった数日後に、7/15か16でサッカーをやらないかとのメール。速攻で参加の返事をしようと思ったら、すでにそこは仕事が入っていた… 何か話の流れが出来杉だと思ったけど、こんなヌカ喜びのさせ方はあんまりだぜorzそして明日も日曜も休みじゃない(最近はずっと日曜出勤してるから普通になってきたが)。まあボーナスもらったばかりだし後輩も鬼のよ . . . 本文を読む
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ジョジョの奇妙なスロット

2007-06-25 00:26:55 | 日記
色々なものがネタになる昨今のパチンコ、スロットだが、ジョジョのはどうして出ないのだろう? 北斗のスロットはすごいブームになったわけだが、ジョジョにもシビレルあこがれるなDIO様や素数ばっかり数えているやつがいるし、そしてプレイを盛り上げる「オラオラ」などのラッシュ、さらには「取って置きのダメ押しというやつだ!!」「アリーヴェデルチ」など数多の(決め)セリフ。第一部~第六部まであるからネタの分量 . . . 本文を読む
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苺ましまろ:かわいいは最凶

2007-06-24 02:40:36 | 本関係
こないだ勧められて以来アニメで見ている苺ましまろだが、原作(漫画)も読みはじめて軽くマイブームになっている。最初アニメを見たときは美羽が目立ったけども、実は伸恵がいちばん萌えることに最近気付いた(次点はアナ)。特に初期(漫画で言うと一巻)の伸恵(髪染めてた頃も含む)は反則的に萌えるのは間違いなし! それともちょっと関連するが、漫画の方って一巻とニ・三巻の差が激しいと感じるのは俺だけか?一巻はゴ . . . 本文を読む
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「感情移入」という病:その由来について

2007-06-21 12:29:02 | 抽象的話題
(始めに) 今回より、「感情移入という病」、「君が望む永遠と感情移入」、「沙耶の唄と説明不足」(後二者は仮題)の三編にて感情移入と説明不足の問題を扱う。後二者は、題名の通りYU-NO、君が望む永遠、沙耶の唄の内容と深く絡んだものになるが、それに先立ってより一般的な事柄、つまり「感情移入」というものがいかなる理由によって要求されるのかを考え、この問題が単に作品への態度に留まらないことを意識づけておき . . . 本文を読む
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「感情移入」という病:その由来と実態について(旧版)

2007-06-20 23:58:43 | 抽象的話題
こちらは最初に書いたもの。内容は加筆修正版を参照のこと。 (始めに) 今回より、「感情移入という病」、「君が望む永遠と感情移入」、「沙耶の唄と説明不足」(後二者は仮題)の三編をもって、感情移入と説明不足の問題をYU-NO、君が望む永遠、沙耶の唄の内容に絡めながら述べていく。差し当たっては、「感情移入」がどのような理由によって要求されるのかを考えてみたい。 (本文) 筒井康隆は『着想の技術』 . . . 本文を読む
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黙考と表現

2007-06-20 20:20:50 | 抽象的話題
悟りというと、そこへ到るために長時間座禅を組んで沈思黙考しているイメージがあるかもしれない。しかし実際には、座して考えるだけで深みに到達するのは不可能であるように思える。 思考とは水面に浮かんで消える泡のようなもので、想起したことを後にそれとわかる形で見直せるようにしておかなければすぐに失われてしまう。そして人は堂々巡りや後退を繰り返すのである。 座禅との関連で言えば、読経や写経のような行 . . . 本文を読む
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自己とは、「よく見知った他人」

2007-06-20 17:28:55 | 抽象的話題
自分のことを知ろうと努力し、「自分のことは理解できている」というのはまだわかる。 自分のことを知ろうとせず、「自分のことはよくわからない」というのもまだわかる。 しかし、自分を知ろうともせず、「自分のことは理解できている」と言うのは自己を過信する者か白痴かのどちらかである。自らの拠って立つ規範や感性を解明しようとしない者に自らを語ることは決してできないのだ。 自分とは、「よく見知った他人 . . . 本文を読む
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ウィッチブレイド、沙耶の唄など

2007-06-18 01:24:07 | レビュー系
最近の状況について。 ウィッチブレイドを見終わる。詳しい話は機を改めるとして、エンディングはいかにも次に続きそうな(あえてぼかした)感じ。「力」の意味、二面性、家族といった問題を孕んでいるのもさることながら、これによって雅音を死んだかどうかわからない状態にしたのは上手い(あざといとも言える。詳しくはまた今度)。中途半端に終わった部分も多いので、次に期待するとしよう。 Vガン第一巻を借りる。 . . . 本文を読む
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