意味付けにこだわるのであれば、対象が意味付けすべき事柄かどうか、という点にも心を砕かねばならないと思う。もしあらゆるものに対して(無意識に)意味を求めるているのなら、それは意味に拘るという自律的な行為ではなく、意味に縛られるという他律的な状態と言えるからだ。
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こないだ紹介した迷作「怪傑ズバット」だが、何気に今日ようやく見終わった。
最後くらいはマトモに行くのかしら、と思っていたら、さすがズバット。最後の最後までやってくれました。
もう何つーか構成もへったくれもねーひたすらのスピード展開。しかも盛り上がるハズの最後二話に対する伏線はほとんどゼロwそして明らかに時間不足だとわかる戦闘シーンの省略w
もうお腹いっぱいッスwお笑いという意味で、怪傑ズバッ . . . 本文を読む
仕事の休憩中にオスカー・ワイルドの『幸福な王子』を購入。今まで気にも留めなかったが、ライアーの「Angel Bullet」 と「プロファイル研究所」というサイトに掲載された文章により興味がわいた。まあ俺の中でお決まりになっているよくわからんツボってやつだwさて、これが終わったらディケンズでも読むかな…
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これだけひぐらしをやっていると、影響も色々と出てくるのだが、その一つがひぐらしの鳴き声である。ひぐらしをプレイするまでは、ひぐらしの鳴き声はのどかさといったいい意味での「静けさ」を象徴するものであった。しかしゲームの中において、直接的な、あるいは迫りくる恐怖と絡めて鳴き声が繰り返し使われたことにより、その声は完全に不吉なものの象徴となった(最近ひぐらしの鳴き声が入ったのどかな歌詞の曲を聞いて、不吉 . . . 本文を読む
先の記事でひぐらしへの評価が厳しくなる理由として「読者参加型」という特徴があることを指摘した。今回は、この点に関連したひぐらしの方向性の変化について触れたい。
資料となるのは、冒頭に提示されるフレデリカの詩である。以前私は、鬼編・綿編収録版におけるフレデリカの詩を掲載した。その時は推理のヒントとしてであったが、実のところ作品の方向性という点でも非常に重要な示唆を与えてくれるのである。まずは、その . . . 本文を読む
やはり携帯から送るにはいささか重過ぎる話題だったようだwそこで改めて、書き直した内容を記すことにしよう。
私には、どんなものにも通用する基準など存在しないように思える。少なくとも、物事を評価する場合に関してはかなりの程度当てはまるだろう。例えば「ちびっこサッカー」を大学生の基準で、また大学生のサッカープレーヤーをリーガやセリエAの基準で評価するのは不当であると言える。これは、物語の醍醐味の一つで . . . 本文を読む
「ちびっこサッカー」を大学生の基準で、また大学生をリーガやセリエAの基準で評価するのは不当であると言える。各々にある程度の基準があり、それによって評価が行われるのである。私がレビューを書く際もこれと似ている。つまり、あらゆるものを同じ基準で評価してるわけではないのだ。そしてひぐらし皆殺し編をプレイ後、私はその基準を甘めにしたのであった(というのも、率直に言って、それまでの基準で評価するには値しない . . . 本文を読む
同人ゲーム「ひぐらしのなく頃に」への基準・批判が厳しくなりがちな理由の一つとして、「読者参加型」のゲームであることが挙げられると思う。これによって、他のゲームや小説だとかに対する批判とは、自ずと質や激しさが違ってくるのである。
「読者参加型」という特徴は、公式HPに掲示板を作って各々の推理を披露したり疑問を提示しあう場を提供したことに最もよく表れている。ここから生じるのは、今まで何度か述べたよ . . . 本文を読む
今日も板橋付近をふらふらしてたら巣鴨のとげぬき地蔵に辿り着いた。というわけで、近くのコンビニとフライドチキンでまったり酒盛りしつつマンウォチング中。なんつーかもう完全にオヤジですな(・∀.)
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どうも国家レベルで自殺に関して対策を練っていこう、という趣旨らしい。まあ予想通り中身は曖昧でどれだけ実効性があるのか非常に疑わしいが、それにしてもなぜこのような法律が出てきたのかと思う。
例えば交通事故に対し、交通規制や法律改正で対応するのはわかる。それは紛れもなく「事故」であり、たいていは明確な被害者―加害者が存在するからだ。ゆえに、朽ちそうになっている木の橋を(崩れて人が迷惑したり事故がおき . . . 本文を読む