「灰羽連盟覚書1」において次のように書いた。すなわち、第一話を見て灰羽連盟の実存が「青臭い」「宗教的」といった理由付けで敬遠されなかった要因が第一話の演出の仕方でわかった、と。
最初に述べておくが、「灰羽連盟における『実存』の鋭さ」のような形で、「灰羽たちの生き様が私たちのそれの縮図である」と見抜くことは容易い。あとはせいぜい灰羽の仕事を「天職」、「巣立ち」を「天命を知る」と言い . . . 本文を読む
もう2年近く前のこと。荒崎海岸や江ノ島といった海、あるいは長瀞のような川ばかりに行っていたので、たまには山にでも登ろうかと思い苦労せず登れる山を探したら、高尾山と秦野の弘法山を見つけ、後者に遠征してみることにした。小田急線に揺られること約一時間で到着。
駅から出てみると、
な景色が広がっており、何と言うかいかにも地方都市な趣がある。とはいえ、川に沿って歩いている . . . 本文を読む
先日「同性愛への嫌悪?~マン・ヘイティング~」の記事に対して「ていうかここまで妄想できるってことは…気持ち悪い」というコメントをいただいた。全くのところ同感である。遅くとも高校時代以来、自分を「普通」だとも「まとも」だとも見倣わしたことは一度もないが、それにしても、頼まれたわけでもなく金にもならない記事をこれほどの速度と分量で書くほどの自己顕示欲、あるいは偏執性を持っているとまではさ . . . 本文を読む
単なる図像と見倣わしていたものより、突如アウラを感じるようになつた。艶めかしき女人には幾度となく出会うてきたが、かやうに魅了されしことがかつてあつただらうか。この喩えがたき感情をあだなる方法で解消せんとするは容易なるが、そは一時の慰めにすぎず、虚しさにじっと手を見るのみ。我思へらく、生を受けたりしは汝に傅かんがためなり、と。
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二週間ほど前に「プロフェッショナルといふもの」を書いた。その目的は、友人のブログで「『プロフェッショナル』の定義に対する一考察」という記事を読み、考え方についてはうなずけるところが多々あり、一方論じ方についてはやや問題があることを示すためだった。で、それに対して今度は「『定義』とはどうあるべきか」という形で友人から疑義が提示されたので、その話を少ししておきたい・・・
なーんて固く . . . 本文を読む
「灰羽連盟覚書0:気付き」でも記しておいたように、これより灰羽連盟を見なおした際の覚書を載せていく。なお、前掲の記事で述べたことだが、設定や背景などディテールに対する眼差しを意図的に捨て、初見で灰羽を見るとどのような印象が得られるかに重点を置いている。なので灰羽の世界そのものの考察記事だと思って読むと完全に期待を裏切られる、という点についてはあらかじめ断わっておきたい。
なお、分量がそこそこある . . . 本文を読む
「灰羽連盟:舞台設定、偶然性、実存」、「灰羽連盟:労働、記憶喪失、実存」の二つで、実存を根幹とする灰羽連盟(以下「灰羽」)が「宗教的」であるとか「青臭い」ものとして敬遠されなかった理由について考察した。さらに、後者の元となった草稿をも紹介している状況で新しく「覚書」とはこれいかに、と思われるかもしれないが、簡単に言えば記事を書くにあたってアニメを見直した時のメモである。ただ、この覚書の内容は、そも . . . 本文を読む
今回のフラグメントは、表題の通り二項思考とリアリティが中心となっている。前者の二項思考は、しばしば問題にしてきた二項対立の問題と近い。具体的には勧善懲悪や真―偽、境界線の曖昧さやラべリングの問題などで、そういう思考によって見失われるもの(の大きさ)を強調してきた。ところで、価値観が多様になって複雑化した社会においては何がよいのかについても合意が難しくなるが、その結果「明るい―暗い」「きれい―汚い」 . . . 本文を読む
ほいじゃあ気を取り直して同窓会の話を、ってできるか~い!
遠大な計画(大げさ)の始めで誤爆なんて、100キロハイキングの一歩目で足をくじいた気分やわ~。
おらもうヤル気が失せただよ。再びその気になるまで計画は塩漬けすることにしますた。
さて、ちょいと時間を巻き戻すと、灰羽連盟の記事を書く前はゴスロリ女の聖典が見つからぬ、という嘆きを書いておった。
しかし、神あるいは悪魔っちゅーんはこの世に . . . 本文を読む